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花見で足パン

今日はキュウリとマクワウリの種をポットに蒔きました。畑仕事はこれでおしまい。
午後は強風ですが、ムラサキハナナが咲く時期だろうと花見に行ってきました。
あちこちに群落は増えていますが、去年ほど花の勢いがない感じです。秋冬の干ばつが影響したのか。それとも、当たり年、外れ年があるのだろうか?

花見で足パン1 


花見で足パン2 


花見で足パン3 

群落は広がる傾向にあるが、密度自体はかなり下がっている。

花見で足パン4 


花見で足パン5 


花見で足パン6 

ハナモモでしょうか?ちょうど満開です。

花見で足パン7 


花見で足パン8 


行きはよいよい、帰りは・・・
往路は帆船状態で楽ちんでしたが、帰りは腰がオーバーヒート。
時速5~6Kmくらいしか出ない。

花見で足パン9 


花見で足パン10 

自転車道脇には矢車草がたくさん咲いています。この花を見るとエジプトのファラオを連想してしまう。第18王朝トゥト・アンク・アメン王の遺体を収めた棺に、妻のアンク・ヘセン・アメンが矢車草の花束を置いたという逸話です。この話は事実ではないのですが、王墓が発見された当時、まことしやかに流布されました。今でも本当の話として信じてる方もいます。しかし、二人は幼馴染の異母姉弟ですから、装飾品や壁のレリーフにあるように仲のよい夫婦であった可能性はあるでしょうね。

花見で足パン11 

花見で足パン12 



花見で足パン13 

自転車道脇に雉のオスがいました。20mの距離だが人馴れしてるのか逃げる様子もない。

花見で足パン14 
トリミング


いつもは2時間で走り切るコースですが、3時間半もかかりました。
足はパンパン。明日の畑仕事はできないかな。

走行距離 35Km(高崎・伊勢崎自転車道~利根川自転車道)

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ブラックホール

新聞にもwebニュースにもM87星雲の中心にあるブラックホールの撮影に関する記事が目立ちます。以下、毎日新聞web版から引用します


********引用開始**********

ブラックホールの撮影に成功 世界初 一般相対性理論を証明
4/10(水) 22:07配信 毎日新聞

s-m87blackholl.jpg 
M87銀河の中心にある巨大ブラックホールの影
(中央の暗い部分)をとらえた画像=国立天文台
など国際研究チーム提供


世界で初めてブラックホールの影を撮影することに成功したと、日米欧などの国際研究チームが10日、発表した。ブラックホールの存在は約100年前にアインシュタインの一般相対性理論によって予測されたが、強大な重力で光さえも外に出られないため、観測が難しかった。研究チームは高解像度の電波望遠鏡を利用してブラックホールのごく近傍のガスが発する電波を精密に観測し、影絵のようにブラックホールを浮かび上がらせた。
一般相対性理論の正しさを証明するとともに、銀河の中心にあると考えられてきた巨大ブラックホールを直接確認した成果。ブラックホールの影の大きさから質量などを算出し、銀河の起源や進化を解明する重要な手がかりとなる。

チームは2017年4月、おとめ座の方向にあり、地球から約5500万光年離れた楕円(だえん)銀河「M87」の中心にあると考えられていた宇宙最大級のブラックホールを観測。南米チリにある「アルマ」をはじめハワイ、南極など世界6カ所にある8台の電波望遠鏡の観測データを約2年かけて慎重に解析した。

その結果、ブラックホール周辺部のガスがリング状に輝き、中心が影のように暗くなっている画像が得られた。リングの直径は約1000億キロで、そこからM87の中心にあるブラックホールの質量は太陽の約65億倍だと算定できるという。

プロジェクトには約200人の研究者が参加。日本の研究者の代表を務める本間希樹(まれき)・国立天文台教授(銀河天文学)は「誰もその姿を見たことがなかったブラックホールの姿を撮影でき、アインシュタインの一般相対性理論を裏付ける結果となった。過去100年にわたる物理学的、天文学的な問いに対する明確な答えだ」と話した。【斎藤有香】

◇ブラックホール
極めて高密度、大質量で重力が非常に強く、周囲にあるガスなどの物質を引き込む天体。光の速度でも脱出できない。角砂糖の大きさで地球ほどの質量を持った物体はブラックホールになるとされる。重い星が一生の最後に自己の重力によって収縮してできるタイプのほか、銀河中心に巨大ブラックホールがあると考えられているが、巨大ブラックホールの成因はよく分かっていない。

********引用終了**********


記事の主旨に関しては特に感じることもないが、ブラックホール自体の説明には少し違和感を覚えます。赤字で記載した部分です。
説明が全く間違っている訳ではないが、大事な記載が抜けています。「重い星が自己の重力によって収縮していく」という表現だけでは、我々が3次元的に認識してる空間で起きているように錯覚させるからです。星が重力で収縮するのは事実ですが、収縮した星がブラックホールになるのは単に重いからではなく、星の重力が周囲の空間を歪ませ、究極まで増大すると、やがて空間が閉じてしまうからです。その概念が前出の説明には表現されていない。


空間が重力で歪むという概念は一般的には理解し難いものです。以下の模式図は、分かりやすくイメージさせるために工夫した絵図です。

2dkuukannhizumi.jpg 
重力が周囲の空間を歪める様を2次元で表現した場合

上図は空間を2次元の網目として表現している。トランポリンの上に砲丸投げの鉄球を落とした時をイメージすればよいでしょう。トランポリンの表面が空間です。


3dkuukannhizumi.jpg 
重力が周囲の空間を歪める様を3次元で表現した場合

上図は空間を3次元で表現していますが、局所的に見れば2次元の場合と同じです。
どちらも背景に星が描かれています。星から放たれた光になったつもりで書くと、光自身はまっすぐ進んでいるつもりでも、空間の外側から見ると、空間自体が曲がっているので、光も曲がりながら進んだように見えます。これを重力レンズ効果と呼ぶ場合があります。
網目の線に沿って進む光は、地球付近で歪みのために僅かに地球に近づきながらカーブを描いて進むわけです。それを観察できる人は空間の外側にいる人(=神の眼)か、十分離れた距離にいる観察者だけです。地球のそばに宇宙飛行士がいても光は何の影響も受けなかったように見えると思います。光の進路も宇宙飛行士のいる空間も、局所的に見れば均等に歪んでいるので認識できないからです。


重い星が自己の重力によって収縮していく」というのは、2次元の図で云うと、3次元的な表現になってしまうが、空間の凹みがどんどん深くなるということです。これは星の表面重力の増大を意味し、ある限界を超えると、その凹みはキンチャクのようなイメージで空間が閉じてしまいます。光が重力に引っ張られて出られないのではなく、空間が閉じているから出られないのです。
光は、粒の性質と波の性質を併せ持っていますが、質量を持たないので、重力に引きつけられる事はありません。しかし、空間が曲がっていれば、曲がったなりに進み、閉じていれば通過することはできないのです。
空間は閉じていますから、もはや何者も脱出する事は不可能ですが、不思議な事にブラックホールに向かっては物質が落ち込むことは可能です。宇宙空間のガスなどが落ち込む瞬間には電磁波(電波)を放ちます。新聞記事にある画像は、その電磁波を地球各地の電波望遠鏡で同時観察し、画像化したものです。今回の観測では撮影できなかった模様ですが、ブラックホールには、そこから吹き出すジェット現象を伴う場合も多い。しかし、発生メカニズムなどは解明されてはいないようです。


ここで、新聞記事からはちょっと離れます。
質量を持つものは重力を発生させますが、質量を持つ物質自体が何かを引っ張る力を持っている訳ではありません。リンゴは地球の重力で落下するが、厳密に言うと地球に引っ張られている訳ではない。リンゴは地球が歪ませた空間(凹み)に落ち込んでいるのです。もちろん、リンゴにも質量がありますから、空間を微量に歪ませています。見方を変えればリンゴの作る空間凹みに地球が落ち込んでいるとも言えます。しかし、質量とは物質の「動きにくさ」を表していますから、リンゴと比較すると圧倒的に重い地球よりリンゴのほうが動きやすいので、地球に向かって落ちるように見えるわけです。繰り返しますが、質量を持つ物体が根源的に物を引きつける力を持っている訳ではないということ。空間自体の歪み(凹み)が互いに引き合う力を発生させているということです。


新聞記事ではアインシュタインの相対性理論が実証されたという表現が何回も使われています。これでは、アインシュタインがブラックホールを予言したと誤解する人が出てきそうです。その存在をアインが提唱した理論方程式から推定したのは、カール・シュワルツシルトであるのは周知です。アインもシュワルツシルトの数学的な特殊解を否定はしなかったが、実際には存在しないと考えていた。
アインが唱えた相対性理論とは重力の根源は空間の歪みによって発生するという理論が主旨であり、ブラックホールの存在は理論から導かれた特殊な状況に過ぎない。誤っているわけではないが、ブラックホール≒相対性理論のようなニュアンスで表現するのは、本来のアインの理論をスポイルしているような気がします。また、相対性理論の正しさは、他の事象から既に証明されているものであって、今回の成果がなし得た訳ではありません。

4dkuukannhizumi.jpg 
地球が作る空間の凹みに落ち込もうとする月

月がリンゴのように地球に落ちてこないのは、引きつけ合う力と月の公転による離れようとする力が釣り合っているからでしょうか。でも公転周期は徐々に落ちており、やがて月も地球に落ちてくることでしょう。





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榛名山噴火の理学的年代決定(学術発表サマリ転載)

  榛名山で古墳時代に起こった渋川噴火の理学的年代決定


早川由紀夫[1]; 中村賢太郎[2]; 藤根久[2]; 伊藤茂[2]; 廣田正史[2]; 小林紘一[2]
[1] 群馬大・教育; [2] (株)パレオ・ラボ


榛名山は古墳時代に2 回噴火した。その堆積物は山腹の放射谷を厚く埋めて分布するだけでなく、群馬県内平野部に広く展開する多数の考古遺跡でクロボクの中に薄い火山灰あるいは軽石層としてみつかる。また、尾瀬ヶ原の泥炭の中にも2 枚の火山灰層が挟まれている。伊香保温泉のすぐ上にある二ツ岳は、2 回の噴火をした火道に栓をした溶岩ドームである。

この噴火の年代は考古学者によって精力的に研究された。それはどちらも6 世紀前半であり、軽石・火山灰と重なる土器の型式変化から2 回の噴火の時間差は20-30 年程度だと考えられている。
軽石・火山灰の中から取り出した炭化木の放射性炭素年代を単発で測った理学的報告も断片的ながらいくつかある。そのなかには6 世紀ではなく5 世紀を示した例もあったようだ。

2007 年9 月下旬、渋川市内の大規模寺院建設現場(施主:臨済宗日本佛光山、
施工:(株)熊谷組)の地下から大きな倒木が複数みつかった。場所は、二ツ岳の東隣にある水沢山溶岩ドームの東山腹、標高696 メートル地点である。1 回目の噴火(渋川噴火、FA)の初期に降り積もったアズキ色火山灰の中に斜めに倒れていた。倒木を取り囲んでいた火山灰部分はアズキ色ではなく青黒色をしていて、発掘されるまで無酸素状態が保たれていたことを示していた。アズキ色火山灰の厚さは約4 メートルで火山豆石を含んでいた。下はクロボクに、上は熱雲が残した軽石まじりの砂礫層に覆われていた。


榛名山噴火の理学的年代決定1 
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私たちは、カエデ属(試料番号BK926A)、ブナ属(BK926B)、ハンノキ亜属(BK928D)の三本を実験室に持ち帰り、ウィグルマッチング法による放射性炭素年代測定を行った。もっとも太いBK928D は直径55 センチ、長さ5 メートルで、155 の年輪が数えられた。三本とも樹皮を残していて、晩材で成長が停止していた。これは、埋没水田の研究から渋川噴火が初夏に起こったとする考古学の既存知見と矛盾しない。


榛名山噴火の理学的年代決定2 
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榛名山噴火の理学的年代決定3 
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榛名山噴火の理学的年代決定4 
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年輪を5 輪づつ切り出して、ひとつ置きに測定試料とした。BK926A は最外年輪から95 年輪までの10 試料を、BK926Bは最外年輪から85 年輪までの9 試料を、BK928D は年輪幅が狭くて分割しにくかった外側の30 年輪を除いて31 年輪から155 年輪までの13 試料を測定した。放射性炭素含有量の測定は群馬県桐生市黒保根町にある(株)パレオ・ラボのAMS システムを用いておこなった。
産出状況から三本は榛名山の噴火によって同時に埋没したと考えられるので、得られた32 測定値すべてを使ってウィグルマッチングした。その結果、渋川噴火の年代として次が得られた。
AD489-498(AD495/+ 3/- 6)。誤差は標準偏差である。

榛名山噴火の理学的年代決定5 
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渋川噴火の年代は、従来考えられていた6 世紀前半よりやや古く、5 世紀末の495 年前後だったことが今回わかった。


※本稿は冒頭示した表題、識者による研究発表サマリを無編集で転載したものです。


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古代のタイムスタンプ(3) -争点の解決へ-

早川由紀夫教授とパレオ・ラボによる成果報告にも記載されていますが、この実年代測定によって、ある古代史の争点に影響を与える事になりました。3回目はこれについて触れる事にします。
 
埼玉県行田市には埼玉(さきたま)古墳という有名な古墳群があります。この古墳群で最初に築造された稲荷山古墳から、1968年に鉄剣が出土し、10年後に鉄剣から115文字の銘文が発見されました。
 
稲荷山古墳上空画像 
後円部の白い部分が埋葬主体部の位置

此の埋葬主体部が後円部の中心から僅かに外れているので、発見されていない埋葬墓が他にもあるのではないかという推定があるようです。
 

稲荷山古墳礫槨 
 鉄剣が発見された埋葬主体部の展示レプリカ

銘文には、剣が「辛亥年」に作られた事や大王の名は「ワカタケル大王」であることが書かれていました。「ワカタケル大王」とは雄略天皇に比定されてる人物です(説であって確定している訳ではない)。これは世紀の大発見で、関東の古代史の推移を揺るがす大事件となります。
 
稲荷山古墳鉄剣 
 
 
そこから大きな争点も生まれました。『辛亥年』の実年代に関してです。日本の古代の暦は中国から伝わった暦を使っています。
十干(じっかん)  =甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・・壬・癸(10種類)
十二支(じゅうにし)=子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・(12種類)
 
この2種類を組み合わせて年数を数えます。最近の日本では十二支しか使いませんから、12年に一回の周期で回ります。しかし、当時は十干と十二支を合わせて使いますので、60年を一周期として暦が回ります。組み合わせるといっても数学でいう「組み合わせ」でありません。これだと120年になってしまう。両者の暦を両方の頭から順に並べるという意味です。従って辛亥年というのは、西暦に直すと以下になります。
(西暦への変換に関する話は長くなるので割愛します)
 
辛亥年 
 

稲荷山鉄剣銘文の辛亥年は、この中のどれかに相当するはずです。一般的には471年説と531年説が有力です。定説としては471年ですが、強硬な反対意見もありました。

実は稲荷山古墳の埋葬主体部層からは、榛名山噴火に伴う降灰物が検出されていないのです。降灰物の影響は風に影響され、主にどの方向へ流れたのか分布を見ればわかりますが、埼玉県にも確実に降灰があった事は他の地質調査で分かっています。
 
元々、出土した土器編年から古墳の築造は西暦500年頃との推定がありました。しかし、稲荷山古墳には主体部に2ヶ所の埋葬があり、追葬が行われています。従って、古墳自体の築造年と鉄剣所有者の埋葬年が同じとは限らない事が争点のもとでした。しかし、噴火に伴う降灰物がないことが確かであれば、鉄剣の埋葬はHr-FA(西暦495年)よりも以前という事になります。鉄剣が作成されてから埋葬されるまでの経緯や時間は不明ですが、鉄剣が作られた辛亥年は西暦471年である事を証明します。

それだけではありません。西暦531年であれば、ワカタケル大王の雄略比定説は崩れるのですが、471年ならば雄略天皇の蓋然性は強まります。また中国の『宋書』に出てくる、476年に倭国から朝貢したのは雄略天皇の使者である可能性が高くなるといった具合です。現在でも531年説を唱えている人がいるのですが、これらの地質的な事象を踏まえて欲しいと思います。
この事例はほんの一例ですが、火山灰降下というのは広範囲に及びます。古代の“タイムスタンプ”をフルに活用すれば、もっと解き明かされる謎もあるかも知れません。

【補足】
記紀に出てくる雄略天皇の実在性に関しては疑問の余地もありますが、5世紀において大王(おおきみ)の権力を増大させ地方への統制力を強化したり、中国との関係を築こうとした人物は存在したと思います。それは古墳等の考古学的見地からみた変化によっても想定可能で矛盾していません。例え、雄略天皇が架空の存在だとしても、彼の事績を担った大王は明らかに存在したと思います。


 


【参考・引用】
 
 


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古代のタイムスタンプ(2) -噴火年代の決定-

前回は美しい榛名山も恐ろしい一面があったことに触れました。しかし、火山による温泉や地熱そのものを利用する事も可能で、マイナス面ばかりではありません。我々の生活に直接の恩恵はないものの、古代史を解明しようとするときにも役立つことがあります。
遺跡というのは地下に埋もれている場合が殆どですが、ある遺物が出てきたときに、其の遺物が埋もれた時代を知る事が基本です。でもそれは簡単な事ではありません。
 
古い文献に記載されている事でしたら文献から分かるかも知れませんが、そんな事は稀です。どうするかと云うと、同じ地層から出てくる土器などの特徴から類推するのです。土器の形状、文様、製作技法などから、製作された時代の前後関係を推定し、時間軸上に並べたものを土器編年と呼びます。出土した土器形式をこれと比較して時代推定を行うわけです。
 
でも土器編年はピンポイントで時代確定できる訳ではありません。実態を云えば、最小でも20~30年の範囲を持った推定値でしか出す事が出来ません。時にはもっとラフな見積もりになります。形式分類毎の前後関係は正しくても、絶対年代を保証する手法ではないのです。また、最大の欠点は遺物の近くに土器自体が無いと成り立たないと云う事です。
 
以下は土器編年と、それから推定される年代です。
 
土器形式     推定年代               出来事
 Ⅰ式   5世紀第3四半期(450-475).......
 Ⅱ式   5世紀第4四半期(475-500).......埼玉県稲荷山古墳、群馬県三ツ寺遺跡
 Ⅲ式   6世紀第1四半期(500-525).......Hr-FA、 群馬県御布呂遺跡
 Ⅳ式   6世紀第2四半期(525-550).......Hr-FP、 群馬県黒井峯遺跡
 Ⅴ式   6世紀第3四半期(550-575)
 Ⅵ式   6世紀第4四半期(575-600)

それに引きかえ、火山灰の地層に遺物が埋もれていたらどうでしょう。もし噴火が起きた絶対年代が分かれば、遺物が埋もれた時代もおのずと分かります。仮に遺物が火山灰の中になくとも、火山噴火より以前なのか、以降のなのかという事は確定します。それだけでも有効なことが多いのです。つまり、火山現象は“タイムスタンプ”として利用しうるという事です。

以下は群馬県地域の火山噴火による災害年表です。
 
指標となるテフラ 
 災害年表(クリック拡大)
 
時間軸の中に此れだけの定点指標候補があります。しかし、新しい時代のものは文献で年代がはっきり分かっていますが、古墳時代以前のものは噴火の絶対年代を知るのも大変です。しかし、噴火は地表の植物を必ず巻き込み、火山灰はそれらをパックしてしまうので年代特定が可能な場合もあるのです。私が知る限りでは、現在、年代を決める方法には2つあります。
 
①14C測定法
噴火による炭化物や枯死した木材の中の放射性同位元素の含有量を測って年代を測定する方法です。自然界には常に一定量の質量数14の放射性炭素が存在しています。この炭素は非常にゆっくりと崩壊する性質を持っています。一方、生きている樹木の中には空気中と同じ比率で一定量の炭素14が含まれます。樹木が枯死すると以降は代謝がなくなるので、樹木中の炭素14は崩壊が進んだ分だけ量が減ります。この量を測定する事により、枯死した年代を測定します。
この測定法は誤差が大きいのですが、最近は較正技術が向上しており、従来よりも精度が向上しているようです。14C測定値は予め年代差の判明してる資料の測定値で較正しないと信頼性が上がりません。多くの年輪を持った試料等、較正のためのサンプルを多数揃えられるか否かが測定精度に影響します。
 
パレオラボ 
放射性同位元素の質量分析装置
 
②年輪年代法
噴火によって地中に埋もれた杉や檜(ひのき)を発見して、その年輪から年代を割り出す方法です。年輪というのは一定の幅を持つわけではなく、年によって変動します。この年輪幅のゆらぎを測定して標準資料としてデータベース化しておきます。杉と檜に付いては2000年以上前までの年輪間隔パターンのスケールが出来あがっています。
これとサンプルを比較して相関係数を計算することによって、木材が埋没した時期を正確に計算できます。相関係数とは統計的手法による計算ですが、要は両者の変化パターンに関連性(一致性)がどの程度あるかを数学的に計算します。
因みに、年輪幅のゆらぎは日本列島程度の範囲なら、地域によって強弱の差があるものの、基本的な変化パターンは一致するという特徴を持っていることがミソです。但し、信頼性を上げるには、木材の外皮の部分が残っている、200年分以上の年輪を持つ杉や檜を見つける必用があります。完璧なサンプルがあれば、枯死したり伐採された年と季節まで確定できます。

以下の図は、標準パターン(黒線)と測定サンプル(赤線)の計測値をグラフ化して一致性の最も高い場所で固定しています。計算方法は、赤線グラフをずらしながら、黒線グラフと一致度の高い場所を計算しながら探し出します。この操作によって、サンプルの最外皮の板材の伐採年が特定できるわけです。判明するのは伐採年なので、材木が伐採後、どのくらい乾燥などのために放置されていたかは分かりません。例えば、建物の構築年代等は推定になるわけです。それでも、14C測定法などから比べると、その精度は非常に高いものと言えます。
 
年輪年代法相関図 
サンプルの年輪幅のゆらぎと暦年標準パターンの比較(クリック拡大)
 
 

前述の表の中で榛名山の2回の噴火時期は以下のように書いてあります。
■Hr-FA=西暦495年
■Hr-FP=西暦520年
 
2007年に榛名山麓で工事中に噴火によって埋もれたブナやカエデ材が発見されました。実は、この値は木材を14C測定法で測定した結果なのです。測定は群馬大学の火山学者である早川由紀夫教授と遺跡分析などを専門に行っているパレオ・ラボという会社が共同で行っています。この成果報告の詳細は早川由紀夫教授のホームページで読む事が出来ます。(2009年に発表公開)
 
前述したように、従来、榛名山の噴火は6世紀前半くらいに2回あったと云われてきました。しかし、正確には絞り込まれていませんでした。今回、良質なサンプルを沢山使って値を出したのは初めてではないでしょうか?だからといって、このデータが絶対正しいとは言い切れませんが、測定の方法などを見ると従来値よりも信頼性が高い気がします。その測定結果は従来予想よりも早い時期となっています。
 
 
 



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