東国の古代史
前稿からの続きです。本稿では、関西大学工学部土木工学科教授である西形達明、西田一彦両氏が行った古墳石室の挙動解析の結果を紹介しながら、石室構造がその強度にどのような影響を及ぼすのかを見ていきます。両氏の実験には多くの観点を含んでいるが、ここに示すのは代表的なものだけを抽出しています。 (5)石室挙動解析結果①アーチ構造の必要性両氏は側壁形状が石室の安定性に及ぼす影響を確かめるために側壁部の石...
両氏は側壁形状が石室の安定性に及ぼす影響を確かめるために側壁部の石をアーチ状に積んだ場合と垂直に積んだ場合を比較しています。モデル1がアーチ状に積んだ場合の解析結果です。
石室内部の埋め戻し土の除去を起点にして、石積みは石室内部に向かって僅かに圧縮変形し、容積が小さくなっているのが分かると思います(a→b→c)。しかし、その変化は大きいものではなく、安定した状態を維持しています。モデル図の中にStepという単位がありますが、個別要素法では各要素の運動方程式を時間経過で積分して挙動を計算しますが、その時間変数です。前稿で記載したように差分法により各構成粒子を動作させますが、粒子の移動~接触確認~作用力計算のループを15万回繰り返しているという意味です。Stepについては以降のモデルも同様。
次は天井石の重量の影響を調べるために、天井石の大きさをモデル1の半分にした解析モデル3です。
この解析ではモデル1の天井石の大きさを半分にしている点を除けばモデル1と同様条件となっている。にもかかわらず、石室壁部の石積みは大きく内側に押し出され、明らかに石室は崩壊状態に至る。これは天井石が石室の安定性に及ぼす影響が非常に大きい事を示している。墳丘の土砂よりも天井石の比重は大きいので、垂直方向の圧力が低下した結果だと推定できます。古墳の場合はエスキモーの氷雪ブロックの家のように天井まで側壁と同じ構造材料では持ち堪えられない。大きな違いは側壁・天井外側からの土圧の有無です。実験者は重量の大きい天井石が石室上部に設置される事で上部盛土の荷重を受け持っている。さらに、側壁のせん断抵抗を増加させて石積みの安定性を向上させていると述べています。これは、側壁のアーチ形態の効果と同じく、天井石が側壁石材間の摩擦力を高める効果を持つ事を示している。
③石室埋め戻しの必要性
モデル4の解析は古墳の施工手順を検討するために石室内の埋め戻しは行うが古墳の盛土を積み上げるまえに石室に充填した土を除去したと仮定した時の解析モデルです。
「古墳石室構造の歴史的変遷についての技術的考察」 西形達明、西田一彦

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> 今回の台風19号により、藤岡市の国史跡、「十二天塚北古墳」の墳丘の一部が崩落したとのことです。
十二天塚は猿田川河岸段丘の縁にありますから、地盤が弱いのかも知れないですね。
最近は樹木もみな伐採して裸状態ですからね。
前稿からの続きです。(3)石室変化の環境要因胴張型石室が特定の渡来系氏族と無関係に発展し、導入されていったとすれば、その契機・要因とは何なのか、推定を交えて考えてみます。先ずは私の考える環境要因です。①古墳の小型化近畿圏では6世紀後半から薄葬の流れが始まり、7世紀中期には朝廷から薄葬令が発布されて大型古墳は規制されていきます。薄葬令がどのように地方まで浸透したかは定かではないが、上毛野地方では、畿内で...
①古墳の小型化
石室を古墳時代中期のように巨大な石だけで造っていけば、その構築のための労力や期間は非常に大きくなります。薄葬令の主旨は土地の無駄使いだけではなく、労働力の徴収という民衆に負担のかかる習慣の改革であったと考えます。民衆に過剰な負担を強いれば、税収対象である民衆の生産力に影響が出るからです。そこで、石室の材料は身近で確保できる石材に変化していったでしょう。例えば、河原の石であったり、火山の噴火で出来た石を加工して積み上げる文化です。該当地方の環境条件に合った独特の構築技術が生まれていったと考えます。古墳築造労力の縮小・適正化という考えが、律令制度の構想の中で現れて制度化していったと思われます。

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古墳はいつも何かのついでや、神社の敷地にあったりしますと見ることはあるのですが、石室にも色々な造り方があるのですね・・・
勉強になります。。。
お邪魔いたしました。。。
私も古墳めぐりの経験は少ないのですが、北関東だけ見ても石室のバリエーションは多いですね。
特に古墳時代後期と呼ばれる6世紀以降になると、地域に特化した材質や構築方法が採用されているようです。
古墳めぐりを趣味としている人もいますが、そんなところが面白いのかも知れませんね。
本稿シリーズは2014年に執筆した記事をベースに全面的に加筆・書き直したものです。(1)胴張型石室の形態胴張型石室とは、専門用語で横穴式石室の床面や壁面が曲面で構成された石室を指します。曲面といっても球形とまではいかず、多くは三味線の胴のような形が多いので、三味線型と呼ばれることもあります。この形の石室は埼玉県の旧比企郡地域(埼玉県の中央部)を中心に非常に多く見られます。群馬県にも南部の藤岡市にあります...
埼玉の古墳調査や研究が進むにつれて、胴張型石室が壬生吉志の展開地域とは別な場所にいくつも発見されている。また、胴張型石室を持つ古墳は7世紀初頭だけではなく、6世紀後半のものも見つかっており、壬生吉志氏族が入植した時期よりも前に出現している。
上毛野国と武蔵国は文化的にも共有範囲と見ることが可能である。また、群馬県にも渡来系氏族(吉志集団)の入植があったことは文献史研究などから確実視されている。しかし、入植した地域と胴張型石室という墓制分布が必ずしも一致しない。さらに、前述したように非常に数が少なく、渡来系氏族がその他の形態の墓制も取り入れていたと考えないと無理がある。
最近は全国的な規模での調査が行われており、分布範囲が明確になってきている。その結果、埼玉県の特定地域に限定しているわけでなく、東北南部、関東北部、信濃、相模、駿河、三河、尾張、美濃と東日本全域にあるといってもよい。九州をはじめ西日本にも分布している。これらの地域にも渡来系の氏族は入植していないとは言えないが、吉志集団という特定の渡来系氏族の居住地とは言い難い。同一氏族依存の墓制となると広すぎて説明できない。

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鍵はいりませんよ!
いつでも、どんな内容でもけっこう。
これが私の趣味No1です。
にゃんことメダカは残念ながら出てこないのです。^^ゞ
堂々たるレスで来たわ♪
このテの事は興味持つとハマリそうね~
深く飽きる事ない趣味だと思うわ~(^^)v
興味はあっても中々記事を書くのは大変ですね。
歳のせいか素早く書けなくなってます。
読書量が落ちているのも原因かな。
本当はもっと重いテーマで書きたいんですけど。
いずれね。おやすみ。
進化した技術集団の築いた横穴墓と見るべきでしょうか。ここでも尾張は不気味な存在感を見せていますね。
古墳石室の変遷にも触れず、いきなり本題に導入したので分かりにくいかも知れませんね。それに文章がヘタなので…
私は、古墳時代の前期においては各氏族の葬送文化が自由に現れていたと思うのですが、7世紀初頭からは律令の前段階に相当するような規制の枠が徐々に進行した時代と考えています。まだ不文律だったと思いますが。此処に上げた石室築造形式という一例も氏族に特化したものではなく、環境要因で必然的に発生した技術だと思っています。記事中に記載してませんが、実は九州にも胴張型の石室は多いようです。列島各地への広範囲な展開を見ると氏族限定文化とみるのは無理があるように思います。
Yahooブログから移行して半年が過ぎました。ブログを運営してる会社は幾つもあるが、ブログ機能には各社の特色があります。また、そこで運用してるブロガーにも違いがあるように思います。①勘違いブロガーがいない!?Yahooブログにはファン登録機能(読者登録ブックマーク)があって、登録にはブログ管理者の承認は必要ありませんでした。ファン登録すると、全ての登録者の新規記事が一括で通知されるので便利でした。管理者のフ...
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- 木漏れ日の曼珠沙華 (2019/10/07)
- FC2ブログに移行して半年経ちました《感想》 (2019/10/04)
私の場合山の紅葉はいつ頃だかとか、あそこでワラビをとったのは栗を拾ったのはとかですけどね...。
私は、マイブログ検索もfc2内検索もよく使います。記事が増えてくると、どこかの記事で書いたんだけど、思い出せないなんてことはよくありますね。栗拾いはkannaさんの定番でした。
そう云えば、yahooブログでは、マイブログ内検索のプラグインを表示してる人は非常に少なかった。fc2では表示してる人は結構いるような気がします。これを出してくれると、読者側としても目的のキーワードがある場合はとても効率的です。
〇この問題指摘は当たっています。
しかし、小生の場合、過去記事は、検索欄に言葉を入れ、過去記事を確認うるようになり、問題は感じなくなりました。
草々
はい。私も個人ブログの中の検索用プラグインは活用しています。目的の記事キーワードがはっきりしてる場合はとても便利ですね。訪問者のためにも、自身のためにも此のプラグインを表示するのは良い事だと思いますね。問題は、以下URLのFC2ブログ全体の検索機能なんです。私はこの機能を常用してるのですが、記事にも記載してるように投稿日でソートされません。検索キーワードの類似文言拡張機能もあるらしく、無関係な記事も多量に引っかかってきます。レインボーさんは使われていませんか?検索仕様のカスタマイズができないのか調べたのですが、どうやら固定仕様のようです。
https://blog.fc2.com/
※上記URLの最上段にある検索フィールドです。
FC2ブログ全体の検索機能がしっかりしていると便利というのは、その通りだと思います。
記事検索ですが、小生の方は、Yahooなどインターネット検索で対応しています。
自分の記事が、その検索で出てくると喜んだりしています(笑)。
草々
一つのブログで長く運用してる人は、既に固定客がついていますから、それ程には感じないかも知れませんが、開設したばかりだと訪問者が少なくて寂しいもんですね。必然、同じような記事を書いてる人を探すことになります(笑)。
私もyahooやgoogle検索を使ってますが、ブログ記事のヒットもかなり多いですね。汎用検索エンジンだと、他ブログもヒットしますから広く探れます。でも検索企業のキャッシュサーバの更新は非常に遅いので、私の記事なんて、未だにyahooで投稿した記事がヒットします。yahoo側の記事はとっくに削除してるので、アクセスしてもエラーになるだけなんですけどね。yahooでの訪問者の半分はgoogle経由だったので残念です。
前稿からの続きです。神武天皇の本名カムヤマトイワレヒコノミコトは、彼がヤマトに入ってからの名前です。九州時代はヒコホホデミですが、あまりポピュラーではない。本稿では古事記での名称を省略形でイワレヒコと呼びます。ついでに云うと、ヒコホホデミという名前は、日本書紀では彼の祖父=山幸彦と同じ名前です。山幸彦とイワレヒコは本来は同一人物であり、系譜はもっとシンプルであった可能性がある。日向三代が長い歳月で...

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今や、ママチャリでもライトはハブダイナモが主流です。しかし、スポーツ車のジャンルでは、標準装備でハブダイナモ装着車は皆無でしょう。最近のは性能向上が著しい。特にLEDライト専用なら、ライトONしても負荷増は気が付かないくらい小さい。実際にON-OFFせずに常時点灯のハブダイナモが2年ほど前から販売されている。しかし、問題は値段です。ママチャリ車用ハブダイナモなら完組リムでも非常に安いが、スポーツ車のリムではか...
私が今メインで使用している自転車にはバッテリー式(電池式)のライトを取り付けていて替えの電池をバッグの中に入れて走っていますが、ランドナーには大昔のダイナモと電球式のランプが装着されていて、実際のナイトラン特に峠道の上りではホタルの明かり程度で別にバッテリーランプ(電池式)を装着しないと危なくて走れたものではありませんでした...。
若い頃ツーリングで予定がくるってしまい、雨の峠道や地道の峠道を真っ暗な中走ったり押したりしたのを思い出しますねぇ。
ブロックタイプは、昔からあるパナソニックブランド(サギサカ製)と私の付けた丸善製の実質2製品しかないですね。丸善マグボーイは負荷の軽さでは今一番のようです。
メインのツーリング車をハブダイナモ化しようとショップに行ったことがあるのですが、びっくり見積もりでした。自分で組めないこともないが、振れ取りなどの工具がないと無理なんですね。それにkannaさんが云うように登りでは暗いかも。また所詮、夜のパンク修理を考えたら電池ライトを予備に持たざるを得ないのですよね。それなら、全部電池でいいだろ云うことになる(笑)。最近は電池もUSB充電が多いようですね。明るいが、リチウムイオンなので充電300回くらいが限界のようです。私は、今、単2電池2個が入る旧式電球ランプの電球をLEDに替えて使ってます。使用時間に余裕があります。でも防水性がないのがネック。雨が降ったらビニル袋かぶせないと(笑)。
天孫降臨神話の記事を以前書いたことがありますが、その時、記紀と一緒に日向国風土記逸文にも目を通しました。過去記事の中では触れる余裕がなかったが、気になる点があります。(1)記載の類似性①日向国風土記逸文「知鋪郷」釈日本紀卷八(萬葉集註釈)の日向国風土記逸文には「知鋪郷(高千穂)」の名称由来の逸話がある。以下のように記されている。【原文】日向國風土記曰△臼杵郡内△知鋪郷△天津彦々火瓊々杵尊△離天磐座△排天八重...

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〇興味深い記事でした。
「正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われた」のはその通りだと思います。
似た方法は、邪馬台国など倭国の記述がないことです。これも、一貫した編集方針だったと思います。
なお、「天孫降臨時に地上は暗黒」とは、通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)の関係と同じですね。これは日本の宗教そのもので、面白いと思ったしだいです。
草々
邪馬台国の記述が無いのも、記紀、風土記で一貫していますね。書紀では卑弥呼=神功皇后に比定させようとしたフシはありますが、場所の記述がないのは残念です。3世紀代の記憶が無い可能性もありますが、大和政権は九州倭国の痕跡を消し去りたかった。言い換えれば、大和政権は倭国政権を引き継ぐものではなかったということなんですかねー。この辺りをテーマにして記事を書きたい気もしますが、あまりにも重すぎて踏み込めません。
通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)という考えは面白いですね。これは知りませんでした。昼夜が別れていないという概念も不思議ですが、籾を撒くことで分かれるという理由もよく分かりません。脱穀することで、玄米と籾殻に分かれるという事をさしているのか?逸話を余り突っ込んでも仕方ないですがね。
2019年9月8日のオンラインニュースで次のような記事が掲載されていました。**引用開始*******************************************「曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」中国の研究者発表」 9/8(日) 8:00配信朝日新聞デジタル曹操高陵出土の鉄鏡(全面さびに覆われている)中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220年)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「...

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〇興味深い記事でした。
邪馬台国時代は多くの小国があった時代で、場所的に、その周辺の一つであった可能性がありますね。
これからの研究が楽しみです。
草々
コメントありがとうございます。
日田の鉄鏡は、銅鏡のように倭国で作成したとは思えませんから、朝貢の機会に
入手したか、中国使節の贈答品かも知れない。しかし、どのクニの朝貢なのか
ということは、まったく分かりません。邪馬台国かもしれないし、他のクニの
朝貢の可能性もあるでしょうね。でも、記事でも書きましたが、日田は内陸部
なので余計考えにくい地勢という気もします。倭国内の戦乱の結果、奪われた
ような宝物とでも考えたほうが・・・
この鉄鏡は古物商で発見されたんですよね
それが出土したとされる古墳も破壊されてしまって詳細不明
ですから、明治から戦前にかけて中国から持ち出され
日本に渡った可能性もあると自分は考えています
コメントありがとうございます。
梅原末治と渡辺音吉の現地調査は発見から30年も経過してるし、現地確認してるとはいえ怪しい点がありますね。古墳の形態も竪穴式と横穴式が混在してるような証言で疑問があります。それ以前に音吉という人物像が分からず、信頼できるのかという問題もありますね。 また19世紀末の中国清朝においては、イギリス、ロシアなどの欧米列強の食い物にされており、美術品の不正持ち出しは多かったろうと想像できます。日本に降伏してからは、軍部やそれに近い民間人による持ち出しも十分考えられますね。仮に音吉の偽証となれば、どんなルートで入手したのか、何の意図があったのかという観点でも調べる必要がありますね。でも、どうも音吉についてはどんな人物か分かりません。bigbossman さんに調査依頼しますかね!
ふたたびコメントさせていただきます
自分が言ってるのはあくまで可能性の問題で
日本にはお金持ちの古鏡コレクターがいるんですが
その方たちはじつに様々な方法で鏡を手に入れているので
そこから思いいたりました
ただ、反証になるかはわかりませんが、
この近隣から金錯鉄帯鉤というものが発見されていて
それと関係があるとしたら、鏡も実際の出土物なのかもしれません
どちらにしても、出土状況が不確かで考古学者は口を出しにくいだろうと思います
これは中国で発見された三角縁神獣鏡も同様です
あと、日田については、ヤマト王権の九州進出の
拠点の一つだと考えています
日田市の鉄鏡は群馬の蟹沢古墳の正始元年銘三角縁神獣鏡の出土経緯と似たところがあって興味をひくのですが、日田の場合は通常の古墳からは出土しないモノであるので、よけい不思議です。説としてあるようですが、出土が事実なら九州北部のクニから倭国内乱を機に流出した宝物のような気がします。もっとも出土した古墳の築造年代もわからないので、すぐに埋納されたのか、伝世鏡で長く保管後の埋納なのか分かりませんけどね。土地勘がないのですが、日田は耕地面積からして大人口を維持できるような大きなクニの可能性は薄いと考えています。独自の力で中国より入手したものとは考えにくいだろうと。
すぐ隣のうきは市は5世紀中葉には、畿内出身の豪族、的臣が入っていますね。でも、入植はしているが、その後の文化性を見ると周辺の九州勢力に溶け込んだような印象があります。もともと九州の東岸の前期古墳は大和政権の影響が強いので、豊前から遡上したヤマト勢力の影響はあったのでしょう。ただ、筑前南部も、のちに筑紫磐井の勢力が及んでいますからね。継続的にヤマト優勢の地であったのかは、よく分からないです。




































