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東国の古代史

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2019-09-08 (Sun)  20:50

曹操の鏡と大分県日田出土の鉄鏡

2019年9月8日のオンラインニュースで次のような記事が掲載されていました。

**引用開始*******************************************

曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」中国の研究者発表
 9/8(日) 8:00配信朝日新聞デジタル

曹操墓出土の鏡1
曹操高陵出土の鉄鏡(全面さびに覆われている)


中国の三国志時代の英雄で、の礎を築いた曹操(155~220年)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。


曹操墓出土の鏡2日田金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
日田市ダンワラ古墳から出土したと伝承される「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」


中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の三国志展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933年(昭和8年)に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)

***************************************引用終了******


2008年、中国で曹操の墓が発見された時は話題になりました。決め手になったのは出土した墓誌です。曹操墓はたび重なる盗掘を受けており、遺体の骨も散乱していたが、確認された3体の人骨分析が行われ、2018年に結果が発表されている
■60歳前後の男性...曹操本人と推定(155-220)
■50歳前後の女性...曹操の次男or三男曹丕の母(へん)夫人(160-230) と推定
■約20歳の女性......曹操の長男曹昂を出産後亡くなった劉夫人(生没不明)と推定

※女性の殉死説を述べる人がいるが、曹操自身が殉死を禁止している。卞夫人曹操より長生きしており、劉夫人曹操よりずっと早く死亡しているから殉死はあり得ない。曹操高陵で間違いなければ、追葬または曹操死亡時に合葬したとみるべきです。曹操の一番目の夫人は劉夫人、劉夫人死後は(てい)夫人が正妻になるが、義息曹昂の戦死事件が原因で離縁し、その後は側室の卞夫人が正妻となる。夫人が埋葬されていないのは生前に離縁したためと考えられる。


曹操墓出土の鏡7
曹操高陵の玄室(中国考古発掘情報サイトより)


曹操墓出土の鏡3
曹操を指す魏武王銘の石版(中国考古発掘情報サイトより)


曹操は自らの墓を秘匿し、薄葬とすることを遺言している。従って、このような墓誌が埋納されること自体が不審であり、偽墓と考える研究者もいるそうです。中国には系譜が比較的明らかな曹氏が多いので、遺骨との父系遺伝子調査(Y染色体DNA分析)も行われた筈だが結果については不明です。


曹操墓出土の鏡4
曹操の頭骨(中国考古発掘情報サイトより)


2010年に愛媛大学で行われた国際シンポジウム『三国志・魏の世界 - 曹操高陵の発見とその意義 -』 では、新聞記事にもある発掘リーダーの潘偉斌(パン・ウェイビン)がパネリストとして参加しています。報告によると、中国古代の帝王の墓には「瓦鼎十二」と呼ばれる耳と足の付いた陶器12種類を副葬する習慣があるそうです。また鉄鏡も帝王特有の副葬品とのこと。曹操の墓はこれら全てが出土しています。副葬品を見る限り矛盾は無いようです。なお、写真の出土鉄鏡はサビだらけで目視判別はできませんが、非破壊のX線回折法で鉄鏡表面の金アマルガムや金箔等の材質判定ができます。またX線透視イメージングを使えば装飾形象も確認できる。


曹操墓出土の鏡5
曹操高陵の発掘リーダー潘偉斌(パン・ウェイビン )


さて問題は、曹操の鏡と酷似と表現された、大分県日田市の鉄鏡「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎん・さくがん・しゅりゅうもん・てっきょう)」です。帝王の鏡とも言える鉄鏡がどうして日田市から出土したのか? 発見されたきっかけは学術発掘ではなく、出土した場所は小規模な古墳(石棺)であったそうです。鉄鏡は後漢時代の鋳造とされており、中国でもありふれた物でないことは確かです。金銀象嵌やトルコ石などを使った細工は財宝にもふさわしい。


曹操墓出土の鏡6
日田市ダンワラ古墳出土の鉄鏡復元レプリカ


魏志倭人伝には、卑弥呼が貰った鏡は銅鏡と記載されています。百枚の中に鉄鏡は混じっていないと思います。どうして倭国の小規模な古墳に副葬されたのか、とんと見当がつきません。日田市は水害でも有名になったが、かなり内陸の狭い盆地にあります。中国との交易に直接関与した氏族とは思えない。また、此処には邪馬台国日田説もあったような気がします。大分県に入るが、筑後川水系にあって地勢的には久留米平野の奥座敷になる。また水系の接続は無いが筑紫野市を経て福岡平野にも出やすい特異な地形にあります。邪馬台国日田説は有力とは言いにくい面もあるが、何らかの有力な国があったと見るべきなのか?


曹操墓出土の鏡8
九州の弥生遺跡(左)と前期古墳分布(右)
クリック拡大

曹操墓出土の鏡9
九州の前期古墳一覧(二段クリック拡大

上図表は、九州全域の弥生遺跡と、その後の前期古墳を洗い出したものです。遺跡状況で見ると、弥生時代と古墳時代前期の間はスムースに継承していない地域もあります。問題の日田市には、弥生時代~古墳時代前期の遺跡は小迫辻原遺跡(3~4世紀)があるが、鏡が出土したダンワラ古墳とは5Kmほど離れている。またこの地域には前期古墳はない。日田市付近の氏族が勢力を持ったのは古墳時代も中期以降と考えられる。鉄鏡の鋳造時代を後漢(25-220年)と考えると、倭国に入った時期はから西普時代でしょう。西普以降の中国は内乱の時代で、倭国からの朝貢は266年を最後に途絶えた可能性があるからです。弥生末期遺跡の分布状況から見て、当初入手したクニは北九州福岡市付近にあったと見る方が考えやすい。その後、九州倭国内の争乱等によって鉄鏡が日田に流出したという仮説も有り得るのではないか。






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地勢的には久留米平野の奥座敷になる * by レインボー
>また、此処には邪馬台国日田説もあったような気がします。大分県に入るが、地勢的には久留米平野の奥座敷になる。邪馬台国だとは言いませんが、何らかの有力な国があったと見るべきなのか?

〇興味深い記事でした。
 邪馬台国時代は多くの小国があった時代で、場所的に、その周辺の一つであった可能性がありますね。
 これからの研究が楽しみです。
 草々

Re: 地勢的には久留米平野の奥座敷になる * by 形名
レインボーさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
日田の鉄鏡は、銅鏡のように倭国で作成したとは思えませんから、朝貢の機会に
入手したか、中国使節の贈答品かも知れない。しかし、どのクニの朝貢なのか
ということは、まったく分かりません。邪馬台国かもしれないし、他のクニの
朝貢の可能性もあるでしょうね。でも、記事でも書きましたが、日田は内陸部
なので余計考えにくい地勢という気もします。倭国内の戦乱の結果、奪われた
ような宝物とでも考えたほうが・・・

No title * by bigbossman
いつも興味深く拝見させていただいております
この鉄鏡は古物商で発見されたんですよね
それが出土したとされる古墳も破壊されてしまって詳細不明
ですから、明治から戦前にかけて中国から持ち出され
日本に渡った可能性もあると自分は考えています

Re: No title * by 形名
bigbossman さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
梅原末治と渡辺音吉の現地調査は発見から30年も経過してるし、現地確認してるとはいえ怪しい点がありますね。古墳の形態も竪穴式と横穴式が混在してるような証言で疑問があります。それ以前に音吉という人物像が分からず、信頼できるのかという問題もありますね。 また19世紀末の中国清朝においては、イギリス、ロシアなどの欧米列強の食い物にされており、美術品の不正持ち出しは多かったろうと想像できます。日本に降伏してからは、軍部やそれに近い民間人による持ち出しも十分考えられますね。仮に音吉の偽証となれば、どんなルートで入手したのか、何の意図があったのかという観点でも調べる必要がありますね。でも、どうも音吉についてはどんな人物か分かりません。bigbossman さんに調査依頼しますかね!

No title * by bigbossman
こんにちは
ふたたびコメントさせていただきます
自分が言ってるのはあくまで可能性の問題で
日本にはお金持ちの古鏡コレクターがいるんですが
その方たちはじつに様々な方法で鏡を手に入れているので
そこから思いいたりました

ただ、反証になるかはわかりませんが、
この近隣から金錯鉄帯鉤というものが発見されていて
それと関係があるとしたら、鏡も実際の出土物なのかもしれません
どちらにしても、出土状況が不確かで考古学者は口を出しにくいだろうと思います
これは中国で発見された三角縁神獣鏡も同様です

あと、日田については、ヤマト王権の九州進出の
拠点の一つだと考えています

Re: No title * by 形名
bigbossman さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

日田市の鉄鏡は群馬の蟹沢古墳の正始元年銘三角縁神獣鏡の出土経緯と似たところがあって興味をひくのですが、日田の場合は通常の古墳からは出土しないモノであるので、よけい不思議です。説としてあるようですが、出土が事実なら九州北部のクニから倭国内乱を機に流出した宝物のような気がします。もっとも出土した古墳の築造年代もわからないので、すぐに埋納されたのか、伝世鏡で長く保管後の埋納なのか分かりませんけどね。土地勘がないのですが、日田は耕地面積からして大人口を維持できるような大きなクニの可能性は薄いと考えています。独自の力で中国より入手したものとは考えにくいだろうと。
すぐ隣のうきは市は5世紀中葉には、畿内出身の豪族、的臣が入っていますね。でも、入植はしているが、その後の文化性を見ると周辺の九州勢力に溶け込んだような印象があります。もともと九州の東岸の前期古墳は大和政権の影響が強いので、豊前から遡上したヤマト勢力の影響はあったのでしょう。ただ、筑前南部も、のちに筑紫磐井の勢力が及んでいますからね。継続的にヤマト優勢の地であったのかは、よく分からないです。

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地勢的には久留米平野の奥座敷になる

>また、此処には邪馬台国日田説もあったような気がします。大分県に入るが、地勢的には久留米平野の奥座敷になる。邪馬台国だとは言いませんが、何らかの有力な国があったと見るべきなのか?

〇興味深い記事でした。
 邪馬台国時代は多くの小国があった時代で、場所的に、その周辺の一つであった可能性がありますね。
 これからの研究が楽しみです。
 草々
2019-09-09-09:02 * レインボー [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: 地勢的には久留米平野の奥座敷になる

レインボーさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
日田の鉄鏡は、銅鏡のように倭国で作成したとは思えませんから、朝貢の機会に
入手したか、中国使節の贈答品かも知れない。しかし、どのクニの朝貢なのか
ということは、まったく分かりません。邪馬台国かもしれないし、他のクニの
朝貢の可能性もあるでしょうね。でも、記事でも書きましたが、日田は内陸部
なので余計考えにくい地勢という気もします。倭国内の戦乱の結果、奪われた
ような宝物とでも考えたほうが・・・
2019-09-09-12:56 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

いつも興味深く拝見させていただいております
この鉄鏡は古物商で発見されたんですよね
それが出土したとされる古墳も破壊されてしまって詳細不明
ですから、明治から戦前にかけて中国から持ち出され
日本に渡った可能性もあると自分は考えています
2019-09-09-16:12 * bigbossman [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: No title

bigbossman さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
梅原末治と渡辺音吉の現地調査は発見から30年も経過してるし、現地確認してるとはいえ怪しい点がありますね。古墳の形態も竪穴式と横穴式が混在してるような証言で疑問があります。それ以前に音吉という人物像が分からず、信頼できるのかという問題もありますね。 また19世紀末の中国清朝においては、イギリス、ロシアなどの欧米列強の食い物にされており、美術品の不正持ち出しは多かったろうと想像できます。日本に降伏してからは、軍部やそれに近い民間人による持ち出しも十分考えられますね。仮に音吉の偽証となれば、どんなルートで入手したのか、何の意図があったのかという観点でも調べる必要がありますね。でも、どうも音吉についてはどんな人物か分かりません。bigbossman さんに調査依頼しますかね!
2019-09-09-17:15 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

こんにちは
ふたたびコメントさせていただきます
自分が言ってるのはあくまで可能性の問題で
日本にはお金持ちの古鏡コレクターがいるんですが
その方たちはじつに様々な方法で鏡を手に入れているので
そこから思いいたりました

ただ、反証になるかはわかりませんが、
この近隣から金錯鉄帯鉤というものが発見されていて
それと関係があるとしたら、鏡も実際の出土物なのかもしれません
どちらにしても、出土状況が不確かで考古学者は口を出しにくいだろうと思います
これは中国で発見された三角縁神獣鏡も同様です

あと、日田については、ヤマト王権の九州進出の
拠点の一つだと考えています
2019-09-10-12:43 * bigbossman [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: No title

bigbossman さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

日田市の鉄鏡は群馬の蟹沢古墳の正始元年銘三角縁神獣鏡の出土経緯と似たところがあって興味をひくのですが、日田の場合は通常の古墳からは出土しないモノであるので、よけい不思議です。説としてあるようですが、出土が事実なら九州北部のクニから倭国内乱を機に流出した宝物のような気がします。もっとも出土した古墳の築造年代もわからないので、すぐに埋納されたのか、伝世鏡で長く保管後の埋納なのか分かりませんけどね。土地勘がないのですが、日田は耕地面積からして大人口を維持できるような大きなクニの可能性は薄いと考えています。独自の力で中国より入手したものとは考えにくいだろうと。
すぐ隣のうきは市は5世紀中葉には、畿内出身の豪族、的臣が入っていますね。でも、入植はしているが、その後の文化性を見ると周辺の九州勢力に溶け込んだような印象があります。もともと九州の東岸の前期古墳は大和政権の影響が強いので、豊前から遡上したヤマト勢力の影響はあったのでしょう。ただ、筑前南部も、のちに筑紫磐井の勢力が及んでいますからね。継続的にヤマト優勢の地であったのかは、よく分からないです。
2019-09-10-15:06 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]