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東国の古代史

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2019-10-09 (Wed)  10:25

古墳石室の構造変化(1/5) - 胴張型石室は渡来系か? -

本稿シリーズは2014年に執筆した記事をベースに全面的に加筆・書き直したものです。

(1)胴張型石室の形態
胴張型石室とは、専門用語で横穴式石室の床面や壁面が曲面で構成された石室を指します。曲面といっても球形とまではいかず、多くは三味線の胴のような形が多いので、三味線型と呼ばれることもあります。この形の石室は埼玉県の旧比企郡地域(埼玉県の中央部)を中心に非常に多く見られます。群馬県にも南部の藤岡市にありますが絶対数は少ない。おそらく埼玉県の葬送文化の影響を受けているものと思います。

      
古墳石室の構造変化2
群馬県藤岡市にある伊勢塚古墳石室(藤岡市hpより) 


古墳石室の構造変化3
模様積みの石室壁面(日本の遺跡17群馬県西部版より) 


伊勢塚古墳は、古墳のデパート、群馬にあっても特異な古墳です。墳丘が不正八角形であることも特徴とされるが、目立つのは、石室壁面が大小の河原石を組み合わせた模様積みであることです。そのため見逃しやすいが、写真でも分かるように明らかに胴張型石室です。石室内部に鋭角的な箇所はなく、奥壁を除いて床面も壁面も緩いカーブを描いているのが特徴です。古墳の外見的なサイズに比べて石室は非常に広く、かつ、天井が高い。力学的にも高度な技術が使われているのは素人にも分かります。このような石室は今まで見たことがありません。大型の石室材は天井石のみで、他には小さな自然石が多いせいか、中に入ると崩れないか不安に感じます。しかし、築造から1500年の間には大きな地震もあったと思います。それに耐えたということは安定した構造であることを証明していると言えるでしょう。
 

古墳石室の構造変化1
伊勢塚古墳は不正八角形墳とされているが外見は円墳に見える(藤岡市hpより)


古墳石室の構造変化4
胴張型の床面と壁面
 

古墳石室の構造変化5
粘土基盤層に細長い石を叩き込んだ裏込め手法による模様積み壁面


埼玉県秩父郡皆野町金崎に所在する大堺2号墳は典型的な埼玉型の胴張型石室をもつ。伊勢塚古墳は大量の粘土を基層にして自然石を挿して曲面を作っているが、こちらは埼玉県西北部にある緑泥片岩の板石を持ち送りの技法で曲面に積み上げている。画像でも分かるが小さな墳丘に対して大きな石室を実現しており、構造的にも安定しているように見える。
 

古墳石室の構造変化19
金崎古墳群に残存する4基の中の大堺2号墳


古墳石室の構造変化20
大堺2号墳の石室(板石の持ち送り積みによる胴張型石室)


群馬の伊勢塚古墳と埼玉の大堺2号墳の石室は形状的によく似ているが、築造方法には大きな違いがある。形態的な影響は受けていても、各々の環境条件に合った独自の方式を編み出している点に注目する必要があるでしょう。伊勢塚古墳は付近の鏑川の河床から自然石が入手でき、埴輪窯が多い土地柄ですから粘土が容易に手に入る。一方、金崎古墳群の近所では石室材料の緑泥片岩(武蔵青鉄平石)の露頭があちこちにあります。この石は片理と呼ばれる板状に割れやすい性質があり、加工運搬が容易です。両者とも無理をせず、立地環境に合った築造方法を工夫しています



(2)胴張型石室と築造氏族の関係
埼玉県立さきたま史跡博物館や埼玉県立博物館の館長を務めた金井塚良一氏は数年前に亡くなられた。同氏は、1980年代から一貫して以下のような説を述べています。

胴張型石室は7世紀の初頭に埼玉県比企地方で出現し、以後、急激な展開を示している。墓制を持ち込んだのは壬生吉志などを代表とする渡来系氏族であると推定できる。根拠は入植の時代や地域と展開の仕方が一致するためである。この墓制は吉見丘陵東松山台地に始まり、西に向かって荒川中流右岸に至り、嵐山方面にも広がっている。
 
古墳石室の構造変化21
金井塚良一氏

金井塚氏のこの説は有名なものですが、現在では他の研究者から否定的な評価を受けています。この説が提唱された時代は埼玉の考古調査も十分ではなく、やむを得ない部分があると思います。否定されている根拠を以下に示します。
 
①埼玉県でのその後の調査成果
埼玉の古墳調査や研究が進むにつれて、胴張型石室壬生吉志の展開地域とは別な場所にいくつも発見されている。また、胴張型石室を持つ古墳は7世紀初頭だけではなく、6世紀後半のものも見つかっており、壬生吉志氏族が入植した時期よりも前に出現している。
 
②群馬県の渡来氏族の墓制
上毛野国と武蔵国は文化的にも共有範囲と見ることが可能である。また、群馬県にも渡来系氏族(吉志集団)の入植があったことは文献史研究などから確実視されている。しかし、入植した地域と胴張型石室という墓制分布が必ずしも一致しない。さらに、前述したように非常に数が少なく、渡来系氏族がその他の形態の墓制も取り入れていたと考えないと無理がある。
  
③胴張型石室の分布状況
最近は全国的な規模での調査が行われており、分布範囲が明確になってきている。その結果、埼玉県の特定地域に限定しているわけでなく、東北南部関東北部信濃相模駿河三河尾張美濃と東日本全域にあるといってもよい。九州をはじめ西日本にも分布している。これらの地域にも渡来系の氏族は入植していないとは言えないが、吉志集団という特定の渡来系氏族の居住地とは言い難い。同一氏族依存の墓制となると広すぎて説明できない。
 

したがって、吉志集団と胴張型石室という墓制とは直接関係しないという事は、状況証拠として明確に言えると思います。ただ、吉志集団は胴張型石室を採用しなかったと言っている訳ではありません。渡来系氏族が独自の墓制を持っていたことは十分考えられるが、移住先の地方には地方独自の墓制習慣があったはずです。新たに入植してきた氏族が氏族墓制を守り通す場合もありうるが、地方の文化を受け入れて融合していく場合も多いと思います。氏族と墓制を連結することは重要なヒントであるが、頑なに連結して固定化してしまうのは柔軟な考え方とは言えないと思います。

もし、胴張型石室が特定氏族独自の文化ではないとしたら、何故、生まれてきたのか? 次稿からは其の点を検討したいと思います。
 


次稿に続く
 
参考・引用資料
■『古代東国史の研究』  金井塚良一 著
古代東国の原像   金井塚良一他 著
古代東国と大和政権 森田悌 著
古代の群馬埼玉   松島栄治他 著




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こんばんは。tat**465さん。

鍵はいりませんよ!
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これが私の趣味No1です。
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tat**465さん。
興味はあっても中々記事を書くのは大変ですね。
歳のせいか素早く書けなくなってます。
読書量が落ちているのも原因かな。
本当はもっと重いテーマで書きたいんですけど。
いずれね。おやすみ。

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おはようございます。初めて知る新しい事実です。少し難しい記事内容のため、消化が進みません。少しづつ咀嚼します。(笑)

進化した技術集団の築いた横穴墓と見るべきでしょうか。ここでも尾張は不気味な存在感を見せていますね。

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sagamiwanさん、こんにちは。
古墳石室の変遷にも触れず、いきなり本題に導入したので分かりにくいかも知れませんね。それに文章がヘタなので…

私は、古墳時代の前期においては各氏族の葬送文化が自由に現れていたと思うのですが、7世紀初頭からは律令の前段階に相当するような規制の枠が徐々に進行した時代と考えています。まだ不文律だったと思いますが。此処に上げた石室築造形式という一例も氏族に特化したものではなく、環境要因で必然的に発生した技術だと思っています。記事中に記載してませんが、実は九州にも胴張型の石室は多いようです。列島各地への広範囲な展開を見ると氏族限定文化とみるのは無理があるように思います。

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2014-06-19-23:55 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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興味はあっても中々記事を書くのは大変ですね。
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本当はもっと重いテーマで書きたいんですけど。
いずれね。おやすみ。
2014-06-20-00:40 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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おはようございます。初めて知る新しい事実です。少し難しい記事内容のため、消化が進みません。少しづつ咀嚼します。(笑)

進化した技術集団の築いた横穴墓と見るべきでしょうか。ここでも尾張は不気味な存在感を見せていますね。
2014-06-20-05:59 * sagami_wan [ 編集 * 投稿 ]

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sagamiwanさん、こんにちは。
古墳石室の変遷にも触れず、いきなり本題に導入したので分かりにくいかも知れませんね。それに文章がヘタなので…

私は、古墳時代の前期においては各氏族の葬送文化が自由に現れていたと思うのですが、7世紀初頭からは律令の前段階に相当するような規制の枠が徐々に進行した時代と考えています。まだ不文律だったと思いますが。此処に上げた石室築造形式という一例も氏族に特化したものではなく、環境要因で必然的に発生した技術だと思っています。記事中に記載してませんが、実は九州にも胴張型の石室は多いようです。列島各地への広範囲な展開を見ると氏族限定文化とみるのは無理があるように思います。
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