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東国の古代史

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2019-01-08 (Tue)  15:43

人口で見た『魏志倭人伝』の欺瞞

ちょっと過激な標題ですが・・・

ご存知のように魏志倭人伝にはヤマタイ国に関する記述がある。学者さんは、「距離」「方位」「所要時間」などに対して、誤字や、単位の違い、計測法の違い、説明の言い換え表記等、都合の良いあらゆる解釈を展開する。勉強不足だとまるで訳がわからない。そこで、素人でも突っ込めそうな処はないかと探すと人口くらいしかない。人口ならば、誤字や単位の違いでは学者さんも素人を誤魔化せない。^^

以下の表は『魏志倭人伝』からの出典です。朝鮮半島からヤマタイ国へ至る道筋にある国とその戸数を抽出してる。

人口で見た魏志倭人伝の欺瞞1

【補足】
■「餘戸」とは「余戸」のこと。「余」は一般的に有効数字の一桁未満とも云われるが、此処では厳密に計算しても意味が無いので端数は省略してカウントしない。
■戸と家という単位について、どう違うのか調べてみたが、定説は見つからない。住民の構成が一般の農民などと異なる場合に使われると思われるが、此処では厳密に突き詰めても影響は少ないので、「戸」=「家」とカウントする。


戸数は分かったが、これを人口に変換する必要があります。戸口制度は律令戸籍制度による住民管理単位です。1戸はだいたい4人の成年男子から構成される。成年男子は家族を持っても戸内に留まるので、4家族のカウントになる。従って、戸は5~20人くらいの幅を持つことになります。此れでは余りにも幅がありすぎます。
それ以前に日本の律令戸籍制度の成立は7~8世紀にかけてであり。ヤマタイ国の時代にそんなものはありません。例え、戸の概念があったとしても、魏志は中国人によって書かれているので、中国三国時代の考え方と当時の日本の実態が一致するとは限らない。それでも、人口変換には推定値が必要なので中国の実態を調べてみた。『中国歴代戸口・田地・田賦統計(上海人民出版)』というデータを見ると以下のようにある。
人口で見た魏志倭人伝の欺瞞2
この表から読み取ると、三国時代の中国の一戸は5.617人となる。また魏志において、東のヤマタイ国に対比された西の大国であるクシャン国(親魏大月氏国)の記録を見ると、

「戸数10万戸、口40万、勝兵10余万」

と記録されている。つまり戸数は10万戸、人口は約50万人です。このデータから計算しても一戸は5人強の値で一致してる。

一方、中国の「魏」「呉」「蜀」の三国時代(西暦263~280年)の戸籍人口総計は800万人に満たないというデータもある。三国を統一した晋の戸籍人口は1600万人以上であり、僅かの間に倍増してる。この値は前述の上海人民出版のデータと全く一致しない。当時のような戦乱の時代では、戸籍人口に比べて浮浪人口が多いという事情があります。前述の上海人民出版のデータも戸籍からのみの計算か、浮浪者の推定値を含めているのか不明ですが、誤差の大きいデータと見たほうが良いでしょう。


さて本題に戻るが、魏志倭人伝によると、日本はヤマタイ国を含めた道筋に15万戸以上の戸数があったことになる。これは合計で75万人になる。地図で見ても日本の国土の数十倍のクシャン国でさえ総人口は50万人であるが、ヤマタイ国は、その国だけで7万戸、35万人以上の人口になる。

人口で見た魏志倭人伝の欺瞞3
クシャン国


また、西暦280年当時の中国普朝の首都「洛陽」の人口は7万戸です。つまりヤマタイ国は、超大国である普の首都と同じ人口を持つ国であったと記録されている。これは驚くべき数字です。試しに日本の学者が推計した日本自体の人口推移データを以下に示します。弥生時代に戸籍がある訳もないので遺跡の個数や密度などから推計している。戸籍が出来た以降はそのデータも加味して補正しています。

人口で見た魏志倭人伝の欺瞞4


すると魏志倭人伝が書かれた西暦280年頃の日本は人口が60万人程度です。この推計は現在の日本全国の範囲です。魏志のヤマタイ国に至る道筋にある国だけで当時の推定総人口を超えています。ヤマタイ国が何処にあったかは別として少なくとも日本には此の数十倍の国土があったはずです。

魏志の人口表記がいかに荒唐無稽か分かって貰えたと思います。そもそも、魏志に記録された人口は誰が数えたものか、日本の官吏が口頭で伝え、中国人が記録したのかという疑問もあるのですが、何処かで大幅な誇張が入っている疑いは濃厚です。
この人口規模を真に受ければ、当時の自然発生的な人口密度や食料の確保に足る農地面積を考えても、行程の距離感やヤマタイ国の配置にも影響してきます。魏志の信奉者は「人口だけは誇張してあっても、その他は正確だ」と言うかも知れない。しかし、ある部分だけ正確で、ある部分は嘘という都合の良い解釈は成り立たないでしょう。私個人的には魏志倭人伝は欺瞞に満ちた文書だと思います。





【参考・引用資料】
■魏志 東夷伝 倭人条       原文版、翻訳版公開サイト
■人口から読む日本の歴史      鬼頭宏  講談社学術文庫
■倭国               岡田英弘 中央公論新書
■歴史人口学の世界         速水 融  岩波書店
■中国歴代戸口・田地・田賦統計   上海人民出版データサイト
■Wikipedia             ウィキメディア財団サイト


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No title * by さらばんど
ロマンがありますねー(^^)d
邪馬台国は奈良の巻向遺跡だと
信じてます。倭国王の金印は三輪山の
頂上からから出てくるでしょう。
根拠!?そんなんありまへん(*^^*)
ナイス

No title * by 形名
> さらばんどさん、こんばんは。
ヤマタイ国近畿説派ですね。
私も同じですが、最近は余り自信は無いんです。^^ゞ
三輪山の頂上から金印が出たら面白いですね。
奈良盆地最古の自然神信仰の地でしょうからね!
クナ国は尾張だったりして…?

No title * by sagami_wan
人口表記がいかに荒唐無稽かはよくわかりました。随行した中国人の記録であっても、伝聞による情報をそのまま記録した可能性が強いですね。
水田耕作面積を見ても、信じられない人口統計ですね。
魏志倭人伝を人口統計から可視化することで、アマチュアが議論に参加できるようにした作業と言えますね。

No title * by 形名
> sagami_wanさん、こんにちは。
私も昔ずいぶん調べたのですが、陳寿がどこまで自分の足で調べ
たのかよく分かっていないですね。陳寿自身はいい加減な人物で
はないという印象があります。しかし、当時の政権掌握に成功し
た司馬氏は東夷地方に領土を広げた功績により権力を得たので、
これを誇張するために潤色した可能性は捨てきれませんね。
また当時の魏が呉と激しい戦いを行っていた事を考えると親魏
倭王が大国であることは情報戦略上からも有利になるので、
その為の誇張という論理も有ると思います。
古文献を参照する時は内外も含めて当時の政治情勢やそこから
くるバイアスを考慮しないと深みにハマるばかりのような気が
しますね。

No title * by 泉城
同感です。

朝鮮半島でも倭国でも1戸は概ね数人程度です。中国の1戸が5~6人程度というのは妥当で私もそうだと思っています。

また、当時の人口推計は、良民のみで賤民・幼児は含まれず、稲のみで穀物・水産物は含まれず、関東の人口や遺跡数が基準となっており過小に推計されていると思います。
また、形名さんのサイトにお寄りしたいと思います。

No title * by 形名
> 石田泉城さん、こんにちは。
泉城さんの2016年の鬼頭宏氏の人口推計批判は読ませてもらいました。確かに出土遺跡の数とか密度に関しては当然誤差が大きいことが予想されるし、当時の食生活の分析が甘い状態で特定穀物だけで推計を行うのは危険ですね。律令時代位に入っても、九州地方はおそらく戸籍の作成は進んでいたんじゃないかと思いますが、地方によって差が大きかったようなので納税できる人間が対象の戸籍に頼りすぎる人口推計も危険ですよね。
ところで、泉城さんは九州王朝説に立つ人というのは分かりますが、此の説に立つ方でもバリエーションが多くて意見交換のさいに注意しないと相手の言わんとしてることが正確に理解出来ない場合もありますね。私も歴史には全く素人なので分かりやすく批評して頂けると助かります。またお越しください!

No title * by kawa**tu
お久しぶりです。
いい記事です。

No title * by 形名
> kawa**tuさん、ひさしぶりですね。
もっとも最近また歴史関係の記事も書くようになったので、
ネット上で調べてるうちによくkawakatuさんの記事に当たります。
改めて情報量の多さに関心しますよ。
kawakatuさんは自営業でしたっけ?私はリタイヤしたので以前
よりはずっと暇な体になりました。お互いもういい歳ですね!
また記事を読みに伺います。

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ロマンがありますねー(^^)d
邪馬台国は奈良の巻向遺跡だと
信じてます。倭国王の金印は三輪山の
頂上からから出てくるでしょう。
根拠!?そんなんありまへん(*^^*)
ナイス
2018-01-08-18:08 * さらばんど [ 編集 * 投稿 ]

No title

> さらばんどさん、こんばんは。
ヤマタイ国近畿説派ですね。
私も同じですが、最近は余り自信は無いんです。^^ゞ
三輪山の頂上から金印が出たら面白いですね。
奈良盆地最古の自然神信仰の地でしょうからね!
クナ国は尾張だったりして…?
2018-01-08-19:27 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

人口表記がいかに荒唐無稽かはよくわかりました。随行した中国人の記録であっても、伝聞による情報をそのまま記録した可能性が強いですね。
水田耕作面積を見ても、信じられない人口統計ですね。
魏志倭人伝を人口統計から可視化することで、アマチュアが議論に参加できるようにした作業と言えますね。
2018-01-09-06:45 * sagami_wan [ 編集 * 投稿 ]

No title

> sagami_wanさん、こんにちは。
私も昔ずいぶん調べたのですが、陳寿がどこまで自分の足で調べ
たのかよく分かっていないですね。陳寿自身はいい加減な人物で
はないという印象があります。しかし、当時の政権掌握に成功し
た司馬氏は東夷地方に領土を広げた功績により権力を得たので、
これを誇張するために潤色した可能性は捨てきれませんね。
また当時の魏が呉と激しい戦いを行っていた事を考えると親魏
倭王が大国であることは情報戦略上からも有利になるので、
その為の誇張という論理も有ると思います。
古文献を参照する時は内外も含めて当時の政治情勢やそこから
くるバイアスを考慮しないと深みにハマるばかりのような気が
しますね。
2018-01-09-10:57 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

同感です。

朝鮮半島でも倭国でも1戸は概ね数人程度です。中国の1戸が5~6人程度というのは妥当で私もそうだと思っています。

また、当時の人口推計は、良民のみで賤民・幼児は含まれず、稲のみで穀物・水産物は含まれず、関東の人口や遺跡数が基準となっており過小に推計されていると思います。
また、形名さんのサイトにお寄りしたいと思います。
2018-01-09-13:35 * 泉城 [ 編集 * 投稿 ]

No title

> 石田泉城さん、こんにちは。
泉城さんの2016年の鬼頭宏氏の人口推計批判は読ませてもらいました。確かに出土遺跡の数とか密度に関しては当然誤差が大きいことが予想されるし、当時の食生活の分析が甘い状態で特定穀物だけで推計を行うのは危険ですね。律令時代位に入っても、九州地方はおそらく戸籍の作成は進んでいたんじゃないかと思いますが、地方によって差が大きかったようなので納税できる人間が対象の戸籍に頼りすぎる人口推計も危険ですよね。
ところで、泉城さんは九州王朝説に立つ人というのは分かりますが、此の説に立つ方でもバリエーションが多くて意見交換のさいに注意しないと相手の言わんとしてることが正確に理解出来ない場合もありますね。私も歴史には全く素人なので分かりやすく批評して頂けると助かります。またお越しください!
2018-01-09-15:03 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

お久しぶりです。
いい記事です。
2018-01-09-19:36 * kawa**tu [ 編集 * 投稿 ]

No title

> kawa**tuさん、ひさしぶりですね。
もっとも最近また歴史関係の記事も書くようになったので、
ネット上で調べてるうちによくkawakatuさんの記事に当たります。
改めて情報量の多さに関心しますよ。
kawakatuさんは自営業でしたっけ?私はリタイヤしたので以前
よりはずっと暇な体になりました。お互いもういい歳ですね!
また記事を読みに伺います。
2018-01-09-20:12 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]