日本書紀の安閑天皇元年(西暦534年)に東国で大きな動乱があったことが記録されている。以下、原文と翻訳文(宇治谷孟版)で記載する。
■原文
「 武藏國造笠原直使主與同族小杵相爭國造。經年難決也。小杵性阻有逆。
心高無順。密就求授於上毛野君小熊、而謀殺使主。使主覺之走出。
詣京言状朝庭。臨斷以使主爲國造。而誅小杵國造使主悚憙交懷。不能默已。
謹爲國家奉置横渟。橘花。多氷。倉樔。四處屯倉。」
■訳文
「 武蔵国では、笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が国造
の地位を争って長年決着しなかった。小杵は性格が激しく人に逆らい高慢で素直では
なかった。ひそかに上毛野君小熊(おぐま)に助力を求め、使主を殺そうと図った。
使主は、それに気づき、逃げ出して京に至り、実情を言上した。朝廷では裁断を下さ
れ、使主を国造とし、小杵を誅された。使主は恐慴感激して黙し得ず、帝のために、
横渟、 橘花、多氷(多磨)、倉樔(倉樹)の四ヶ所の屯倉を設けてたてまつった 」
【補足】
横渟屯倉 (よこぬみやけ)・・・武蔵国横見郡(埼玉県比企郡吉見町)
橘花屯倉 (たちばなみやけ)・・武蔵国橘樹郡(神奈川県川崎市~横浜市港北区)
多磨屯倉 (たまみやけ)・・・・武蔵国多磨郡(東京都あきる野市)
倉樹屯倉 (くらきみやけ)・・・武蔵国久良岐郡(神奈川県横浜市)
この記録は多くの書籍で取り上げられており、日本史に興味を持つ人は、ご存知の方も多いと思います。単に異色な記録であるだけでなく、東国の古代史に関わる重要な出来事である可能性もあります。日本書紀によると、継体天皇に続く安閑、宣化、欽明はいずれも継体天皇の子で順番に即位したことになっている。しかし、継体と安閑の年齢差は僅かしかない可能性があり、親子関係も怪しい。また、継体崩御による後継者決定は尋常では無かった可能性がある。日本書紀は、継体天皇25年(531年)に「天皇と子は皆死んでしまった」という百済本記の記述を引用している。政変によって継体、安閑、宣化は殺害され、今城塚古墳の3つの石棺(推定)に収めれた可能性もあるのだろうか。武蔵国造の乱は政変の直後であることが気になります。また一説には、この時代は欽明天皇との二朝並立という見方もあるようです。このような政情をみると、武蔵国造の乱も日本書紀独特の皇位争いに絡んだ事件かという疑いもあるが、畿内から遠い地方ですから、それは読み過ぎかも知れません。
一方、この争乱から遡る継体天皇21年(527年)に筑紫君磐井が朝廷と争乱(磐井の乱)を起こしています。武蔵国造の乱も国造地位争いというより、地方勢力による反乱事件という見方も一応は検討してみた。しかし、地勢的に見ても反乱を起こした小杵が朝廷に反抗するに足る軍事力・財力を保持していたとは考えにくい。九州北部沿岸の制海権、朝鮮半島との交易を握っていた筑紫君磐井と同列には見られないからです。やはり、書紀の争乱ストーリーを受け入れるしかないような気がします。
また、安閑期は天皇のたった2年の在位中に屯倉の設置が数多く記録されているのも特徴です。武蔵国造の乱自体も前述の4つの屯倉の設置経緯として記録されています。屯倉の設置は朝廷の地方支配の状況を示す証拠となり得ますが、殆どが設置経緯の説明もなく、名前だけが数十個列挙されている。書紀編纂時に、設置時期が不明な屯倉を架空の天皇事績に集約した可能性もあり得るでしょう。
しかし、前述の4つの屯倉だけは具体性があり、経緯の信憑性評価は必要ですが、この時代に設置されたことは事実と思われます。この争乱を朝廷の屯倉設置戦略と捉えれば、国造争いを利用した屯倉設置の裏取引があったとも考えられる。使主の「不能默已(恐慴感激して黙し得ず)」という記述はいかにも嘘くさい表現になっています。
この記録をテーマの冒頭に持ってきたのは理由がありまして、上毛野国の豪族と呼ばれている上毛野君小熊が登場するからです。小熊はカバネのついた上毛野氏として六国史に登場する最初の人物です。もちろん、彼らの始祖と伝承される人物の記述はあるのですが、実在性が薄いと考えています。
上毛野氏は興隆していく7世紀後半に入ると記録が多くなるが、創生期の5~6世紀における出自はよく分からない謎の氏族です。一般に上毛野国の地方出身豪族と言われることが多いが、その説には従えません。それは本題に関わるので、おいおい述べていきます。
伝説に彩られた上毛野氏の実体を見いていくのは容易なことではないのですが、いきなり本題に入っても面白くないので、武蔵国造の乱から入っていこうと思います。次回はこの争乱をもう少し突っ込んでみます。
次回に続く

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Re: No title * by 形名
京一郎さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
3D京都さんのハンドルネームだったのですね。
お褒めの言葉を頂いて恐縮です。
お住まいは愛知県でしたか。私も三河のほうですが、2年ほどいたことがあります。
古代史を趣味にする人にとって愛知県は重要な場所ですね。
北陸、中部、関東、東北と、人と文化の流れを遡るとに濃尾平野にたどり着きます。
東だけでなく、纏向遺跡からも東海土器は沢山出土してますし。
文化発祥地としても尾張は重要地点ですね。
京一郎さんの3D動画はFC2の中でも異色の存在ですね。
最近は動画用のツールも優れたものがあるのでしょうが、すごいです。
CADみたいなもの?を使いこなすのだと思いますが、作成するには時間が
掛かるんでしょうね。すばらしい作品作り頑張ってください。
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継体天皇 * by 二瓶好一
継体天皇、安閑、宣化の誕生年について神谷政行氏のブログが真実をついていると思います。
「継体大王の崩御」。但し、記事には混乱があります。安閑、宣化の誕生年が逆転してます。それとそれ以外の記事は、あまり納得できないと思います。
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Re: 継体天皇 * by 形名
二瓶好一さん、こんばんは。
神谷政行氏の名前はどこかで見た覚えがあるのですが、書籍やブログもまだ読んだ事がありませんでした。
継体大王に関しては、以前から興味があるのですが、まだ自分で調べたことがありません。
良い機会ですので、まずは神谷氏のホームページの「要点まとめ」を読んでみたいと思います。
アドバイスありがとうございます。
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アドバイスありがとうございます。
自分は愛知県在住なので東北の歴史や風土はとても新鮮に映ります。
形名さんのブログはとても学究的で内容が濃いので浅学な自分はコメントもできないです 笑。でも、同じブロガーとして素晴らしい記事を書ておられる形名様に敬服しエールを送りたい気持ちでコメントさせて頂きました。