FC2ブログ

東国の古代史

Top Page › 古代日本史考 › 神話の形成と目的(1/5) - 天孫降臨の地 -
2019-02-19 (Tue)  10:46

神話の形成と目的(1/5) - 天孫降臨の地 -

神話というのは王権の権威付けに作られたのは明白ですが、真の目的は王権の成立過程の正当性と臣下との関係性を定義する事だと思います。特に臣下が王権に従う必然性の設定が一番の目的だと思う。記紀神話を見ていくと、王権と臣下の始祖神が天神から生成されていく場面が不自然に続きます。また、多くの場面で王権に協力する人格、婚姻する人格、刃向かう人格が現れる。中には誅殺される者もいるが、多くは服従して臣従氏族名が明らかにされていく。


記紀の成立時期は、前者が712年、後者は720年とされています。帝紀、旧辞、各氏族墓記等が691年頃から収拾されてベースになったと云われている。更に、713年には風土記の編纂が一斉に開始されます。風土記の完成は716年あたりでしょうか。
文献史学者の森博達氏も著書の中で神代編を含む日本書紀巻1~13は後発であると説いています。ただ古事記と書紀の間では神話の類似点は多いです。どちらが参照したか分かりませんが、712年にはどちらも、ほぼ完成していたのかも知れない。
風土記は基本的には地方の逸話そのままかと思います。しかし、明らかに記紀の話と被る部分においてはチェックされ、改変された可能性があるでしょう。特に国譲りの地や天孫降臨地の風土記では矛盾しないよう配慮されたのではないか。

神話の形成と目的3
記紀・風土記執筆年代(書紀の推定値は森博達著書から引用)クリック拡大


現代では記紀神話の研究が進み、特に比較神話学によって古代の日本神話が二元構造であった事が論考され、認められています。また神話の形成段階もある程度、解析されるようになりました。これらの研究を行う人は何人もいますが、大林太良氏と溝口睦子氏はよく知られている研究者だと思います。
溝口氏の学術著書『王権神話の二元構造』は大きな図書館に行けばありますが、貸出されない場合が多い。しかし岩波新書から一般向けに書き下ろされた『アマテラスの誕生』が出ています。簡単ですが構造論を含むので、ここから記紀神話の形成過程について引用します。



第1段階 ムスヒ系建国神話の成立
大王家と物部氏、大伴氏など王権中枢の伴造氏族が作成者した神話。登場する神は以下である。
大王家…タカミムスヒ
・物部氏…ニギハヤヒ
・大伴氏…アメノホシヒ
「ヒ」が付く先祖名はこの3氏族のみ。朝鮮半島の始祖神名との類似性があり、特にタカムスヒは天孫降臨神話と共に朝鮮半島からの外来神の可能性がある。

第2段階 イザナキ・イザナミの国生み、アマテラス、スサノウの誕生、
     オオクニヌシの国造りの物語
4世紀までの日本古代の土着伝承を集成して構成された神話体系で地方豪族が主な作成者。4世紀までの日本には唯一絶対の権威を持つ至高神はいない。そこには豪族連合段階にふさわしい、より人間的な多彩な神々が自由奔放に活躍する多神教的世界がある。この神話は農耕民族の神話で、タイや中国南部などの南方諸国には多く見られる神話形態である。日本書紀では神代編(上)で記載されている。

第3段階 地上世界への天孫降臨
天神の子孫が地上に降臨し、初代天皇が誕生して東征するまでの神話が作られる。天孫降臨神話と神武東征はひと続きのシンプルな話であった可能性が高い。
5世紀になってから導入された北方系の支配者起源神話に範をとった建国神話。王の出自が天に由来することを語る点において、高句麗の建国神話を参照して導入している蓋然性が高い。朝鮮に侵攻した倭国が高句麗の好太王に完敗したことが契機となっている。両者は全体の構成や細部まで類似点が多い。この思想を取り入れたのは、日本だけでなく、百済、新羅、加羅などが取り入れており、当時の最新流行思想であった可能性がある。その大元をたどると北方ユーラシアの遊牧民や匈奴が古くから持っていた王権思想に行き着く。騎馬系民族の神話は中国北方、朝鮮系民族に共通に見られる。

第4段階 オオクニノヌシの国譲り神話
イザナギ、イザナミ系のオオクニノヌシがムスヒ神話系の主神であるタカミムスヒに国の支配権を譲る神話が作られる。第1段階と第2段階が接着される。

第5段階 天孫降臨神話にタカムスヒの降臨指示を挿入
第3段階の天孫降臨神話に、タカミムスヒの降臨指示をニニギが実行する話が追加されて、第1~第3段階までの話が一本につながる

第6段階 日向神話の追加
天孫降臨神話に海幸彦、山幸彦等の日向神話が最後に挿入される。



以上が溝口氏の「神話の二元構造」の論旨概要です。二元というのは、主に第2段階の国生み神話と第3段階の天孫降臨神話が中核構造になっている事を指しています。
溝口氏は、この神話が以下の点で矛盾しているのは、本来の一本構造の神話でなく、無理に接着したことが原因であると述べている。
・国譲りした地は出雲なのに、出雲に降臨せず説明もなく九州へ降臨する
・東征の目的地は出雲ではなく畿内であり、以降も出雲の話は一切出てこない
・国譲りは完了してるのに苦難の東征や敵対勢力が現れて戦う事になる

しかし、溝口氏はどうして個々の神話に手を入れて矛盾を解決しなかったのか、理由を明確にしていない。確かに独立した話を無理に接続すれば矛盾が出るのは普通です。でも矛盾は一目瞭然なので、このストーリーを構築した人物にも分かっていた事だと思います。矛盾があっても、この内容で押し通したのは理由があると考えられる。その理由とは何だろうか?

矛盾解決の作業負荷という視点で見るとどうだろう。
おそらく九州降臨に合わせて国生み神話の地を九州に書き直すのは、多彩な登場人物やオオクニヌシの事績の量から不可能だったと思われます。そのくらい国生み神話は膨大で完成度も高かったのでしょう。民衆にも行き渡っていたと思います。
では逆に、なぜ降臨の地を出雲にしなかったのか? または、矛盾は多少あっても、降臨の地は直接ヤマトでも良かったはずです。降臨に関しては、それほど手続きはいらないので都合の良い場所を選ぶだけです。それをやらないと云うことは、やはり大王家(天皇家)にとって九州に降臨する意味があったと考えざるを得ない。



次回に続きます


【参考・引用】
■アマテラス誕生 -古代王権の源流を探る-  岩波新書    溝口睦子
■日本書紀の謎を解く              中公新書      森博達  
■日本書紀  全現代語訳(上巻)   講談社学術文庫        宇治谷孟
■口語訳 古事記              文藝春秋    三浦祐之


日本史ランキング
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



No title * by カエルの子
出雲の地に住みながら、神楽は楽しみつつも神話は難しくてなかなか理解出来ないでいます(^^;
私の高校生の頃でしたでしょうか、出雲大社で御柱が出た頃にたまたま見に行きました。本殿の前に穴があり柱が見えていました。伝説が現実と繋がって不思議な感じがしたのを覚えています。荒神谷の銅剣も、何か大きな歴史があった地なのだなぁと思います。
神話の中で神様が色々な木々の種を蒔いて、出雲の地を隔絶したような話しを聞いたことがあります。だから島根はずっと、永遠に?田舎のままなんだと思っています(笑)神様が隠したい何かがあるのでしょうか(*´ω`*)

No title * by 形名
> カエルの子さん、こんにちは。
支店休業中でして、本店まで起こしいただいて恐縮です。
出雲は神話の国と呼ばれていますから、神楽にも色々なバリエーションがあるんでしょうね。出雲神話も本来は出雲国風土記にあるようなシンプルな神話だったと思いますが、記紀神話に現れる出雲神話はかなり手を加えられています。いろんな地方の逸話要素が取り込まれているようです。ヤマト王朝が何故に出雲を強く意識したのか、はっきりとは分かりませんが、おそらくヤマト王朝発祥の地は、当初、出雲の影響下にあったという事だと思います。だから自身の正当性を主張するために都合よく改変していったのでしょうね。荒神谷の埋納品も定説のように祭祀を中断せざるを得ないような事態があったような気がします。吉備の勢力が王権に服従したあと、ヤマトと吉備は出雲を攻略したのは事実と思います。出雲も強力なクニであったと思いますが、出雲フルネの西部勢力と東部のオウ宿禰勢力は最後まで結束することがなく、対立的だった。敗因かも知れないですね。

No title * by 形名
ちなみに神武天皇は出雲でなくヤマトに入りましたが、そこで得た正妃、ホトタタライススキ媛は大物主または事代主の娘なんですね。ちょっと名前の意味ははばかるので言えませんが。本稿の最終稿で出てきますが、王権は出雲の血を入れることもしっかり意識していますね。
書紀によると、スサノオの息子、五十猛は地上に降りるとき同行したことになっています。五十猛は妹たちと国土に木を植えていき最後は紀伊国で祭神になりますね。古事記の大国主は国土生成を司るように五十猛も国土生成の神なんだと思いますね。書紀ではイザナミ系が国土を生成したことなっていて大国主の事績が少ないが、これもアマテラス系の力を強化するための改変でしょう。スサノオはやはり本来は出雲の地方神で「須佐の男」だと思います。アマテラスの弟にされて散々な人格にされてしまっているが、これも改変ですね。きっと。

No title * by カエルの子
お返事ありがとうございます。
名前でつまずいて理解が難しく、3回くらい読んでしまいました(笑)
お返事の中で五十猛という名前が出て来ましたが、出雲の西、石見の海岸通りに五十猛という地名が残っています。
息子の名前だったんだぁ~と、ちょっと繋がって興味深いです。
せっかく住んでいるのだから、もっと知らないといけませんね(*´ω`*)
昨夜は古墳についてWikipediaで色々と検索してしまいました(笑)

No title * by 形名
> カエルの子さん
島根県大田市五十猛町をGoogleで見てみました。五十猛町の海岸はすごく綺麗ですね。五十猛神社もありました。山陰はまだ言ったことがないので、出雲、石見に行ってみたいが、是非、五十猛町も候補に入れておきます。出雲は古墳自体はそれほど多くはないですが、弥生時代は四隅突出型墳丘墓という変わった墳墓があります。これは是非見ておきたいですね。

No title * by カエルの子
四隅突出墳丘墓はわが家の近くにありますよ(^_^)公園みたいになっています。
近くは横穴式のお墓もたくさん出ているようで、墓の近くかぁ~と思うこともありますが(笑)
山陰は何も無い所ですが、是非お越し下さいませ(*^^*)
観光案内も出来るかもしれません♪

No title * by 形名
> カエルの子さん
そうですか。このヒトデみたいな古墳は島根県でも東部の出雲、松江周辺とあとは広島と岡山の中間、鳥取県に閉じてるみたいです。カエルの子さんのお住まいは、まさに出雲地方と呼ばれる地域なんですね。良いところにお住まいでいいですねぇ~

Comment-close▲

Comment







管理者にだけ表示を許可

No title

出雲の地に住みながら、神楽は楽しみつつも神話は難しくてなかなか理解出来ないでいます(^^;
私の高校生の頃でしたでしょうか、出雲大社で御柱が出た頃にたまたま見に行きました。本殿の前に穴があり柱が見えていました。伝説が現実と繋がって不思議な感じがしたのを覚えています。荒神谷の銅剣も、何か大きな歴史があった地なのだなぁと思います。
神話の中で神様が色々な木々の種を蒔いて、出雲の地を隔絶したような話しを聞いたことがあります。だから島根はずっと、永遠に?田舎のままなんだと思っています(笑)神様が隠したい何かがあるのでしょうか(*´ω`*)
2019-02-22-01:08 * カエルの子 [ 編集 * 投稿 ]

No title

> カエルの子さん、こんにちは。
支店休業中でして、本店まで起こしいただいて恐縮です。
出雲は神話の国と呼ばれていますから、神楽にも色々なバリエーションがあるんでしょうね。出雲神話も本来は出雲国風土記にあるようなシンプルな神話だったと思いますが、記紀神話に現れる出雲神話はかなり手を加えられています。いろんな地方の逸話要素が取り込まれているようです。ヤマト王朝が何故に出雲を強く意識したのか、はっきりとは分かりませんが、おそらくヤマト王朝発祥の地は、当初、出雲の影響下にあったという事だと思います。だから自身の正当性を主張するために都合よく改変していったのでしょうね。荒神谷の埋納品も定説のように祭祀を中断せざるを得ないような事態があったような気がします。吉備の勢力が王権に服従したあと、ヤマトと吉備は出雲を攻略したのは事実と思います。出雲も強力なクニであったと思いますが、出雲フルネの西部勢力と東部のオウ宿禰勢力は最後まで結束することがなく、対立的だった。敗因かも知れないですね。
2019-02-22-12:09 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

ちなみに神武天皇は出雲でなくヤマトに入りましたが、そこで得た正妃、ホトタタライススキ媛は大物主または事代主の娘なんですね。ちょっと名前の意味ははばかるので言えませんが。本稿の最終稿で出てきますが、王権は出雲の血を入れることもしっかり意識していますね。
書紀によると、スサノオの息子、五十猛は地上に降りるとき同行したことになっています。五十猛は妹たちと国土に木を植えていき最後は紀伊国で祭神になりますね。古事記の大国主は国土生成を司るように五十猛も国土生成の神なんだと思いますね。書紀ではイザナミ系が国土を生成したことなっていて大国主の事績が少ないが、これもアマテラス系の力を強化するための改変でしょう。スサノオはやはり本来は出雲の地方神で「須佐の男」だと思います。アマテラスの弟にされて散々な人格にされてしまっているが、これも改変ですね。きっと。
2019-02-22-12:11 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

お返事ありがとうございます。
名前でつまずいて理解が難しく、3回くらい読んでしまいました(笑)
お返事の中で五十猛という名前が出て来ましたが、出雲の西、石見の海岸通りに五十猛という地名が残っています。
息子の名前だったんだぁ~と、ちょっと繋がって興味深いです。
せっかく住んでいるのだから、もっと知らないといけませんね(*´ω`*)
昨夜は古墳についてWikipediaで色々と検索してしまいました(笑)
2019-02-22-14:02 * カエルの子 [ 編集 * 投稿 ]

No title

> カエルの子さん
島根県大田市五十猛町をGoogleで見てみました。五十猛町の海岸はすごく綺麗ですね。五十猛神社もありました。山陰はまだ言ったことがないので、出雲、石見に行ってみたいが、是非、五十猛町も候補に入れておきます。出雲は古墳自体はそれほど多くはないですが、弥生時代は四隅突出型墳丘墓という変わった墳墓があります。これは是非見ておきたいですね。
2019-02-22-14:43 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

四隅突出墳丘墓はわが家の近くにありますよ(^_^)公園みたいになっています。
近くは横穴式のお墓もたくさん出ているようで、墓の近くかぁ~と思うこともありますが(笑)
山陰は何も無い所ですが、是非お越し下さいませ(*^^*)
観光案内も出来るかもしれません♪
2019-02-22-15:09 * カエルの子 [ 編集 * 投稿 ]

No title

> カエルの子さん
そうですか。このヒトデみたいな古墳は島根県でも東部の出雲、松江周辺とあとは広島と岡山の中間、鳥取県に閉じてるみたいです。カエルの子さんのお住まいは、まさに出雲地方と呼ばれる地域なんですね。良いところにお住まいでいいですねぇ~
2019-02-22-16:04 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]