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東国の古代史

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2019-02-20 (Wed)  09:56

神話の形成と目的(2/5) - 日向神話の必要性 -

前稿からの続きです。

天皇が九州出身という話は、何らかの史実の反映であると考える人は多いと思います。そう考えれば、九州降臨は当然の帰結と言えるでしょう。しかし私は九州出身を史実とは考えていませんし、そもそも神武天皇も実在とは考えていない。本稿の主旨ではないので理由は別稿の機会とします。ただ、天孫降臨神話が現にあるのは事実であり、なぜ日向神話が作られたのか考える必要があります。


『天皇誕生』の著作のある歴史学者 遠山美都男氏は天孫降臨が日向国であった理由を次のように述べる。天岩戸に隠れたアマテラスは神々の協力で復活したが、その際に日神(太陽神)の神格を得ている。従って彼女の天孫が降臨する地は日輪に向かう土地がふさわしかった。当時、日向という土地は各地にあったが、日向国が選ばれたのは代表的であったからである。決して天皇が九州出身だからではないと説いている。私は結論的には賛成だが、土地名だけで九州が選ばれたというのは根拠が薄いと感じます。

前稿の冒頭で「神話は臣下が王権に従う必然性の設定が目的だと述べました。だとすれば、7世紀末から8世紀に掛けて、必ずしも王権に服属しない勢力は東北地方と九州隼人であると思います。特に九州は重要であった。中国・朝鮮半島への航路確保に直接影響するからです。若狭湾からの日本海航路もありますが、夏は安全でも冬期は季節風で危険ですし、大陸への航路は対馬海流に逆らうので利用しづらかったと思います。
磐井戦争でも政権は瀬戸内海航路を一時遮断された。瀬戸内海と玄界灘の制海権を確保するためには九州を完全に平定しておく必要があったと考えます。出来れば軍事力は使いたくなかったでしょう。補給の難しい遠隔地で戦うのは人的消耗が激しいからです。当時の隼人のイメージは書紀にも勇猛として表現されており事実だと思う。そこで、軍事的威嚇と並行して思想面からの対策である九州降臨日向神話が加えられたのではないだろうか。以下は古事記日向神話で描かれる系譜です。神名は異なるが書紀もほぼ同じです。


神話の形成と目的1
古事記日向三代の系譜(HPふるコミュ宮崎からの引用画像を編集)


日向神話の挿入は前回の記事で最終的に行われたと記載しました。挿入の目的は以下であったと考えると受け入れやすい。

ニニギは山神オオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメと結婚することで山(国土)を制する力を得ると共に吾田隼人の血が入ることを示す。
 ※サクヤヒメの本名は「神吾田津媛」であり、吾田隼人一族であるから隼人の血が入る。
 ※スサノオミコトの妻であるクシナダヒメの父母、アシナヅチ・テナヅチはオオヤマツミ
  の子と名乗っている。オオヤマツミは出雲または瀬戸内海地域の国土神かも知れない。

山幸彦と海神ワタツミの娘トヨタマヒメとの結婚、ウガヤフキアエズとタマヨヒメとの結婚を重ね、海神(海人)の血を入れて海を制する力を得る。
 ※イワレヒコ(神武)の別名であるヒコホホデミは祖父の山幸彦の別名と一致している。
  当初の系譜ではニニギの子がイワレヒコであり、海幸・山幸の婚姻系譜は後から追加
  された可能性がある。

山幸彦が海幸彦を打ち負かして服従させることで、海幸彦が象徴する海人氏族が大王家に服従することの正当性を示す。
 ※記紀では、兄弟、姉妹が登場する場合、主役は必ず年下になるという類型がある。
  兄姉は殺されたり、不幸な境遇となる運命にある。アマテラスとスサノオ場合は本来
  の神話ではなく、土着神話の接着改変によるため、逆に弟が貶められていると考える
  と納得がいく。


日向神話は九州のまつろわぬ氏族である隼人と天皇の血縁をつくり、九州の海人氏族隼人)を統治するための仕掛けであると判断します。
海幸彦筑紫海人族や九州南部隼人族の祖を象徴しているのは明らかです。王権は血縁を作ると共に服従することの必然性を強く逸話に込めている。ここで海人族の血を入れたのは九州北部の氏族も必ずしも真に平定されていない事を示しているのではないか。6世紀の磐井戦争の記憶が朝廷には残っていた。日向神話は隼人だけでなく、九州全体を統治するための思想的であったと考えると納得がいきます。話の矛盾を認識していても、天孫降臨が九州である必要性がここにあると思われる。直接的には、記紀神話が形成された時期に、朝廷が抱えていた九州統治問題が大きく関係しているような気がします。

もう少し根拠を補強します。以下は日本書紀と続日本紀から抽出した隼人関連記事です。赤字は軍事色のある記事です。抽出範囲は日本書紀が完成する時期まで。

・655年 隼人が服属朝貢した
・682年 隼人が多く来て朝貢した。大隅隼人と阿多隼人が相撲をとり大隅が勝利
・682年 朝廷は隼人に饗宴を賜った
・686年 大隅・吾田隼人が天武の死に誄を述べる
・687年 大隅・吾田隼人の首魁が天武の死に誄を述べる
・687年 大隅・吾田隼人の首魁337人に物を賜った
・689年 筑紫太宰の役人が隼人174人(奴属使用人?)を奉った 
・695年 大隅隼人を饗応した
・695年 大隅隼人と阿多隼人に相撲をとらせて皆で見物した
・702年 反抗した隼人を征討した軍士に勲位を与えた
・702年 薩摩隼人の征討に際し太宰府の神社に祈祷したので賊を平定できた
・709年 薩摩隼人の郡司以下188人朝廷参内
・710年 元明天皇の朝賀に隼人が参列した
・710年 天皇は宴を催し、隼人にも位や禄を賜った
・710年 日向の隼人曽君細麻呂が地方の粗野な習俗を改めに貢献して下従五位
     を賜った、薩摩国が舎人を貢じた
■712年 古事記完成
・714年 隼人は道理に暗く荒々しく法令に従わないので豊前国の民200戸移住させ、
     統治に従うように導く事とした
・716年 薩摩・大隅隼人から貢じた使用人は故郷が遠く生活が不便で貧しいので
     8年交代を6年交代に改める
・717年 大隅・薩摩隼人が土地風俗や歌舞を奏上して禄を賜った
・720年 2月隼人が反乱を起こし大隅国の国守を殺害した
・720年 3月隼人征討軍を組織して将軍・副将軍を任命した
■720年 5月21日 日本書紀完成 
・720年 8月隼人征討軍の将軍をしばらく入京させたが平定は完了しておらず、
     副将軍は現地に留まった
・721年 7月隼人征討軍が帰還した、斬首、捕虜合わせて1400人以上
・723年 大隅・薩摩隼人624人が朝貢した

神話の形成と目的2
西暦713年以前の日向国は鹿児島県+宮崎県

※吾田(吾多)とは鹿児島県西部の薩摩半島の付け根地域を指す。
※大隅とは鹿児島県大隅半島。隼人は両地域に分かれて居住していた様子。但し弥生~古墳
 時代の考古遺跡を見ると吾田隼人の痕跡は少なく、大隅隼人が優勢のように見える。
 相撲の描写は両勢力の結束を弱めたい朝廷の思惑が感じられる。
※朝廷軍は僅か1400人の隼人を討ち取るのに1年以上も掛かっている。被害は朝廷側のほう
 が多かった事を推定させる。


隼人の記事を見ると、朝廷は7世紀末期から8世紀初頭にかけて、隼人の反抗に苦慮している様子が伺える。この頃はまさに記紀編纂時期に重なります。朝廷の隼人対策は懐柔と威圧を取り混ぜて服従させようとしている。結果的には軍事力を使うことになるが、おそらく書紀神話の創作段階では、隼人を穏便に服属させようと考えたのではないか。現代の感覚で言えば、神話で服従させようなんて現実的ではないと思われるでしょう。でも、政教分離が出来ていない、というより政教一致が信条である時代では、自身の出自や王権との関係性だけが拠り所であり、行動指針だったと思います。

また、年表には入れませんでしたが、隼人は畿内の中でも反乱分子であった可能性がある。崇神紀ミマキイリヒコへのタケハニヤス王とその妻吾田媛の反乱逸話があるからです。タケハニヤス王は孝元天皇の子ですから皇族出身者ですが、その妻吾田媛吾田隼人を象徴しているように思われる。神武天皇が九州で妻にした吾平津媛(あひらつひめ)も吾田邑吾平津媛ですから吾田隼人出身者です。
私はどれも実在人物とは考えていませんが、服属した隼人の一部が畿内に移住していた事実はあると思います。自分の意思ではないと思いますが、前述の年表で見ても多くの隼人が朝廷近くにいることが伺える。考古学者 森浩一氏は、隼人は山背国(畿内東北部の山城)に移住しており、林業で富を蓄積していたと述べています。臣下として服従していたが、何らかの理由で朝廷に反発するような事件があったのかも知れない。そういった関係でタケハニヤス王の反乱伝承が作られたような気がします。妻である吾田媛は夫とは別に軍を率いて朝廷軍と戦います。この描写は畿内の女性ではあり得ず、吾田隼人の首魁(しゅかい)そのものです。畿内での反乱が史実かどうか分かりませんが、油断すれば反抗する氏族として朝廷が認識していたのは事実でしょう。

結局、政権の九州隼人懐柔策は失敗して、日本書紀が完成する直前に隼人は反乱を起こし征討軍に平定されます。そして一旦は服従しますが暫くの間は両者の緊張は続いたようです。だが、長い目で見れば皇統は名目上続くわけです。朝廷側の視点で見れば、この神話の作成に即効性はなかったが、無駄でなかったようにも思えます。西暦800年頃には100年近くも遅れたが、隼人もついに朝廷の律令制度に組み込まれていきます。



次回に続きます。

【参考・引用】
■敗者の古代史          KADOKAWA            森浩一
■天皇誕生            中公新書      遠山美都男
■日本書紀 全現代語訳(上下巻) 講談社学術文庫         宇治谷孟
■続日本紀 全現代語訳(上中巻)   講談社学術文庫         宇治谷孟
■口語訳 古事記         文藝春秋              三浦祐之
■六国史 テキスト版


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