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東国の古代史

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2019-05-06 (Mon)  18:12

白石稲荷山古墳の地中レーダー探査結果 《藤岡市 》

群馬県藤岡市の白石稲荷山古墳地中レーダー調査については、以前、記事にしていますが、中間結果が速報されたようです。以下は新聞web版二紙からの引用です。


*****引用開始******
土木技術の高さ明らかに 藤岡市が早稲田大と「白石稲荷山古墳」調査
東京新聞 2019年4月27日 

白石稲荷山古墳の地中レーダー探査結果 
非破壊調査の結果を説明する早稲田大の学生=藤岡市役所で

藤岡市教育委員会は、県立歴史博物館や早稲田大学と合同で学術調査していた国史跡「白石稲荷山古墳」(同市白石)について、墳丘の構造や形状などが明らかになったと発表した。前方部で新たな埋葬施設の存在を確認した。墳丘の形状は左右対称の典型的な前方後円墳で、関係者は「高い技術で造られた。古墳時代の中心である近畿地方との関係を考察する上で重要」と評価した。 (石井宏昌)

調査は二月下旬~三月中旬、地中レーダー探査やデジタル三次元測量など最先端の技術を活用し、非破壊で行った。

白石稲荷山古墳は五世紀前半の築造とされる。過去の発掘調査では、墳丘は前方部が少し変形した形状とみられていたが、今回の調査で、左右対称で三段に築かれた構造と判明した墳丘の全長も従来は百七十五メートルとされたが、推定百五十メートル強と分かった。市教委によると、この時代では東日本最大級という。

新たな埋葬施設は前方部の中心部で存在が確認された。古墳の中心となる後円部からは過去の調査で二つの埋葬施設が発見されており、この副次的施設とみられる。主になる埋葬者に近い人物のための施設と推定される。墳丘の中心軸に位置し、市教委では「墳丘築造時から計画されたとみられ、高い築造技術を裏付ける」としている。

会見した県立歴史博物館の右島和夫館長は「従来の変形的な形状を大きく修正する必要が出てきた。左右対称の整美な前方後円墳で、精度の高い土木技術で造られている。奈良や大阪の同時期の古墳と比べても遜色ない」と話した。

白石稲荷山古墳は一九三三年の調査で、後円部の墳頂部の東と西に埋葬施設を確認。副葬品に直刀や銅鏡、勾玉(まがたま)などのほか、家形埴輪(はにわ)や多数の石製模造品が出土している。早大と県立歴史博物館、市は昨年、同市上落合の国史跡「七輿山(ななこしやま)古墳」で同様の非破壊調査を行い、大規模な横穴式石室があったことを確認している。


「白石稲荷山古墳」は三段築成「東日本で5本の指」の規模 藤岡市
産経新聞 2019年4月26日 

 藤岡市は、早大、県立歴史博物館と合同で行っていた国指定史跡「白石稲荷山古墳」(同市白石)の先端考古学測量調査結果を公表した。構造は「整美な三段築成」と判明し、前方部からは新たな埋葬施設も確認された。墳丘規模は従来の推定と比べ縮小したが、「東日本で5世紀初頭の前方後円墳としては5本の指に入る規模」としている。(椎名高志)

これまで、墳丘規模は前方部前面が148メートル、全長が175メートルと推定され、県立歴史博物館の右島和夫館長は「やや変な形という認識だった」と振り返る。

だが、調査で前方部前面は約90メートル、全長は155メートルと判明。右島館長は「5世紀前半築造の奈良県・コナベ古墳の設計形状がそのまま反映されている」とし、「副葬品にふさわしい整美で典型的な前方後円墳。155メートルという墳丘全長も大規模で奈良・大阪の代表的な古墳と比べても遜色がない」と高く評価した。

前方部で確認された埋葬施設は6・8メートル×2メートルほどで粘土槨(ねんどかく)の可能性が高い。

中心軸に沿って作られており、市は「古墳の設計時から組み込まれていたと考えられ、主になる埋葬者の血縁者のためのものと想定される」とみている。


当初、後円部墳頂にある2基の埋葬施設に加え、中央地下に存在の可能性が指摘されていた埋葬施設は確認されなかった。方墳と思われていた古墳北側にある十二天塚古墳と十二天塚北古墳はいずれも直径22メートルほどの円墳だったことも明らかになった。

市は「古墳本体の実態がわかってきたため副葬品の検討を含め、築造年代の絞り込みを行っていきたい」と話している。

昭和8年の発掘調査で、勾玉(まがたま)や刀子(とうす)、家形埴輪(はにわ)などが多数出土。平成5年に国史跡に指定された。

調査はデジタル3次元(3D)測量と地中レーダー探査(GPR)を駆使し、墳丘の構造や地中内部の状態などを非破壊で行った。

*****引用終了******

【参考】

s-DSC_1455.jpg 
レーダー調査を担当した早稲田大の城倉正祥准教授


【感想】
以外な結果ですが、新埋葬施設は、後円部ではなく、前方部での発見です。発掘してみないと分かりませんが、埋葬者は首長と関係が深い人物と思われます。しかし、前方部の埋葬者が首長自身である可能性はやはり低いので残念です。となると後円部の東礫槨が首長のものという事になります。しかし個人的には、本墳は生前築造で何らかの理由で首長自身は埋葬されなかったという可能性もあり得ると思います。
また、墳形や埋葬主体部の形式から初期築造は4世紀に入る可能性もあるかと想像してましたが、今の処、5世紀初頭というところで落ち着いているようです。太田天神山古墳などと同時期になります。近畿地方の類似墳形の古墳や出土している家型埴輪の形式等も考慮して、築造時期を推定してるのだと思いますが、5世紀初頭は妥当な線なのかも知れないです。



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