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東国の古代史

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2019-09-24 (Tue)  09:15

神話の形成と目的(3/5) - 神武東征の意味「相戦う天孫族」 -

前稿からの続きです。

神武天皇の本名カムヤマトイワレヒコノミコトは、彼がヤマトに入ってからの名前です。九州時代はヒコホホデミですが、あまりポピュラーではない。本稿では古事記での名称を省略形でイワレヒコと呼びます。


神話の形成と目的6


ついでに云うと、ヒコホホデミという名前は、日本書紀では彼の祖父=山幸彦と同じ名前です。山幸彦とイワレヒコは本来は同一人物であり、系譜はもっとシンプルであった可能性がある。日向三代が長い歳月であることを強調するために系譜が引き伸ばされたか、または、海幸・山幸の神話を最終段階で挿入するために系譜が伸ばされた可能性もあるでしょう。

■海幸彦(大隅隼人の始祖)      ホデリ(古事記)   ホスセリ(日本書紀) 
■山幸彦阿多隼人の始祖)    ホオリ(古事記)   ヒコホホデミ(日本書紀)
■神武天皇                イワレヒコ(古事記) ヒコホホデミ(日本書紀)

イワレヒコの父ウガヤフキアエズなどは存在感が余りありません。欠史八代と似ています。日本書紀では、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメを娶り、ブス?のイワナガヒメを実家へ返してしまった結果、彼女に呪われて永遠の命を失います。一方で日向三代は180万年も統治した事になっています。いったい、呪いで寿命がどう縮んだのか突っ込みたくなるようなホラ話です。古事記では、山幸彦は580歳まで生きたと記載されている。


さて本題の、イワレヒコが突然、日向を離れ東に向かう理由について考えたいと思います。ニニギノミコトは高天原の天神一同の総意によって九州に降臨しました。それは、日向の地を天孫が治めるという使命を帯びていたに違いない。なのに、ニニギノミコトの曾孫世代のイワレヒコは何故ヤマトを目指すのでしょうか? 説得力のある理由があるとすれば何なのか考えてみたが思いつかない。やはり、7世紀末の朝廷の立場になって考えるしかないと思います。
前稿で述べたように九州の敵対氏族を統治する正当性を示すために九州降臨を果たしたと考えています。海幸彦山幸彦が、各々吾田隼人大隅隼人の始祖になっているのを見れば一目瞭然です。それだけ隼人が強敵であったという事です。それは、思想統制に失敗して反乱がおき、鎮圧にかかった期間を見ても分かります。おそらく東北蝦夷の比ではなかったのでしょう。隼人の大規模反乱は720年2月。日本書紀が完成する僅か3ヶ月前の事です。天孫降臨から日向三代の神話が世に出るのがもう半世紀早ければ、状況は変わっていたかも知れません。書紀の編纂は遅すぎたが、隼人の同族化構想を盛り込むという意味では目的を達成したわけです。

では次にイワレヒコが日向を離れ、東征を決める協議のシーンを見てみましょう。原文は省略して訳文だけにします。

①『古事記 神代編 其の七』
兄イッセノミコトと弟イワレヒコは高千穂の宮で話し合い、弟は兄に次のように提案します。
いかなる地に住まいすれば、平らかに天の下の政(まつりごと)を治めることができましょうか。ここから出て東に行きませんか。
兄は同意したらしく、すぐに2人は出発する。東というだけで、目的地がヤマトの地とは言っていない。

②『日本書紀 巻三「カムヤマトイワレヒコノミコト」』
イワレヒコが兄弟や子供たちを前にして云う。
高皇産霊尊と天照大神が、豊葦原瑞穂国をニニギにミコトに授けられた。代々父祖は善政を敷き、恩沢が行き渡った。そして、ニニギミコトが降臨してから179万2千4百70余年が経過したが、未だに遠い国には王の恵みが届かない。そして、村々は未だに互いにいがみ合い戦っている。
塩土翁の云うことには、「東の方に良い土地が有り、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐船に乗って飛び降って来た者がある」と。思うにその土地は大業をひろめ、天下を治めるに良いであろう。きっとこの国の中心地であろう。その飛び降ってきた者は、ニギハヤヒという者であろう。そこに行って都を作ってみようと思う。 
と話して出発の準備を始める。

古事記ではイワレヒコ兄弟で話し合うが、具体的な理由も明らかにせず、あっさりと東征を決めてしまう。書紀の方は、それでも国々の問題を理由に上げているが、ヤマトへ行くと何故問題が解決するのか、明確にはしてはいない。今更、国替えするなら、なぜ九州に降臨したんだろう?イワレヒコの言葉は明らかに、この地は地上を治めるのに相応しくないと言っている。また、日向国が日本の地理的中心でないことは降臨する時から暗黙の認識だったのではないか。
古事記も、日本書紀の設計者も、うまいアイデアは見つからなかったようです。両書とも、とってくっつけたようなストーリーと云えなくもない。ヤマトでなければ成し得ない切実な理由とは言い難く、本人も確信を持っていない描写です。天孫降臨を強引に九州に持ってきたが、今度はヤマトに帰る理由づくりに困ってしまったというところでしょう。それでも設計者としては、なんとか理由を付けて舞台をヤマトに移さないと、現実路線のヤマトでの皇統につながりません。

注目すべきは、天孫ニギハヤヒノミコトが既に降臨しており、国を作っている事を知っている事です。つまり、裏を読むと、イワレヒコがヤマトの地に向かうことは、ニギハヤヒに国譲りさせるか、武力で奪うかという覚悟を決めたことになる。此処で不審なのは、ニギハヤヒも天の磐船に乗って降臨した天孫であり、ニニギノミコトも天孫です。各々、異なる地に降臨して国を治めている。これは、天神(日本書紀の場合は高皇産霊尊)の意志でもあったはずです。ヤマトでの争乱の途中で互いに天孫である証拠品を見せあい確認している。しかし、記紀神話ではこの矛盾を説明しないばかりでなく、高皇産霊尊も天照大神も東征においてイワレヒコを支援しています。場当たり的な展開になっているのは、この神話が複数の個別神話を接着し、統合したことを思い起こさせます。明らかにニギハヤヒの神話とニニギノミコトの神話は全く別物です。接着による話の不整合を推敲しきれていない。これは本稿シリーズの第1稿「神話の形成と目的 - 天孫降臨の地 -でも記載しました。大王家と、物部氏大伴氏など王権中枢の伴造氏族が作成した神話をムスヒ神話といいます。「産(むす)」は生み出す、「霊(ひ)」は霊威の意です。本来の氏族固有神話の中の祖神を表しています。この段階では大王家祖神にアマテラスはまだ存在しない。

■大王家…タカミムスヒノミコト(高皇産霊尊
■物部氏…ニギハヤヒノミコト(饒速日命
■大伴氏…アメノホシヒノミコト(天忍日命


不自然なストーリーの発生過程の一端は、7世紀末の朝廷政策に現れています。朝廷は、690年代初頭に、各氏族から氏族の墓記先祖伝承記録)の提出を命令しています。記紀神話を統合制作するための準備段階に間違いありません。物部氏墓記は、現代では残存しないもっと古い時代の文献にあった可能性もあります。だが何れにしろ、物部氏が自身の始祖伝承としてニギハヤヒの降臨伝承を提出したのは間違いないと思います。物部氏は大氏族ですから、すでに此の伝承も既成事実化して伝聞されていたと思います。しかし、朝廷としては大王家の立場を正当化しなければならない。臣下豪族の伝承をそのまま受け入れることはできないのです。記紀神話の創作過程で、大王家と他氏族の墓記で決定的に対立的なのは物部氏(尾張氏含)以外にはなく、後者は大きく歪められたと言っても良いでしょう。これらの神話統合の主導者が誰なのか明確ではありません。執筆者は山田史御方である可能性は高いが、彼が設計構想まで一任されていたのか疑問もある。720年には書紀編纂の報奨として従五位上に昇進しているが、文学者的な存在であり、正史編纂政策をコントロールしていたとは思えない。後に国司職を得た時に、納税品の横領事件を起こしています。あまりに書紀編纂の貢献度が大きいため、不問に付されているが、大した人物とは思えません。

古事記においては強引であるが、ニギハヤヒはイワレヒコがアマテラスの子孫である事を知り、初めから服従の意思を持っていたことになっている。敵対してはいません。一方、日本書紀ではイワレヒコはニギハヤヒ勢力と戦っています。ニギハヤヒを武力で服従させ、先行降臨氏族を臣下とすることの正当性を図ったのです。やがてニギハヤヒは降伏し、土蜘蛛の首魁であるナガスネヒコは悪者に仕立てられ、ニギハヤヒ自身によって殺されます。土蜘蛛ですから討伐される運命にありますが、ニギハヤヒの罪を軽減させるためのスケープゴートとも云えるでしょう。これは、8世紀時点での物部氏への配慮かも知れません。但しイワレヒコはニギハヤヒと直接交戦していない。戦ったのは配下のナガスネヒコです。おそらく先行する降臨氏族であるニギハヤヒと直接戦うことは、天孫族どうしの争いを前面に出す事になり忌避したのでしょう。これは記紀以外の文献でも、うまく戦いを回避している点で共通しています。やはり、神話の統合に際して天孫どうしが戦うという問題意識は持っていたようです。

既に臣下となっている物部氏の祖神を神話で貶める必要はなかったと思うが、朝廷としてはやむを得なかったのでしょう。物部氏の祖神は天孫でありながら、新撰姓氏録でも皇別氏族には入らず、神別氏族ですから格下の臣下扱いです。カバネも多くは(むらじ)であり、後に一部が朝臣(あそみ)を賜るに留まる。宗家は6世紀末には大連として権勢を誇ったが、大王家にヒメを提供するような事はなく、物部氏にとっては屈辱的だったように思います。平安時代初頭になって、物部氏尾張氏の伝承を詳しく記載した先代旧事本記が作成されたのは、物部子孫の鬱憤晴らしのような気もします。この文献の序文は偽書でも、本編は暗に物部氏の復権を期待しているのは間違いない。文献批判は勿論必要ですが、記紀神話が成立する以前の氏族闘争を検討する材料になる事は確かです。



次稿に続く


【参考・引用】
■六国史 テキスト版
■日本書紀 全現代語訳(上下巻) 講談社学術文庫        宇治谷孟
■口語訳 古事記         文藝春秋             三浦祐之




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