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東国の古代史

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2019-09-17 (Tue)  12:30

日向国風土記「天孫降臨」は改竄されたものか?

天孫降臨神話の記事を以前書いたことがありますが、その時、記紀と一緒に日向国風土記逸文にも目を通しました。過去記事の中では触れる余裕がなかったが、気になる点があります


(1)記載の類似性

①日向国風土記逸文知鋪郷
釈日本紀卷八(萬葉集註)の日向国風土記逸文には「知鋪郷(高千穂)」の名称由来の逸話がある。以下のように記されている。

【原文】
日向國風土記曰△臼杵郡内△知鋪郷△天津彦々火瓊々杵尊△離天磐座△排天八重雲△稜威之道々別々而△天降於日向之高千穗二上峯△時△天暗冥△晝夜不別△人物失道△物色難別△於兹△有土蜘蛛△名曰大鉗小鉗二人奏言△皇孫尊△以尊御手△拔稻千穗爲籾△投散四方△必得開晴△于時△如大鉗等所奏△搓千穗稻△爲籾投散△即天開晴△日月照光△因曰高千穗二上峯△後人改號知鋪

【訳文】
日向の国の風土記に曰はく、臼杵の郡の知鋪の郷(の話)。
天照大神の孫、瓊々杵尊(ニニギノミコト)が天の磐座を離れ、天の八重雲を押し開き、勢いよく道を開いて進み、日向の高千穂の二上の峰にお降りになった。時に、空は暗くて昼夜の区別がなく、人であろうが何であろうが、道を失って物の区別がつかなかった。その時、大鉗(おおくわ)・小鉗(こくわ)という二人の土蜘蛛がいた。彼等が言うには「瓊々杵尊が、その尊い御手で稲の千穂を抜いて籾(もみ)とし、四方に投げ散らせば、きっと明るくなるでしょう」と。そこでその通りに多くの稲の穂を揉んで籾とし、投げ散らした。すると、空が晴れ、日も月も照り輝いた。だから高千穂の二上の峰という。後世の人が改めて智鋪と言うようになりました。


②日本書紀神代編下「天孫降臨」
以下は日本書紀神代編下の天孫降臨シーンからの抜粋記述です。
【原文】
高皇産霊尊△以眞床追衾△覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之△皇孫乃離天磐座△且排分天八重雲△稜威之道別道別而△天降於日向襲之高千穗峯矣

【訳文】
高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)は眞床追衾(マトコオウフスマ)に瓊々杵尊(ニニギノミコト)を包んで降ろされた。皇孫は天の磐座を離れ、天の八重雲を押し開き、勢いよく道を開いて進み、日向の襲の高千穂の峰にお降りになった。


③古事記 上つ巻天降り
【原文】
故爾詔天津日子番能邇邇藝命而△離天之石位△押分天之八重多那此雲而△伊都能知和岐知和岐弖△於天浮橋△宇岐士摩理△蘇理多多斯弖△天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。

【訳文】
しかるがゆえに、邇邇芸命(ニニギノミコト)は、天之石位(あめのいわくら)を離れ、天の八重になびく雲を押し分けて、いくつもの道をかき分けて、かき分けて、天の浮橋にうきじまり、そり立たせて、竺紫(つくし)の日向の高千穂の、くじふる嶺に天降りしました。



注目するのは、茶色文字で記載した部分です。この部分に限って見れば、日本書紀日向国風土記記述は80%が一致する。書紀は「眞床追衾に包んで」の記述が付加するだけで、他に一致しない箇所はない。また、古事記の記述は物語的でやや長いが、内容的に矛盾するところはない。三編の記述はよく似ていると思います。特に、日本書紀日向国風土記、理由はともかく、どちらかのコピーに間違いないでしょう。


日向風土記は改変されたのか?2
高千穂峰は宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島市に候補地があるが
古代には同じ日向国に属する



(2)評価

①記載類似の原因
日本書紀が風土記の内容を真似たとは思えません。日本書紀の記載は、712年には完成している古事記の内容とも似ているからです。風土記の編纂は713年に詔が発せられてから着手していますから、書紀の記述のほうが先行して書かれていた可能性が高い。
ただ、執筆中にどちらかが参照したということではないと思います。風土記と日本書紀とは各々独自に執筆されていた。しかし、日本書紀の天孫降臨神話が最終的に完成した時、関連する風土記との整合性チェックがあったのだと思います。風土記は地方の伝承・逸話を纏めたものですが、特定の地域に関しては日本書紀と話がかぶります。おそらく、正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われたのではないかと考えています。特に、国譲りに関係する出雲国風土記や、天孫降臨の地である日向国風土記などは可能性が高い気がします。

【補足】
漢文の用字用法には個人の漢文能力や誤用などの癖が必ず現れます。もし、当初の執筆者と改竄者が異なり、改竄部分が局所的でなければ分析が可能です。漢籍・古文献の研究者に是非実施して欲しいと思います。


日向風土記は改変されたのか?1
古代文献の執筆推定年代(クリック拡大


上表は、歴史学者 森博達氏の日本書紀区分論より抽出した執筆分析と、古事記風土記(逸文を含む)の推定執筆期を纏めたものです。日本書紀の執筆期間は非常に長く、神代編は一番最後に書かれた事は氏の研究で証明されている。前述したが、風土記の方は713年頃から編纂開始されていても、完成時期は国によって差があるようです。古事記に関しては序文の内容を信用した成立年代です。


②日向国風土記逸文「智鋪」の原形推定
風土記というのは、古来より、その土地に伝わる伝承を纏めた書です。歴史研究者の中には、「日本書紀に先行する日向国風土記には書紀が完成する以前に天孫降臨神話が存在していた。風土記が天孫降臨の原形である」と主張する人もいます。しかし、私個人的には此の説は考えにくい。理由を以下に記載します。

(a)天孫が降臨するが活躍の実態がない
風土記の中で出てくる古代日本の皇孫といえば、景行天皇ヤマトタケル、または神功皇后と相場が決まっている。しかし、日向国風土記にはニニギノミコトが出てくる。この事だけでも奇異に感じます。なぜなら、他国の風土記にも記紀の日向三代に関する人物は登場しない。要するに、日向国風土記にのみニニギノミコトの天孫降臨が唐突に現れるのです。これは、本来の風土記にはニニギノミコトの話など無かった可能性が高い。天孫降臨の話が元からあったのなら、その後の天孫系譜の活躍話が無いのは不自然です。昼夜を分けるためだけに天孫降臨したとは思えません。
※日向国風土記は完本ではない。本来は他にもあった天孫記述が逸文として残らなかった可能性はあるかも知れませんが、他の残存風土記に天孫降臨がないのは事実です。

(b)敵対氏族の土蜘蛛が天孫に従順である
土蜘蛛は、天孫や天皇へ恭順しない土着豪族などの蔑称です。土蜘蛛は風土記定番の登場人物ですが、殆どが天孫、天皇に対して敵対的に行動します。風土記全体では、40人くらいの土蜘蛛の名前が上がりますが、天孫に従順なのは、日向風土記に現れる土蜘蛛、大鉗小鉗と、肥前国風土記の中に出てくる女土蜘蛛、大山田女狭山田女だけです。両書の土蜘蛛が天孫に対して協力的なのは、風土記の中の例外ではなく、改竄によって主人公が入れ替わっているために協力者にされたと見たほうが考えやすい。何故なら、土蜘蛛自体が「皇孫に敵対する者」の象徴であり、時や地域によって協力者であったり、敵対者であったりする事は概念的に矛盾するのです。改竄した時に、本来は協力者として別な人格を起こすべきであったが、面倒な作業なので流用されたと見ます。

(c)天孫降臨時に地上は暗黒
仮に本来の日向国風土記に天孫降臨があったとすれば、神話世界の共通認識として降臨以前に天岩戸に隠れた天神アマテラスの再生があったと思われる。アマテラスが天岩戸にこもったとき高天原も地上も暗黒になった。神々は協力してアマテラスを引き出します。そのとき復活したアマテラスは日神として再生しており、地上は再び明るさを取り戻している。アマテラス子孫であるニニギが降臨する地が昼夜の別れていない暗黒の地というのは矛盾している。日本書紀にもニニギの降臨時はまだ雲が厚くて薄暗かったという描写はあるが、暗黒ではない。この風土記の本来の話は、天神とは無関係の話であり、他の人格者が稲籾を撒くことで昼夜を分けたとすれば矛盾は解消されます。


以上の観点から、日向国風土記ニニギノミコトの天孫降臨は、本来は天孫ではなく、出雲国のオオクニヌシのような国津神が主人公であったと思います。つまりすり替えられたのです。国津神は高天原とは無関係で、日向国を創生した国土神です。土蜘蛛が従順であるのは、国津神が土蜘蛛の祖神・守護神であったからだと思います。他の多くの土蜘蛛と同様に、大鉗小鉗天孫に従順であった訳ではない。また、籾を撒くことで昼夜を分けたのは国津神の功績であったのでしょう。現日向国風土記では土蜘蛛がニニギに籾を撒くことを教えるが、本来は国津神が稲作農耕を土蜘蛛等に教え、文化を開いたことを象徴しているように思います。

そもそも、地方に根ざす風土記神話には天神という認識があったのか疑問です。7世紀以前では、全て自然の中に宿る八百万神であったのではないか。天神の概念がなければ天孫降臨もあり得ない。天神は記紀神話で発明された(または大陸から伝わった)神の新しい概念でしょう。天神が国津神を統括することで、天孫子孫である天皇が人民を統治する正当性を示すために創作されたものと思います。そう考えると、中央政治とは無縁の地方逸話に天孫ニニギノミコトが現れる事自体が不審なのです。風土記の中では景行天皇ヤマトタケルが活躍する事実はあります。また、歴代の天皇の名も現れるが、記紀神話が確立していく過渡期の古いタイプの天皇だと思います。また、730年代に完成した風土記の場合は、日本書紀や古事記の新しい概念が、地方伝承に影響を与えた可能性もあるでしょう。風土記の編纂は朝廷官人である国司の役目ですから、あるがままの地方伝承に忠実であったとは言い切れない面もあります。






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正史の記述と矛盾しないよう風土記の改竄 * by レインボー
>風土記は地方の伝承・逸話を纏めたものですが、特定の地域に関しては日本書紀と話がかぶります。おそらく、正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われたのではないかと考えています。

〇興味深い記事でした。
 「正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われた」のはその通りだと思います。
 似た方法は、邪馬台国など倭国の記述がないことです。これも、一貫した編集方針だったと思います。
 なお、「天孫降臨時に地上は暗黒」とは、通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)の関係と同じですね。これは日本の宗教そのもので、面白いと思ったしだいです。
 草々

Re: 正史の記述と矛盾しないよう風土記の改竄 * by 形名
レインボーさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

邪馬台国の記述が無いのも、記紀、風土記で一貫していますね。書紀では卑弥呼=神功皇后に比定させようとしたフシはありますが、場所の記述がないのは残念です。3世紀代の記憶が無い可能性もありますが、大和政権は九州倭国の痕跡を消し去りたかった。言い換えれば、大和政権は倭国政権を引き継ぐものではなかったということなんですかねー。この辺りをテーマにして記事を書きたい気もしますが、あまりにも重すぎて踏み込めません。
通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)という考えは面白いですね。これは知りませんでした。昼夜が別れていないという概念も不思議ですが、籾を撒くことで分かれるという理由もよく分かりません。脱穀することで、玄米と籾殻に分かれるという事をさしているのか?逸話を余り突っ込んでも仕方ないですがね。

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正史の記述と矛盾しないよう風土記の改竄

>風土記は地方の伝承・逸話を纏めたものですが、特定の地域に関しては日本書紀と話がかぶります。おそらく、正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われたのではないかと考えています。

〇興味深い記事でした。
 「正史の記述と矛盾しないよう、風土記の改竄(かいざん)が行われた」のはその通りだと思います。
 似た方法は、邪馬台国など倭国の記述がないことです。これも、一貫した編集方針だったと思います。
 なお、「天孫降臨時に地上は暗黒」とは、通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)の関係と同じですね。これは日本の宗教そのもので、面白いと思ったしだいです。
 草々
2019-09-18-10:32 * レインボー [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: 正史の記述と矛盾しないよう風土記の改竄

レインボーさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

邪馬台国の記述が無いのも、記紀、風土記で一貫していますね。書紀では卑弥呼=神功皇后に比定させようとしたフシはありますが、場所の記述がないのは残念です。3世紀代の記憶が無い可能性もありますが、大和政権は九州倭国の痕跡を消し去りたかった。言い換えれば、大和政権は倭国政権を引き継ぐものではなかったということなんですかねー。この辺りをテーマにして記事を書きたい気もしますが、あまりにも重すぎて踏み込めません。
通夜のときの現生(夜)と死後の世界(昼)という考えは面白いですね。これは知りませんでした。昼夜が別れていないという概念も不思議ですが、籾を撒くことで分かれるという理由もよく分かりません。脱穀することで、玄米と籾殻に分かれるという事をさしているのか?逸話を余り突っ込んでも仕方ないですがね。
2019-09-18-13:36 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]