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東国の古代史

Top Page › 古代日本史 › 酒の強さから分かること(1/2) - アルコール耐性の発生要因 -
2020-03-27 (Fri)  16:11

酒の強さから分かること(1/2) - アルコール耐性の発生要因 -

下の画像は何を表しているか分かるでしょうか。
最近テレビ放送されたNHKスペシャルPlusという番組から引用しました。

image15.jpg
↑アセトアルデヒド分解遺伝子の働きが弱い人の分布(クリック拡大

濃淡で示された図は、アセトアルデヒド分解遺伝子の働きが弱い人の分布です。つまり、色が濃い地域ほど酒に弱い遺伝子を持つ人が多いことを示します。アセトアルデヒドエチルアルコールの分解過程で生成する有毒物質です。体内で分解して無毒化されるが、その反応には触媒となる酵素が必要です。人間はこの酵素を作る能力を持つが、遺伝的な個人差があってスムースに酵素を作れない人がいる。アセトアルデヒドの洗礼をもろに受けてしまう酒に弱い人です。分布を一見して目立つのは、中国長江より南の華南地方と西日本~関東地方までの類似性です。人類史をかじった方は、この分布は稲作の広がりに似ていることに気がつくでしょう。日本人や稲の遺伝子分析で、日本人の一部ルーツは華南地方にあるらしいことは、だいぶ以前から定説になっています。


この図を見て面白いと思ったのは以下の点です。
①中国北部と朝鮮半島は、西日本~関東とは一致しない
②日本国内では、九州南部、北陸上越、東北、北海道が明らかに酒に強い

①から単純に言えるのは、日本人のルーツは中国北部~朝鮮半島経由の可能性は低いということです。これは、他の状況証拠とも矛盾しません。かって、騎馬民族征服王朝説に代表されるような半島からの大規模かつ征服的な人の流入を主張する説がありました。いまではこの説も陳腐化しています。有史以前から人の流入はあったと思いますが、大規模なクニを構築したという証拠はない。ただ、朝鮮半島人の多数が古代日本に帰化しているのは事実です。そういった人々が日本人と混血していったケースは多々あったでしょう。だが、その影響が日本人のアルコール耐性の地域変化に関係があるとは思えません。古代日本の帰化人の配属先は北海道を除く日本全域に渡るからです。
②は注目すべき現象です。日本人の酒の強さの通俗的な認識と矛盾してはいないのですが、理由がよくわからない。他の記事でも書いたことがありますが、九州から北海道まで日本人の遺伝形質は、現代では同質といってもよい。古代には縄文人弥生人の分別は明確であったかも知れないが、混血を繰り返して一様になったということです。しかしアルコール耐性については明らかな地域差がある。これを人類学的に捉えるか、地域文化特性と捉えるかです。

以下のグラフは同じテレビ番組からの引用です。アフリカンアングロサクソンが圧倒的に酒に強いのは明確ですが、韓国~日本~中国のデータが面白い。アルコール耐性は、韓国>日本>中国の順です。

image12.jpg


原因仮説は幾つか考えられるが、単純に考えれば酒に強い人種との混血が一番考えやすいと思います。日本列島には、大陸系の弥生人が現われる以前に、縄文人が沖縄から北海道まで居住していたと推定されます。彼らは比較的アルコール耐性が強かった可能性がある。縄文人も元を正せばアジア大陸各地から列島に渡ってきた人種が固定化した人々です。染色体分析では、沖縄・琉球人北海道アイヌ人などは、その形質を残している。そして弥生時代に入ると、中国華南から人々の拡散が始まります。中国北部~朝鮮半島では、ツングース系の人種と混血して華南人よりも酒に強くなっていく。同じく華南から海洋ルートで日本列島に来た人々は西日本から東北に広がり、列島ネイティブの縄文人と共存・混血していく。北陸上越や列島北部には渤海地域やカムチャッカ経由で列島にやってきた人々の形質が残っていた可能性がある。渡来弥生人が特定地域の縄文人と混血することで酒に強くなったと推定することも出来ます。混血はあらゆる地域で起きたが、厳密には遺伝的に全く同質になった訳ではないという事かも知れません。
一方、アルコール耐性の差を地域文化に要因を求めることは出来るが、仮説としてはやや弱いような気がします。

酒消費量順位
一人あたりの酒類消費量の上位10地域

なぜなら、日本の一人あたりの酒の消費量ランキングを見るとおかしな事に気が付きます。遺伝的に酒に強い地域は、確かに上位に入っているが、最上位では必ずしも該当しない。もしアルコール耐性が地域文化的な要因であれば、不自然な現象とも思えます。ただし、前述の遺伝子分布図をよく見ると、東京、大阪、名古屋などの大都市圏は酒が強い地域に入っているようです。東京に関しては消費量のデータと一致している。都市圏の消費は接待等の社交的要因が大きいと思うが、遺伝子検査でも東京が強い理由が良くわかりません。元々、移住者で成り立つ地域であることは自明ですが、なぜ酒に強くなっているのだろうか。


※画像引用元の記事は本稿とは異なる主旨ですが、参考に元記事へのリンクを張っておきます。ただしNHKのホームページからはいずれ削除されると思います。『飲みたくなるのは“進化の宿命”!? 酒の知られざる真実


次稿に続く


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中国南部との関係 * by レインボー
たいへん興味深い記事でした。

中国南部(江南地方)に酒に弱い人が多いということは、稲作民族のマレー系との関係がある感じがします。

機会がありましたら引用させていただきます。

Re: 中国南部との関係 * by 形名
レインボーさん、こんにちは。

中国華南地方で突如アルコール耐性の弱い遺伝形質が生まれた原因は、実際にはまだ解明されたとは
言えないようです。本稿のデータを引用したNHKの記事に仮説が記載されていますが疑問が多いです。
湿地で暮らす人々にある種の感染症が広がったが、酒を分解しにくい人々は、体内のアルデヒドが
病原菌を殺してくれた為に淘汰を生き延びたという仮説ですが、説得力が薄い気がします。
ただ、原因が稲作生活に関連してる可能性は高いと思いますけどね。

東国の古代史ブログ * by 之乎哲也
形名さん:
私のブログ「世界遺産をゆく」を訪問して頂き有難うございました。形名さんのブログ、私にとってはやや難易度が高そうですが、お酒の話については面白く拝見しました、自らも酒好きですので面白く拝見させて頂きました。
なお、近年世界遺産でも古代の遺跡も多くなり、古代史があまり得意ではない私も先般北東北の世界遺産候補(亀ヶ岡、伊勢堂岱、大湯、田子屋野など訪問してきたところでした(ブログのアップはまだですが)。
今後、古代史も勉強するなかで形名さんのブログも拝見させて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。

Re: 東国の古代史ブログ * by 形名
之乎哲也 さん、おはようございます。

コメントありがとうございます。
日本の古代史には当時の産業と言える金属生産が大きく関わっていると思います。
実用性で言えば、鉄、銅ですね。貴金属で言えば金銀でしょう。
之乎哲也さんのブログに伺ったのは、おそらく長登銅山の歴史を調べている最中であった
と思います。山口県に関して詳細な記事を書かれていますね。
生地の中でも触れていましたが、武蔵の銅は銅貨発行のための瑞祥として利用された
もので、実用性があった訳ではないと思います。1~2年で衰退し、発見翌年には鋳銭司も
任を離れていますし、発掘を主導した渡来人も鳥取の国司に転任していますね。
古代史を政略・軍略史だけで理解するのは無理で、産業や農業など多面的な評価も必要だと
思います。そういった意味では世界遺産は、かなりの部分でオーバーラップするものだと
思いますね。私の記事はまだ少ないうえ、分析も情報収集も拙いのですが、よろしくお願
いします。

資源開発(金属生産)と古代史の関係 * by 之乎哲也
形名さん:

古代史と金属生産の関係についてご教示頂きまして有難うございます。なるほど、確かに鉄器などの金属を手にすることで生産性(農業、工業、鉱業ともに)が上がり、富の増殖を通じてさらに権力基盤の強化につながる。非常に判りやすい説明ですね。
ご指摘の長登銅山については第287話の山口県立博物館の記事でしょうか?大河ドラマ「花神」で大村益次郎の出身地が鋳銭司村ということは昔から知っていたのですが、その名前の由来に関係する銅山が美祢の長登銅山というのは山口博物館を見学して初めて知りました。

まだわたしのブログ記事には書けていませんが、世界遺産の石見銀山や国内外を問わず産業遺産関連の世界遺産も地域の権力を支えた歴史がありますね。今後形名さんから頂いた観点も気にしながらブログ記事も書いていきたいと思います。
取り急ぎ御礼まで、有難うございます。

Re: 資源開発(金属生産)と古代史の関係 * by 形名
之乎哲也 さん、こんばんは。

おっしゃるとおり、鉄は武器にも使えるし、農具の発達にも寄与して生産力が著しく伸びたんですね。8世紀には班田収授法、三世一身法、墾田永年私財法などの法律が立て続けて公布されました。農民には多くの水田が面積的には割り当てが可能でしたが、当時の労働力では、必要な土地開墾能力が不足していたんですね。そもそも木製農具では限界があるのは想像できます。鉄製農具が普及することで、新たな土地開墾が可能になってきたと言えるでしょう。

長登銅山の記事は287話の記事でした。私も知らなかったのですが、鋳銭司村という土地名があるのですね。鋳銭司というのは律令制の中の貨幣発行を司る役職名です。武蔵の場合は、有名な多治比真人三宅麻呂が担当しましたが、わずか1年で退任しています。山口県の場合も官吏がいたはずです。当時の銅生産で長登の銅が主力だったことが分かったのは、銅鉱石の出納帳のような木簡が大量に発見されたからですね。和同開珎も大仏も殆どが、ここの銅で造られたと言っても良いようです。
また、当時の奈良盧遮那仏は全身が金で装飾されていましたが、此れには水銀の利用が大きく関わっています。東北で産出した金を水銀に溶かして塗布するアマルガム法という方法で薄く塗ったんですね。塗った後、松明で焼いて水銀を気化すると金箔が残るという方法です。また水銀は、金銀鉱石から貴金属を抽出するのにも利用できたので、砂金だけでなく鉱石からの抽出が可能になったらしいです。水銀は奈良、和歌山が多いのですが西日本一帯からの産出が多いようですよ。

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中国南部との関係

たいへん興味深い記事でした。

中国南部(江南地方)に酒に弱い人が多いということは、稲作民族のマレー系との関係がある感じがします。

機会がありましたら引用させていただきます。
2020-03-30-07:16 * レインボー [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: 中国南部との関係

レインボーさん、こんにちは。

中国華南地方で突如アルコール耐性の弱い遺伝形質が生まれた原因は、実際にはまだ解明されたとは
言えないようです。本稿のデータを引用したNHKの記事に仮説が記載されていますが疑問が多いです。
湿地で暮らす人々にある種の感染症が広がったが、酒を分解しにくい人々は、体内のアルデヒドが
病原菌を殺してくれた為に淘汰を生き延びたという仮説ですが、説得力が薄い気がします。
ただ、原因が稲作生活に関連してる可能性は高いと思いますけどね。
2020-03-30-10:07 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

東国の古代史ブログ

形名さん:
私のブログ「世界遺産をゆく」を訪問して頂き有難うございました。形名さんのブログ、私にとってはやや難易度が高そうですが、お酒の話については面白く拝見しました、自らも酒好きですので面白く拝見させて頂きました。
なお、近年世界遺産でも古代の遺跡も多くなり、古代史があまり得意ではない私も先般北東北の世界遺産候補(亀ヶ岡、伊勢堂岱、大湯、田子屋野など訪問してきたところでした(ブログのアップはまだですが)。
今後、古代史も勉強するなかで形名さんのブログも拝見させて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。
2020-04-25-22:35 * 之乎哲也 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: 東国の古代史ブログ

之乎哲也 さん、おはようございます。

コメントありがとうございます。
日本の古代史には当時の産業と言える金属生産が大きく関わっていると思います。
実用性で言えば、鉄、銅ですね。貴金属で言えば金銀でしょう。
之乎哲也さんのブログに伺ったのは、おそらく長登銅山の歴史を調べている最中であった
と思います。山口県に関して詳細な記事を書かれていますね。
生地の中でも触れていましたが、武蔵の銅は銅貨発行のための瑞祥として利用された
もので、実用性があった訳ではないと思います。1~2年で衰退し、発見翌年には鋳銭司も
任を離れていますし、発掘を主導した渡来人も鳥取の国司に転任していますね。
古代史を政略・軍略史だけで理解するのは無理で、産業や農業など多面的な評価も必要だと
思います。そういった意味では世界遺産は、かなりの部分でオーバーラップするものだと
思いますね。私の記事はまだ少ないうえ、分析も情報収集も拙いのですが、よろしくお願
いします。
2020-04-26-05:51 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

資源開発(金属生産)と古代史の関係

形名さん:

古代史と金属生産の関係についてご教示頂きまして有難うございます。なるほど、確かに鉄器などの金属を手にすることで生産性(農業、工業、鉱業ともに)が上がり、富の増殖を通じてさらに権力基盤の強化につながる。非常に判りやすい説明ですね。
ご指摘の長登銅山については第287話の山口県立博物館の記事でしょうか?大河ドラマ「花神」で大村益次郎の出身地が鋳銭司村ということは昔から知っていたのですが、その名前の由来に関係する銅山が美祢の長登銅山というのは山口博物館を見学して初めて知りました。

まだわたしのブログ記事には書けていませんが、世界遺産の石見銀山や国内外を問わず産業遺産関連の世界遺産も地域の権力を支えた歴史がありますね。今後形名さんから頂いた観点も気にしながらブログ記事も書いていきたいと思います。
取り急ぎ御礼まで、有難うございます。
2020-04-26-16:26 * 之乎哲也 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: 資源開発(金属生産)と古代史の関係

之乎哲也 さん、こんばんは。

おっしゃるとおり、鉄は武器にも使えるし、農具の発達にも寄与して生産力が著しく伸びたんですね。8世紀には班田収授法、三世一身法、墾田永年私財法などの法律が立て続けて公布されました。農民には多くの水田が面積的には割り当てが可能でしたが、当時の労働力では、必要な土地開墾能力が不足していたんですね。そもそも木製農具では限界があるのは想像できます。鉄製農具が普及することで、新たな土地開墾が可能になってきたと言えるでしょう。

長登銅山の記事は287話の記事でした。私も知らなかったのですが、鋳銭司村という土地名があるのですね。鋳銭司というのは律令制の中の貨幣発行を司る役職名です。武蔵の場合は、有名な多治比真人三宅麻呂が担当しましたが、わずか1年で退任しています。山口県の場合も官吏がいたはずです。当時の銅生産で長登の銅が主力だったことが分かったのは、銅鉱石の出納帳のような木簡が大量に発見されたからですね。和同開珎も大仏も殆どが、ここの銅で造られたと言っても良いようです。
また、当時の奈良盧遮那仏は全身が金で装飾されていましたが、此れには水銀の利用が大きく関わっています。東北で産出した金を水銀に溶かして塗布するアマルガム法という方法で薄く塗ったんですね。塗った後、松明で焼いて水銀を気化すると金箔が残るという方法です。また水銀は、金銀鉱石から貴金属を抽出するのにも利用できたので、砂金だけでなく鉱石からの抽出が可能になったらしいです。水銀は奈良、和歌山が多いのですが西日本一帯からの産出が多いようですよ。
2020-04-26-20:52 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]