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東国の古代史

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2020-04-22 (Wed)  07:15

桐生中塚古墳(1/3) - 山上碑との関係 -

中塚古墳は高崎市山名町にある山上碑と関連する可能性が高い。碑文記事を書いた時、是非見学しなければと思っていた。その後、すっかり頭から蒸発していたが、ようやく行ってきました。もっと早く来るべきだったと後悔させるほど素晴らしい古墳です。

中塚古墳の紹介に入る前に山上碑の予習をしておくと理解が深まります。高崎市山名町の山上碑には次のように記されている。

中塚古墳16
↑山上碑(高崎市ホームページより)


辛巳歳(かのとみのとし)集月三日(10月3日)に記す、
佐野の三家(みやけ)と定め賜える健守命(たけもりのみこと)の孫の黒売刀自(くろめのとじ)
此れ新川臣(にいかわのおみ)の児の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の孫の大胡臣(おおごのおみ)に娶(めあ)いて生める児の長利僧(ちょうりほうし)が母の為に記し定める文也
放光寺の僧

【補足】
・辛巳歳集月三日とは西暦681年10月3日を指す。
佐野三家とは三宅または屯倉を指し、健守命は佐野屯倉の管掌者であった可能性が高い。
は実子ですが、は現在の孫と同じ意味ではなく、子孫を表す言葉です。
 従って系譜には表記されていない人物が入っている可能性がある

今どき、こんな作文を書いたら小学校の先生に叱られそうですが、そこは目をつぶりましょう。碑文は隣にある山上古墳とセットで意味を成すものであり、古墳の墓碑となっています。母(黒売刀自)のために墓碑を造った自分の系譜関係が記されている。ただ、古墳の築造は西暦650年くらいの特徴をもっており、黒売刀自の父親との合葬墓の可能性が高いと言われています。新川臣の子孫である大胡臣に嫁いだはずの黒売刀自が、なぜ大胡臣の墓に入っていないのか不思議に思います。でもこれは離婚したとは限らないようです。当時の慣習では、女は嫁いでも亡くなると故郷の墓に埋葬されたようです。
以下は碑文から読み取れる系図です。

 佐野三家の健守命-○-黒売刀自(母)ーー
                     |ーー長利(子:放光寺僧)
 新川臣ー斯多々弥足尼-○-大胡臣(父)ー

ここに出てくる赤字の新川臣(にいかわおみ)が桐生市中塚古墳の埋葬者と目されています。長利新川臣の三世孫ではないかと思います。また父親の大胡臣は前橋市大胡町地域を治めたと推定するが、大胡臣の墓と言われるのもあります。これは別稿とする予定。
以上が山上碑の概要です。

補足
新川臣物部氏ではないかと推定する学者がいます。民俗学者の谷川健一氏(1921-2013)です。もともと上毛野に物部氏が移住しているのは確実で証拠もあります。物部氏は畿内河内が本拠地ですが全国に拡散しています。また、物部氏の伝承系図を見るとニギハヤヒの七世孫には大新川命(おおにいかわのみこと)がいます。桐生の物部氏大新川命を祖と自称していた可能性があります。その系譜が真実か否かは難しいが、個人的には創作系譜だと思います。当時の氏族というのは血縁で結ばれているとは限らないので、まさに自称していたというレベルでしょう。
私は桐生の豪族は物部系氏族だが、上毛野氏に鞍替えしていると思っています。これは、本来の上毛野氏ではないが、物部氏から擬制氏族化して上毛野氏に取り込まれたという意味です。群馬県には同様氏族が広く展開しています。本来の上毛野氏は畿内へ戻って行くが、後を擬制同族化した物部氏が置き換わっていったと考えられる。畿内では物部氏に属したほうが有利でも、地方では必ずしもメリットは無いということです。損得勘定で氏族名は変わっていきます。山上碑の系譜から、彼らは桐生市新里町新川から前橋市大胡町の地域にかけて展開していたと思われます。

【考察】
群馬県の物部氏の多くは、物部君石上部君など君姓を得ていますから地方貴族です。しかし新川臣は臣姓です。当時の支配関係でいくと上毛野君が最上位と推定するが、君姓を得た物部氏はカバネでは上毛野君と同格です。新川臣が君姓を得られなかった背景には、大新川命を祖としている事が影響していると思う。大新川命物部氏の中でも物部連(もののべむらじ)の祖です。ムラジですから職掌を持つ氏族格です。従って、氏姓改正で新川君上毛野新川朝臣の名を賜わる事が出来なかったと考えています。それでも強引に主張すればカバネを変える事は出来たかも知れないが、おそらく上毛野氏との有力な婚姻関係などが無かったために、その機会がなかったのではないか。新川臣は有力豪族でも上毛野氏の臣下に治まる位置付けであったと思います。



以降は中塚古墳を画像にそって紹介します。
中塚古墳6
↑南から見た墳丘

中塚古墳は特徴のある墳丘を持っています。上の画像を見ると普通の平地にある円墳のように見えますが、墳丘の周りをぐるっと廻るとその特徴がよくわかります。


中塚古墳7
↑南東から見た墳丘

中塚古墳8
↑東から見た墳丘(南と北で形状が異る)

中塚古墳9
↑北から見た墳丘

中塚古墳10
↑西から見た墳丘

北側、西側から見ると、墳丘の盛り上がりは僅かです。つまり、この円墳はゆるい傾斜地に南向きに築造されており、山寄せ古墳に近い形です。山寄せは西暦650年頃に群馬県で流行した築造方法だったのかも知れません。平地に作れば、食料生産の邪魔になるが、このように住居から近い丘陵地であれば無駄がなく、築造工数も削減できるというメリットがあります。これは高崎市の同時代の山上古墳を見るとよく分かります。こちらは本格的な山中なので傾斜角はきついが同じ形式です。

中塚古墳17
↑山寄せ型の山上古墳

↑写角が狭くて分かりづらいが、山上古墳は急な山の斜面に墳丘がある。山の斜面に穴を掘ったという方が当たっています。


次に中塚古墳の石室を見て行きます。

中塚古墳11
↑石室入り口に続く溝

中塚古墳2
↑石室入り口に続く溝

↑本来は溝は完全に埋められており、なだらかな墳丘であったと思います。当日は石室入り口は塞がれていなかったが、過去入れないようなっていた時期もあるようです。

中塚古墳3
↑玄室に続く羨道

中塚古墳4
↑羨道の左壁面

中塚古墳5
↑羨道の右壁面

中塚古墳のような自然石を切り出して積み上げて構築する方法を切石積み石室と呼びます。この方式は古墳時代終末期の特徴になっています。切り出した石の積み上げの緻密さで加工職人の技術度が分かります。専門技術集団でなければできない仕事です。中塚古墳の石室は前橋市の宝塔山古墳蛇穴山古墳には及ばないが、国府からやや離れた地方としては最上級の構築技術が使われている。中塚古墳から比べると、高崎市の山上古墳の石室はやや乱雑なのが分かります。参考に山上古墳の石室画像を以下に添付します。

中塚古墳15
↑山上碑の横にある山上古墳の石室(黒売刀自の墓




以降は中塚古墳の玄室内になりますが、私は玄室に入るのが実は苦手です。笑
そこで、古墳マップというサイトに画像投稿されていたyoutaroさんという方に画像の提供をお願いしたところ、了承を頂きました。以降の3枚の画像はyoutaroさんの撮影です。この画像の的確なところは人物を入れて撮影していることです。これによって石室のサイズ感が明確に分かります。人物にぼかしが入っていませんが、これも了承を頂いています。

中塚古墳14
↑羨道部(転載はご遠慮ください

中塚古墳12
↑玄室部入口側(転載はご遠慮ください

中塚古墳13
↑玄室部奥壁側(転載はご遠慮ください

高崎市の山上古墳と築造時代は同じでも石室の大きさは異なり、規模の大きな石室であるのが分かると思います。この差は、そのまま権力・財力の差であったと考えても間違いはないでしょう。玄室は一部壁面と天井石の接点が崩れ、土砂が落ちていますが、東日本大震災の影響と思われます。最後になりましたが、現地に設置されてる説明板を添付しておきます。

中塚古墳1
クリック拡大


中塚古墳の概要を記述したが、本題には触れることができなかったので稿を分けます。
桐生中塚古墳(1/3) - 山上碑との関係 -
桐生中塚古墳(2/3) - 切石積み石室 -
桐生中塚古墳(3/3) - 築造時代の推定 -

取材日は2020年4月12日

次稿に続く



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No Subject * by けきすけ
中塚古墳は知らなかったのでコロナが収まったら行ってみたいです。
そして自分の山上碑のブログが書きかけで数か月になっているのを思い出し大汗かいてます(笑)

Re: No Subject * by 形名
けきすけさん、こんにちは。

コメントありがとうございます。
中塚古墳はなかなか良いですよ。
ブログをやっておられるんですね。
今度は是非URLを残しておいてください。
よろしくおねがいします
なお、通称武井廃寺跡(新川武井古墳)
はすぐ北にありますから一緒に見学を

※中塚古墳の玄室に入るならライトを忘れずに!

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No Subject

中塚古墳は知らなかったのでコロナが収まったら行ってみたいです。
そして自分の山上碑のブログが書きかけで数か月になっているのを思い出し大汗かいてます(笑)
2020-04-26-14:29 * けきすけ [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: No Subject

けきすけさん、こんにちは。

コメントありがとうございます。
中塚古墳はなかなか良いですよ。
ブログをやっておられるんですね。
今度は是非URLを残しておいてください。
よろしくおねがいします
なお、通称武井廃寺跡(新川武井古墳)
はすぐ北にありますから一緒に見学を

※中塚古墳の玄室に入るならライトを忘れずに!
2020-04-26-15:38 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]