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東国の古代史

Top Page › 歴史文化 › 赤城の山も今宵限り
2020-04-26 (Sun)  11:50

赤城の山も今宵限り

以前、関西の人に「上州の国定忠次は架空の人物ですよね」と言われたことがある。「赤城の山も今宵限り」と、映画や講談にしか登場しないから、そう思われても仕方がない。でも忠次は江戸時代末期に実在した侠客です。木枯らし紋次郎とは違います。国定忠治(1810-1851年)の国定は出身地の佐位郡国定村に由来する。現在の伊勢崎市です。本名は長岡忠次郎
悪人には違いないが、天保の大飢饉で農民を救済したという伝承もある。にわかには信じられないが、清水次郎長(山本長五郎)だって慕われていたという。地元民に危害を加えるような事はなかったのかも知れません。結局、忠次は捕縛されて処刑されました。三日間さらされたが、例によって遺体は盗まれ、金城山養寿寺の僧貞然によって秘匿のうちに埋葬されたそうです。

国定忠治8
↑忠次の肖像画(善應寺HPより)

彼の肖像画はウィキペディアや、伊勢崎市善應寺のホームページに掲載されている。これは想像画ではなく、日本画家の田崎草雲が茶店で本人とすれ違った時の印象を絵にしたものだという。かなりいかつい男です。17歳にしてある博徒を斬殺し、その後も周辺の親分衆と私闘を繰り返したという話が信じられる風体です。


国定忠治1
↑伊勢崎市養寿寺の国定忠次慰霊塔

国定忠治2
↑慰霊塔の左にある墓

国定忠治3
↑忠次の墓石

墓石は元は四角いものだったらしいが、ギャンブラーが縁起を担いで削り取るため、丸くなっています。そのためか、今はフェンスで囲まれている。このお墓の並びは全て同じ長岡家で占められていて実に壮観です。

国定忠治5
↑善應寺に徳が建立した情深墳

伊勢崎市の善應寺には忠治の妾であった菊池徳が建立した情深墳(じょうしんづか)というのがある。この石塔がどんな意味があるのかよく分かりません。伝承によると、この寺には菊池徳が手下に盗み出させた遺体の片腕が過去にあったようです。ただ眉唾のような気もします。処刑遺体を盗みだすというストーリーは定型ばなしになっていますから。石塔の文字は忠治の戒名だと思いますが、遊道花楽居士とは冗談なのかと思えます。

国定忠治9
↑浮世絵師 一椿斎芳輝が描いた徳の還暦肖像画
(書籍画像からの引用なので一部画像編集しています)

徳は忠次の子分の妻女であったらしいが、夫の死後は忠次の逃亡の手助けをした女傑ということです。女侠客であると共に、忠次の死後も自立したキャリアウーマンとして財を成したということ。晩年になってからの肖像画にも風格が感じられる。


取材日は2020年4月2日



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