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東国の古代史

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2020-05-16 (Sat)  20:31

榛名山二ツ岳溶岩ドームについて

群馬県の上毛三山の一つ、榛名山は火山です。現在、噴火活動はありませんが、何れ活動を再開する可能性は隣の赤城山よりも高いと思います。最後に噴火した二ツ岳は恐ろしい火砕流を起こしていますが、被災地域からは意外と離れた榛名山群中心部に近い場所にあります。

榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容6
↑高崎市北部から見た榛名山 クリック拡大

榛名山が噴火活動を開始した時期は50万年前と考えられている。噴火活動は休止期を挟んで二期に分けられます。

①古期榛名火山:約50万年前~約25万年前ごろ
 活動休止期 :約25万年前~約5万年前
②新期榛名火山:約5万年前~古墳時代~現在


榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容1
↑榛名山の地質図(産業技術総合研究所ホームページより)クリック拡大

上の地質図で、茶系色黄系色で示した部分は古期火山で形成された部分です。赤色桃色で示した部分は古期の上に乗った新期火山によるものです。山群の東側古期形成部の上には新期火山で発生した火山灰や火砕流の堆積があります。これらの堆積地は細かい赤点で示している。新期榛名火山では複数の溶岩ドームが形成されたが、その順序は以下となります。

榛名富士・蛇ヶ岳(3万年前)→相馬山(1.7万年前)→水沢山(1万年前)→二ッ岳(4世紀~)

噴火間隔は徐々に短くなっています。榛名山群は不気味な山です。二ツ岳の噴火は100年ほど続くが、5世紀終末期から6世紀前半の2回の噴火は大規模でした。降灰は東北福島県まで達しています。すでに古墳時代に入っていますから、当時の生活遺跡には多大な災害痕跡が残されている。現在までに発見されている火山災害遺跡を以下に示します。


榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容5
渋川市の古墳時代の火山噴出物と主な遺跡 クリック拡大
(群馬県埋文事業団ホームページより)


一般的に有名なのは、①黒井峯遺跡の埋没水田、②金井東裏遺跡の甲冑遺体、③中筋遺跡の埋没住居、④白井・吹屋遺跡の馬蹄跡でしょうか。何れも榛名山二ツ岳の北西~東にあたる渋川市に集中しています。しかし火砕流や泥流の被害は渋川市を超えて榛名山の東~南全域に及んでいます。

【補足】
上図赤枠に、Hr-FA(6世紀初頭)とHr-FP(6世紀中葉)と記述があります。水沢観音の北西1kmにある佛光山法水寺の建設現場地中から発見された樹木遺物によって、現在では、もう少し確度の高い情報があります。最外樹皮の放射性炭素年代分析AMS)と暦年代較正ウイグルマッチング法)によって以下の結果が出ている。
①Hr-FA(古墳時代1回目の噴火)
 誤差の標準偏差1ρ・・・・・西暦489-498(西暦495/+ 3/- 6)
   誤差の標準偏差2ρ・・・・・西暦485-504(西暦495/+ 9/-10)
 ※西暦489-498範囲に入る確率は68%、 西暦485-504範囲に入る確率は95%です。
  従って標準偏差1ρでは5世紀終末、2ρでは5世紀終末から6世紀初頭にも入る可能性があるという事です。
②Hr-FP(古墳時代2回目の噴火)
   Hr-FAからの相対年代で+25年程度の経過後


前述の地質図では地形が把握しづらいので色別標高図を以下に示します。


榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容2
↑榛名山標高図(国土地理院標高図より)クリック拡大

榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容3
↑榛名山標高図の拡大図 クリック拡大

新期榛名火山期の溶岩ドームを見ていて不思議なことがあります。古墳時代に入って大噴火を起こしたのは最後発の二ツ岳です。前述したように、二ツ岳に先行して相馬山水沢山はすでに形成されています。地形をよく観察すると、二ツ岳の南は相馬山に、東は水沢山に一部ブロックされています。しかも、大きなカルデラ内に完全に収まっています。にもかかわらず、二ツ岳の火砕流は榛名山東側全域に及んでいる。火砕流の発生状況は雲仙普賢岳の映像でも確認できますが、谷筋を高速で下り、麓で広範囲に広がることはない。だとすれば、現状の地形では二ツ岳火砕流の範囲は広過ぎます。地形を把握しやすくするために前述画像を3D化したのが以下画像です。


榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容4
↑榛名山標高図の3D画像 クリック拡大

二ツ岳というのは頂上部が3つに別れていて外輪山を形成しています。中心の火口2が噴火鎮静期の火口と思われます。だが、この火口地形では火砕流の広がりは説明しにくい。おそらく噴火最盛期の二ツ岳は図中火口1カルデラ全域を山体とする榛名山最大標高を持つ溶岩ドームであったと思われます。現在では相馬山のほうが標高が高いが、当時は逆転していたのではないか。相馬山は先行する溶岩ドームだが、やがて二ツ岳溶岩ドームに取り込まれていたような気もします。そう考えると巨大な溶岩ドームが崩壊して周囲全周に火砕流となって下った現象を考えやすい。

浅間山は2万4千年前に大噴火を起こしています。当時の浅間山は、外輪山である黒斑山と現浅間山を含む山体で火口も現在より大きかったはずです。今は標高2568mですが、噴火前の標高は3000mを優に超えていたと思われる。当時の山体上部は爆発と火砕流で崩壊流失しています。浅間山の北側に流れ下った火山灰泥流は吾妻渓谷を経て利根川に流れ込み、前橋台地を形成した榛名山カルデラ内に浮かぶ現二ツ岳浅間山の構造に似ている気がします。元の二ツ岳は今よりも大きな山体を持つ巨大溶岩ドームであったと思われる。

榛名山二ツ岳溶岩ドームの変容7
↑浅間山のカルデラ構造(Google/Earth) クリック拡大



【参考・引用】
・「榛名山の活動史」 産業技術総合研究所ホームページ
・「渋川市の古墳時代遺跡群の概要」 群馬県埋蔵文化財事業団ホームページ
・「群馬県の遺跡5 古墳時代Ⅱ集落」 群馬県埋蔵文化財事業団監修 上毛新聞社
・「榛名山噴火の理学的年代決定」  群馬大学 早川由紀夫研究室ホームページ
・ 国土地理院標高図、Google/Earth


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