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東国の古代史

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2021-02-14 (Sun)  20:50

三津屋古墳「珍しい八角形墳」《群馬県北群馬郡吉岡町》

この古墳は昭和10年の上毛古墳綜覧駒寄村42号墳として一時期は知られていたようです。しかし、その後は忘れ去られて古墳として記録される事はなかった。再発見されたのは、周辺の宅地開発のための事前調査が1993年に実施されたタイミングでした。調査以前は緩やかな斜面に瘤状に盛り上がった地形だったそうです。取材日は2021年2月14日。

↑三津屋古墳の位置

三津屋古墳17
↑1961年7月25日(昭和36年)の画像クリック拡大

↑宅地開発される以前の丘陵斜面には円錐状に見える突起地形が微かに確認できる。

三津屋古墳13
↑形状復元された三津屋古墳(クリック拡大

墳丘は二段構築から成る八角形墳ですが、正確には上方八角下方八角墳です。角を揃えた八角墳が上下に重なっています。八角形墳全国でも天皇陵を含めて15例ほどが確認されているに過ぎない。この墳形は7世紀から8世紀にかけて畿内の天皇陵古墳に代表されるが、発掘調査で本来の姿が確認されている訳ではない。殆どが墳丘基壇面の八角形が確認されているレベルです。三津屋古墳は、葺石や墳丘の陵角が良好に残り、立体的にその存在が確認された唯一の例として全国から注目を集めている。貴重な墳形なのに国指定史跡にならなかったのは、埋葬主体部が破壊され尽くされていて出土品が無かったことが影響しているのだろうか?

三津屋古墳12
↑現地説明板

↑現地説明板には、築造時代は7世紀後半と記載されています。乙巳の変大化改新)よりも後に築造された古墳ということになる。天皇でいうと孝徳斉明天智あたりでしょうか。築造時代推定については幅があるようで、7世紀前半と記載している資料もあります。何れにしても、殆どの八角形墳の築造は7世紀中葉~末期に集中しているのは確かなようです。

三津屋古墳1
↑南側の駐車場から撮影(開口部は南)

三津屋古墳2
↑南側から撮影

↑墳丘は版築による2段築成、全角135度の正八角形墳対角間の長さ約23.8m、残存高約4.5m、1辺の長さは下段約9m、上段約6m、葺石・周溝を備える。

三津屋古墳3
↑開口部前の前庭

↑復元墳丘内部には残存していた石室が展示されています。

三津屋古墳11
↑下方八角墳の石積み

三津屋古墳4
↑西側からの撮影

上方八角下方八角墳であるが、斜面に築造されているため、下方部北側は埋もれていて見えない。土中まで八角形の石積みがあるのかは不明。

三津屋古墳5
↑西側上方からの撮影

三津屋古墳6
↑北側からの上方八角部

三津屋古墳7
↑残存していた石室の復元展示

埋葬施設は南側に入口をもつ横穴式石室で、調査時には既に破壊されていたが、一部に切石を使用した自然石乱石積みで全長約7.5mだったと推定される。副葬品は見つかっていない。

三津屋古墳16
↑石室内の説明

三津屋古墳9
↑奥壁付近を上から撮影

三津屋古墳10
↑石室入口部を上から撮影(右側が羨道部)


以下は古墳紹介パンフレットから転写した発掘途中の画像です。

三津屋古墳14
↑墳丘発掘調査中の画像(上方八角部)

三津屋古墳の形状復元が推定に基づいて行われたのではない事が、この画像ではっきりと確認できます。稜角は積石パターンが変えられており、きっちりと135度角で正八角形が構築されている。

三津屋古墳15
↑墳丘覆土を取り除いた発掘中石室部の画像


参考に全国で確認されている15例の八角墳上方八角下方墳)一覧を添付します。地方首長墓では、半数を群馬県の古墳が占めているのが特徴的です。天皇および天皇近親の墳形は、7世紀の朝廷が道教思想の影響を受けていた証拠と見ることができる。しかし、北関東の葬送儀礼に採用された経緯については不明です。天皇や天皇近親者と同じ墳形を採用することが地方首長に許されていたのか?もし墳形に制約がなかったのなら、なぜ全国的に普及しなかったのかという疑問もある。

■天皇または天皇近親陵
・牽牛子塚古墳(斉明陵の可能性高い)
・段ノ塚古墳(現舒明天皇陵)
・御廟野古墳(現天智天皇陵)
・野口王墓古墳(現天武持統合葬陵、上方八角下方墳)
・中尾山古墳(文武天皇陵の可能性高い)
・束明神古墳(草壁皇子稜の可能性高い、八角墳の可能性が高い)
・岩屋山古墳(斉明陵説あり、上八角下方墳の可能性あり)
■地方首長墓
・三津屋古墳(群馬県北群馬郡吉岡町、上方八角下方八角墳)
・伊勢塚古墳(群馬県藤岡市※6世紀築造であり八角墳では全国で最初に築造されている
・武井廃寺塔跡古墳(群馬県桐生市新里町)
・神保一本杉古墳(群馬県高崎市吉井町)
・稲荷塚古墳(東京都多摩市)
・経塚古墳(山梨県笛吹市)
・中山荘園古墳(兵庫県宝塚市※国指定史跡
・尾市1号墳(広島県福山市)



【参考・引用】
■群馬県指定史跡「三津屋古墳」パンフレット 吉岡町教育委員会文化財センター
■「三津屋古墳」現地説明板  吉岡町教育委員会、群馬県教育委員会
■国土地理院 航空写真アーカイブ
■ウィキペディア「八角墳」



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No Subject * by sazanamijiro
いやー、なかなか異質感満載で、第二次世界大戦の要塞かと思うくらいです(^^♪
貴重な映像ありがとうございました。

Re: No Subject * by 形名
sazanamijiro さん、こんにちは。

普通の古墳とはちょっと異質な感じはありますね。
確かにコンクリート製の砲台のようにも見えます。
この古墳の存在はだいぶ前から知っていたのですが、ホームページに掲載されてる
復元画像を見て、推定による復元なのかと思ってました。八角墳の候補は実は結構
あるのですが、基壇面の調査で推定されているだけの物もあるようです。
この古墳のように立体的に八角石積みが確認された古墳は初めてなんだそうです。
こんな地方の半分山深い地域に、このような古墳が作られて経緯が知りたいですね。
八角墳文化の伝播でないとすれば、埋葬者は畿内と関係する人物なのかも知れません。

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No Subject

いやー、なかなか異質感満載で、第二次世界大戦の要塞かと思うくらいです(^^♪
貴重な映像ありがとうございました。
2021-02-24-22:01 * sazanamijiro [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: No Subject

sazanamijiro さん、こんにちは。

普通の古墳とはちょっと異質な感じはありますね。
確かにコンクリート製の砲台のようにも見えます。
この古墳の存在はだいぶ前から知っていたのですが、ホームページに掲載されてる
復元画像を見て、推定による復元なのかと思ってました。八角墳の候補は実は結構
あるのですが、基壇面の調査で推定されているだけの物もあるようです。
この古墳のように立体的に八角石積みが確認された古墳は初めてなんだそうです。
こんな地方の半分山深い地域に、このような古墳が作られて経緯が知りたいですね。
八角墳文化の伝播でないとすれば、埋葬者は畿内と関係する人物なのかも知れません。
2021-02-25-17:33 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]