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東国の古代史

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2021-03-21 (Sun)  13:35

栃木県最古の前方後方墳「駒形大塚古墳」の築造年代について(1/2)

栃木県では南北に走る那珂川水系、鬼怒川水系、渡良瀬川水系と流域ごとに前期古墳群が形成される傾向がある。西部の一部は渡良瀬川水系なので、古利根川に合流して東京湾に注いでいたが、他の水系は太平洋岸に注ぐ。各水系には複数世代の前方後方墳が築造されている。
もう一つの特徴は、南関東や、同じ北関東でも群馬県とは異なり、弥生時代に方形周溝墓が出現しない。古墳時代前期にいきなり前方後方墳が築造され始める。それも、古墳時代出現期ではなく、前期の第3期になってから現れる。複数世代の築造があるということは、前方後方墳の時代は長かったと言えるが、その始まりは比較的遅いというのが特徴です。それでも栃木県初代の前方後方墳と考えられる那須地方駒形大塚古墳は十分な古さを誇っています

↑駒形大塚古墳の位置

駒形大塚古墳那須小川古墳群に属するが、古墳群の中心からは約2Kmほど離れた単独古墳とも言える。本古墳は那須郡小川町の那珂川河岸段丘上に立地する。

駒形大塚古墳4
↑墳丘西側から全景を撮影

駒形大塚古墳15
↑現地説明板※クリック拡大

駒形大塚古墳16
↑墳丘測量図※クリック拡大

↑墳丘画像で見ると保存状態は良好に見えるが、測量図で見ると改変を受けているのがよく分かる。特に前方部は垂直方向だけでなく、主軸・横幅方向にも削平を受けていると思います。
それに対して後方部の残存状態は非常に良い。全長60.5m、後方部長さ32m、幅約30m、高さ8m、前方部幅約16mを計測する。現地説明版には、前方部端は八の字状に開くとあるので、三味線のバチのような形状であったらしい。

駒形大塚古墳2219481209昭23
↑1948年(昭和23年)の画像

↑前方部が削平される以前の姿は見られないかと、古い画像を探してみました。しかし、1948年には前方部に建築物(矢印)が見えます。従って、昭和初期には既に削平されていたようです。


(1)墳丘外観

駒形大塚古墳1
↑東側から後方部を撮影

駒形大塚古墳2
↑後方部南側道路より前方部を撮影

駒形大塚古墳3
↑墳丘の西側くびれ部を撮影

駒形大塚古墳5
↑西側前方部端より墳丘全景を撮影

駒形大塚古墳6
↑墳丘北側から前方部側面を撮影※クリック拡大

駒形大塚古墳7
↑墳丘北西より後方部を撮影※クリック拡大

駒形大塚古墳10
↑墳丘北東より後方部と前方部を撮影※クリック拡大

駒形大塚古墳13
↑後方部墳丘頂上より前方部を撮影

駒形大塚古墳14
↑後方部頂上より墳丘北東端を撮影

駒形大塚古墳12
↑後方部頂上中央の埋葬主体部位置



次稿に続く


【参考引用】
■駒形大塚古墳現地説明板        那珂川町教育委員会
■幻の王国・句奴国を旅する           赤塚次郎  風媒社
■墳墓における土器配置の系譜と意義     古屋紀之
■東国における発生期古墳の様相         大塚初重
■古墳時代における鏡の分配と保有        上野祥史
■那珂川町ホームページ
■那珂川町なす風土記の丘資料館ホームページ
■とちぎいにしえの回廊ホームページ
■ホームページ「S字甕研究室」
■国土地理院アーカイブ画像
■GoogleMAP



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