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東国の古代史

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2021-03-27 (Sat)  23:15

古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」

群馬県と長野県境にある浅間山は活発な火山です。現在の浅間山噴火口は前掛山と呼ばれている。その活動は数千年に及びます。東側山麓に積もる火山灰や軽石層の重なり方から見て、10回ほどの大規模な噴火があったと考えられている。表層の火山灰層から以下の大噴火が知られています。

■縄文時代中期(推定約4500年前)・・・ As-D層
■推定3世紀中葉・・・・・・・・・・・・As-C層
■天仁元年(1108年)・・・・・・・・・・ As-B層
■天明3年(1783年)・・・・・・・・・・ As-A層

古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」3
↑浅間前掛山東麓に見られる降下軽石層

古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」2
↑As-C軽石層の降下範囲と層厚

As-C層を作った噴火は比較的短期間であったらしく、西風に乗った火山灰は群馬県の中央部、栃木県の西部、埼玉県の北部~中部まで達している。しかし、その範囲は比較的狭い。5世紀末の榛名山噴火(Hr-FA/FP)が東北地方まで達しているのに比べると地域限定的と言えます。

As-C 軽石層の生成期は古墳時代前期と重なっている。この地層は関東地方では古墳時代初期の五領式土器補足参照)を含む土壌の上にあります。また、4世紀築造と推定される古墳時代前期の出現期古墳を覆っていることから、噴火年代は4世紀初頭と考えられていた。しかしその後、五領式土器の年代が2世紀まで遡る可能性が出てきたこと。また、古墳時代の開始年代も3世紀中葉まで遡ることから、As-C 2~3世紀となる可能性が出てきました。AMS14C年代測定からも、As-C の年代が100~200年ほど古くなる可能性が指摘されています。


【補足1】五領式土器
南関東の古墳時代前期初頭に始まる土師器型式。埼玉県東松山市の五領遺跡から出土した土器群から認定された。壺、台付き甕(かめ)、甑(こしき)、高坏(たかつき)、小形器台、鉢などからなり、在来の土器に東海西部・畿内など他地域の土器要素が組み合わさって製作されている。この土師器は、関東地方の古墳時代前期を代表する土器型式となっている。弥生土器とは器種や製作技法が異なっており、東海地方や西日本からの移住者の影響と考えられる。土器編年の対応関係は、近畿地方の庄内式期新段階から布留式期古・中段階に相当する。以下参照。
古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」7
↑土器編年表の対応図(クリック拡大)
※五領式土器出現は表中では西暦250年頃としているが、2世紀代まで遡る可能性がある。


【補足2】その他のAs-C降下物で埋没している遺跡
群馬県内には、As-C降下物で埋没した遺跡が多いが、水田と畑が殆どで住居遺跡が少ない。従って土器類が出土していない。水田は古墳時代前期初頭の可能性が非常に高いが、明確な時代指標にはなっていない。
古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」8
As-C軽石層で埋没した遺跡


以上の経緯から、浅間山As-C軽石層の生成期は従来の推定値よりも約100年遡り、遅くとも3世紀中葉(西暦250年前後)と推定される。これは土器編年でいうと廻間Ⅱ式中葉に相当する時期です。この定点は各地域の古墳時代前期古墳を調査する上で、非常に重要な指標となります。As-C層が墳丘下の基盤層にあるのか、墳丘上にあるのか、または、周堀地層中での位置関係等、築造時期推定に役立ちます。残念なのは、As-C層が確認できる範囲がやや狭いという事でしょう。それでも特定の地域の築造時期がより明確になれば、様式比較することによって、As-C層の無い地域の推定精度も上がっていくことが期待できます。

前稿群馬県最古の前方後方墳?「前橋八幡山古墳」《前橋市朝倉町》で補足紹介した前橋天神山古墳の発掘調査では墳丘下の地層も調査されています。それによると以下のような層序が検出されている。
古墳時代前期の定点指標「浅間山As-C軽石層」9
↑前橋天神山古墳の墳丘下層序

墳丘直下にはAs-C軽石層がある。前橋天神山古墳は出土した土師器分析から、築造は廻間Ⅲ式前葉にあたります。前掲の土器編年表を参照すれば、実年代は恐らく西暦275年位でしょう。だとすれば、As-C軽石層降下時期の推定値である西暦250年前後(廻間Ⅱ式中葉)は妥当な値だと思います。
一方の前橋八幡山古墳の墳丘は未調査ですが、周堀はトレンチ調査が行われています。それによると、周堀内にはAs-C層と下層の3層が純粋な形では存在しない。基盤砂層の上にAs-C層降下物が混和した黒褐色土層が堆積し、その上に5世紀末降下のHr-FAが堆積している。これは、As-C降下後に古墳の周堀が基盤砂層まで掘削された事を示す。掘削土は墳丘に盛られ、雨で堀内に流れ込んで堆積したと考えられます。自分の予想では前橋八幡山古墳築造はAs-C降下前と考えていました。しかし、降下後であることは確実となり、前橋八幡山古墳前橋天神山古墳の築造時差は意外と少ない。その間隔は約20年位と考えられそうです。言い換えると、当地への前方後円墳同盟加盟圧力(or勧誘)は、西暦250年~275年の間に加わり、氏族首長は同意したと考えられます。



【参考引用】
■ホームページ「火山災害のページ」   日本大学文理学部地球システム科学教室
浅間前掛火山4世紀大規模噴火の推移  日本火山学会講演予稿集2017
■楽天ブログ「おぢさんの覚え書き(土器編年)」
■八幡山古墳 範囲確認調査報告書    前橋市教育委員会



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