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2018-10-26 (Fri)  23:30

神社新羅起源説批判(2/2)「神社新羅起源説の評価」

前稿からの続き


(2)神社新羅起源説の評価
神社の新羅起源説について、以下に示すような視点から評価してみた。

①渡来時期の整合性
新羅の仏教開始は6世紀初頭です。新羅人が祖先信仰と仏教を携えて日本に来たという。金達寿氏の主張によれば、神社の日本伝来は早ければ6世紀初頭~中葉という事になる。一方の日本を見ると、原始神道が開始されたのは3世紀末から4世紀代であるのは確実です。導入文化なら、少なくとも4世紀以前に日本に新羅の神道文化が導入されていなければならない。4世紀といえば新羅は高句麗の属国であり、まだ国家としての体裁をなしていない時代です。
日本の神社として早いのは、出雲大社宗像大社(沖ノ島沖津宮)、大神神社大己貴神社などがある。具体的な時期は4世紀末より早い可能性がある。5世紀代の後発神社でも石上神宮など多数ある。当初から現在のような建築様式であった訳ではないが、何らかの建築物を伴っていたケースも確認されている。従って古式神社の造営開始年代は日本のほうが早く、金達寿氏の主張は成り立たない。
但し、4~6世紀に祀られた神は現在の祭神とは全く異なっていたと思われる。当初は土着神であった神も、祭政一致社会においては、氏族の勢力闘争過程で神話が改変されていく。記紀にあるような神話は、ヤマト朝廷によって統合され、形作られたのが7~8世紀と推定できる。また、その後も政治外交、仏教との習合により、神の変容は10世紀以降まで続いたと考えられる。尚、日本の仏教は新羅経由ではなく、百済であるのは確実です。新羅の仏教導入時期は非常に遅く、日本と大差がない。

祭神の比較
新羅の神社の始まりは新羅王を祀った祖神廟神宮と主張しているが、現在残る祖神廟と比較しても形式的に日本の神社とは全く異なる。そもそも、土俗的な自然神を祀っていたのに、実際に造営された最初の神社が王のを祀っているのは矛盾する。新羅の神宮呼称も日本の神宮と同じものという前提で論じているが根拠がない。日本にも実在人格を祀る祖神社が後世に誕生するが、秀吉の豊国神社、家康の日光東照宮等は大幅に時代が下るのは自明。天満宮菅原道真を祀るが、本来は天神が祭神で道真とは関係ない。新羅の神宮と日本では祭祀対象が異なっていた可能性が大きい。
一方、韓国の寺院には三聖閣という殿閣を置いている例が多い。古くからある山神信仰仏教習合したもので、山神、七星神、独聖の三者を祀る。こちらの方が形式的にも祭祀の対象としても日本の神社に近い。信仰が盛んになったのは中世に入ってからとされているが、土俗的な山神信仰が新羅本来の神道である可能性が高い。この点では金達寿氏の主張は的を得ているが、王の祖神廟が出てくるあたりから矛盾した論となっている。

神社新羅起源説2
韓国江原道 新興寺の三聖閣

③新羅の神社遺跡
新羅に神社が実在したなら破壊されたとしても、痕跡があってもよいはずだが存在しない。14世紀末に李氏朝鮮が統一王朝を作ったときは、儒教が国教であったから、それまでの仏教が排斥されて寺院が破壊された。しかし、今でも寺院は半島内にたくさん残っている。神社だけが痕跡を残さないことを説明できない。金達寿氏は、朝鮮人は論理的であるが、日本のように習合を認めず、二者択一しないと気がすまない民族性から破壊したと釈明してるが、遺跡状況には一貫性がない。日本でも廃仏毀釈はあったが、痕跡まで消すことなど不可能です。

渡来の継続性
仮に日本に神社文化をもたらしたのは新羅人であったとしても、新羅人の渡来は5世紀から始まり新羅が滅びる10世紀まで続いている。5世紀の新羅人は神道信仰であるが、後の彼らは仏教を導入して神社を排斥破壊していったという。ならば、8世紀になって渡来した新羅人が神社を創建するのは矛盾している。日本にも仏教は伝来しており、仏教に帰依してるなら創建するのは寺院であろう。

⑤古式神道との形態比較
日本の原始神道は沖ノ島禁足にあるようなもので、その核心部分は磐座依代となる。神木依代になる場合もあるが、それほど多くない。韓国の堂木のように村の住居の周囲に何本かあるようなものではない。日本では祭祀のときには、の前に即席の神籬(ひもろぎ)という祭壇を作り祀っている。当初は常設の建築物は無かったが、やがて神域への禁足が緩くなってくると、参拝する人が増えて祈祷場所を固定する拝殿が出来たと思われる。さらに依代も多様化していき本殿が構築された。しかし、本殿や拝殿を最後まで持たない檜原神社湯殿山神社のような磐座山岳信仰も残っている。こういった原始神道は朝鮮半島にはない。

神社新羅起源説3
沖ノ島 宗像大社沖津宮の拝殿

そもそも原始神道は特別なものではなく、東南アジアだけでなく世界各地に広がっている。日本の場合は何らかの建築物を伴う場合が多いが、新羅から導入されなくても世界各地で形成されうるものである。日本でも原始神道から始まり、現代の神社への変遷は長い年月をかけて形造られてきたと考えられる。

祭神の移植性
スサノオ、ハチマンなどが新羅渡来神という主張は、金達寿氏がその神々を本当に新羅の土着神、祖先神と捉えているのか?言い換えると、土着神から国家守護神として変容していく神の、どの時点の神格を指しているのか分かりにくいので評価しにくいところです。
土俗的な初期の神格であるなら、渡来人と日本人の人口比からして、日本の半分以上の神が新羅神とは思えない。土着神など新羅の専売特許ではないし、人が居れば土着神、祖先神は自然に生まれる。スサノオ、オオクニヌシなどは、本来の出雲の土着神と思います。一方、国家守護神として変容を受けた神格を指しているのなら、仮に新羅渡来を認めたとしても、あまり意味のないことです。変容してしまった時点で新羅人からは切り離されてしまい、もはや彼らを守る神ではない訳ですから。
おそらく、7世紀の中葉~後半にかけてヤマト朝廷の成立正当化を目的とし、神話の統合・再構成が行われた。その過程で出雲国は観念的なヤマトの抵抗勢力の象徴として位置付けられた。その結果、スサノオは出雲須佐地方を治める「須佐の男」という土着神から、天津神の天上界をも荒らす暴れ神、荒魂、祟り神として変容していく。最後は国譲りで決着する訳だが、敵に祀られることは敵の守護神になるのだから屈服を意味する。スサノオが東国にまで祭神として広がるのは、出雲族が敗走して散らばっていったからではない。日本の国土を造った国津神、国家守護神として新たに作り変えられたスサノオが祀られているのだと思う。
新羅という国は日本と敵対することが多かったのは事実であり、国交を持った時代も日本海ルートでは、丹後出雲を経由している。ヤマト朝廷が出雲と新羅を観念的に同格に捉えていた可能性はあると思う。高天原を追放されたスサノオを新羅のソシモリに降臨させたのは、その為かも知れない。しかし、スサノオに「この国は自分の住む場所ではない」と言わせて出雲に上陸しており、少なくとも日本神話のスサノオは新羅の神であることを暗に否定している。これはスサノオが、本来は出雲の神であったことを神話の設計者が意識していたからだと思う。つまりスサノオの変容過程を見ても新羅から移植された神である証拠はない。新羅に降臨し、出雲に上陸したことを、渡来人による出雲の建国と重ね合わせているのかも知れないが、それこそ日本の勝者の神話に便乗した論と思われます。出雲と新羅が交流があったのは事実だが、新羅人の国とは云えない。
【補足】
新羅を含む朝鮮半島には牛頭山という山が多い。朝鮮語での発音はソシモリに似ているとのこと。スサノオ神が牛頭天王という別の神格と何らかの経緯で習合したように思われるが、牛頭天王が朝鮮に由来する神なのか、日本起源なのかも明確ではない。諸説があって全く定まってはいない。

残存民俗の類似性
金達寿氏が全て主張している訳ではないが、韓国の神道の名残という証拠品を見ると、形態的にも機能的にも類似性に疑問がある。

■鳥居ーー鳥竿(ソッテ) 
ソッテは魔除けのおまじない。棒の先の横棒が鳥のとまり木で此れが横に伸長して鳥居になったと云われるが、変遷過程がなく根拠としては苦しい。共通点は鳥(鶏)に関係してる点か。日本の鳥居は中国江南~長江流域起源説が有力で形態も似ている。鳥居は人間界と神域の結界を示し、魔除けとして村の入口の道端にあるソッテとは機能が異なる。

神社新羅起源説4
韓国のソッテ

神社新羅起源説5
アカ族の村の入口にある門(タイ)

■しめ縄ーー禁縄(クムチュル)
韓国のものは不浄な物と清浄なのも隔離するための結界であり、日本のしめ縄の機能は神の領域と人間界を隔てる結界。使われる場所には違いがあり、韓国では子供が生まれた時に生活空間に設置する。赤子を不浄から守る意味がある。日本では神棚を除けば神社の鳥居、本殿、拝殿等にあり、不浄なものと隔離する概念はない。例えば、鳥居のしめ縄の場合、中心通過は忌避されるが、両端の通過は能である。

神社新羅起源説6
韓国のクムチュル(挟んであるのは唐辛子と炭)

神社新羅起源説7
鳥居のしめ縄

■神社拝殿ーー巫堂(ムーダン)
韓国の巫堂はテンポラリーな祭壇であり、厄払い儀式や祖霊交信儀式などの祈祷用に使われる。巫堂を司るのはシャーマンであり、一般の民衆が単独で祈ることはない。神社拝殿は氏子のための恒久的な祈りの場所であり、これより先は常に禁足地。

神社新羅起源説8
ムーダン
 
■神社の千木ーー韓国古建築の千木
千木の形の類似性はあるが、中国雲南省やタイの建築にも千木はあり、DNA分析による稲作文化の南方ルート流入をみれば、日本と朝鮮交流よりも古い時代に流入した可能性が高い。韓国の物もルーツはアジア南部であるのは確実。

神社新羅起源説9
アカ族の酋長宅の千木(タイ)


(3)結論
朝鮮半島でも、日本でも原始神道は独自に始まり、独自の変遷を経ている。日本の神社の形態も独自文化であり、完成品として伝来したものではない。
もちろん弥生時代以前より人の移住に影響を受けた可能性は十分あるが、同じ形態のものが朝鮮半島にない以上、それは形成過程で文化として吸収され、オリジナルなものが出来上がったと考えられる。従って、日本の神社が新羅起源という説には同意できない。




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