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東国の古代史

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2023-04-05 (Wed)  05:32

大切に守りませう

自宅近所の路傍にある江戸時代中期の庚申塔と道祖神です。

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設置されている場所は旧中山道から外れた倉賀野河岸場街道沿いです。
倉賀野という地域は平安時代末期から城下町として発祥した土地柄です。戦国時代の終焉に伴って廃城となったが、その後は宿場町、水運河岸場町として発達している。また、倉賀野町が行政的に成立したのも早い。1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、西群馬郡倉賀野町が成立しています。倉賀野町内の字名(あざめい)は全て「○○町」で表示されるのも、古い町の名残かも知れません。周辺は殆どが村であった時代で、町は数えるほどしかなかったようです。
しかし、同時期に民鉄高崎線が開通すると、水運の町倉賀野の衰退が始まる。現在は歴史ある街並みにありがちな寂れた風情が痛々しい。住民の高齢化が街並みの寂れに拍車をかけているのでしょう。新しい住宅やショッピングセンターは町の辺境に集中しており、いわゆるドーナツ現象を呈している。その住宅街ですら既に空き家が目につくようになっている昨今です。
そんな静かな町風景のなかでも歴史の面影を見出すことは出来ます。庚申塔もその一つでしょう。街中の庚申塔というのは寺社仏閣に設置されている例が多いが、交通の要衝でもあった倉賀野には街道沿いの路傍にも多く見かけます。この庚申塔と道祖神も経年による劣化と破損が激しく、文字も読み取りずらい状態です。しかし「大切に守りませう」と結んだ手作りの説明板からは、町民により大事に保護されている様子が伝わります。
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↑双体道祖神 宝暦6年(1756年)造立

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↑庚申塔 正面金剛像 宝暦6年(1756年)造立

 宝暦6年(1756年)というと歴史的には大きな事件はない。将軍は徳川吉宗の子、九代家重の時代です。当時の高崎藩の藩主は大河内松平家の松平輝高。この時代には特に輝高事績記録はない。しかし、3年後の1759年には江戸幕府は上野・武蔵の絹に対して課税を行う計画を打ち出す。この計画は地元の反対でとん挫している。しかし、松平輝高晩年に老中職首座に着くと上州特産絹織物に対する課税に許可を出している。結果、西上州の農民による絹一揆の発端となった。一揆は倉賀野から近い神流川から始まり、高崎城を包囲している。この絹一揆といい、後の時代の高崎五万石騒動といい、民衆の上州気質が表れている事件だと思います。




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