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東国の古代史

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2024-03-04 (Mon)  05:41

倉賀野堰の五貫堀・古堤・新堤(3/9)「現在の五貫堀 円筒分水~粕沢水門」

前稿からの続き

本稿で記載する範囲は五貫堀の幹線部分です。距離が長いため、円筒分水から途中の粕沢水門までとします。粕沢水門から末端までは次稿で記載します。

倉賀野堰流路図
↑長野堰の概略図(クリック拡大)

以下の画像を左クリックするとGoogleMapの水路ルート画面が別タグで開きます。


↑クリック水路図表示

GoogleMapのルート図には河川や水路のルート表示モードはないため、水路ルートは歩行ルートで代替しています。従って水路が道路沿いにない場合、ルート図は水路から外れていますが付近にあります。


s-分水筒下流の水路1

長野堰本線の円筒分水から150mほど下流部です。流路の上流方向を撮っています。左側が倉賀野堰・五貫堀です。右側にはまだ矢中堰が流れているが、直後に離れていきます。高い位置にある細い水路には水流は無く、流路名は不明です。

s-分水筒に向かう倉賀野堰

↑手前が下流側です。南東に向かっていた倉賀野堰水路は、角度を変えて岩押町と上中居町の境界を南下します。

s-354を潜る前の倉賀野堰

↑手前が下流側で上流方向を撮影。左側が岩押町、右側は上中居町になります。水路はまっすぐに南下する。どこにも水路名の標識はありません。

s-354を潜る倉賀野堰5

↑手前が上流側です。先に見える交差点道路は高崎駅東口から伸びる国道354号線です。水路はこの下を潜って更に南下します。道路の右方向は高崎駅、左方向は伊勢崎、太田に向かいます。

s-群馬メッセ内倉賀野堰4

国道354号線の地下を横断すると、水路は群馬メッセへのアクセス道路横を流れます。画像は北を向いて水路の上流方向を撮っています。

s-群馬メッセ内倉賀野堰1

↑群馬メッセの敷地内建屋の間を水路は通過していきます。上流側から下流側の南方向を撮っています。部分的に暗渠化されている。

s-群馬メッセ

↑群馬メッセの建屋ですが、建屋が2つに分離している部分の間を水路が流れています。手前道路は競馬場通り。

1974高崎競馬場

↑1974年高崎競馬場時代の航空写真です。群馬メッセは旧高崎競馬場の跡地開発で生まれたイベント施設です。競馬場時代も同じ位置を倉賀野堰は流れていました。黒矢印で追記した部分が水路で北から南に流れる。競馬場の南側道路は現在でも競馬場通りと呼ばれています。

s-群馬メッセ下出口

↑競馬場通りを潜って南側に抜け出た倉賀野堰五貫堀です。背景は群馬メッセ。水路が暗渠下から2つに分かれていますが、左側が倉賀野堰五貫堀本線です。水面の低い右側は川の面堰下之城堰の流路です。暗渠の中で分流しているので、その方法は不明です。

s-双葉町第一水門

倉賀野堰第一水門と呼ばれる水門を北側上流から撮っています。ここで五貫堀川の面堰・下之城堰は分かれていきます。川の面堰下之城堰については別稿で踏査します。

s-双葉町第一水門2

↑右側の板で止めている水路が五貫堀です。この時は五貫堀への通水は止められていました。左側は川の面堰・下之城堰です。こちらはかなりの量が流れています。

s-双葉町第一水門3

倉賀野堰第一水門を南側から上流方向を撮っています。このあたりは双葉町と呼ばれる地域です。

s-双葉町17号南4

↑双葉町の中の五貫堀は、まっすぐな部分とくねくねと曲がった部分があります。区画整理する前の流路が残っているのだと思います。

s-双葉町17号南3

↑同じく双葉町の中の水路です。通水が止められているので溜まり水になっています。

s-双葉町17号南2

↑双葉町内の水路を渡る橋。この水路を踏査していて初めて見る水路名標識ですが、倉賀野堰ではなく五貫堀と書かれています。五貫堀が厳密にどの流路まで含めた呼称なのかは不明です。

s-双葉町17号南

↑双葉町の宅地を抜け、高崎線の線路付近に出た水路です。水路幅がぐっと広がっています。

s-双葉町高崎線線路下入口

↑高崎線の線路下を北側から暗渠で潜る五貫堀です。

s-高崎線線路の下の倉賀野堰

↑高崎線の線路を付近の陸橋の上から撮影。この下を右から左へ五貫堀水路が通っています。

s-上佐野町高崎線線路出口

↑線路の下を潜って南側に抜けた出口です。水路面の高度は周囲の標高に対して非常に低くなっています。40mほど西には五貫堀とは独立している佐野堰が流れているが、水面の高度差は3~4mほど五貫堀の方が低い。佐野堰が独立しており、長野堰での分流位置が五貫堀より上流なのは、佐野堰が供給する地域の標高が高いためと思われます。厳密な標高測量による水路設計がなされています。

s-上佐野町佐野小裏

↑佐野小学校の北側を流れる五貫堀。下流側から上流方向の撮影。ここからは水路の幅が異常に広くなります。粕沢水門に近いので、水が大量に必要な時のために貯水する役目があるのかも知れません。

s-上佐野小下流の五貫堀

粕沢水門直前の上佐野町を流れる水路です。下流側から上流方向を撮影。非常に深く幅も広い。幅は6~7mくらいありそうです。この付近からは水路は東に向かって流れます。

s-五貫堀の粕沢水門1

粕沢水門を西側の上流側から撮っています。通水されていないので水路の水深はごく浅くなっている。水門を右側(南側)に下ると粕沢川になります。この付近の左岸は下之城町ですが、右岸は倉賀野町で水路が境界になっています。水門の南側には旧中山道が走っている。江戸時代のこの付近は中山道杉並木の道沿いに粕沢滝があり、お茶屋のあった風光明媚な場所だったようです。当時の絵図を見ると、多分、水門のところが粕沢滝で奥の竹藪のあたりに立場(たてば)と呼ばれるお茶屋があったのだと思います。

s-粕沢水門アップ

↑水門のアップ画像。正面左側の水門が倉賀野町に向かう五貫堀水路の入り口です。広い水路は一気に狭い水路に戻ります。続きは次稿で記載します。なお、水門を右に下る粕沢川も踏査済であり、別稿で記載する予定です。


次稿に続く

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