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東国の古代史

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2024-03-04 (Mon)  05:50

倉賀野堰の五貫堀・古堤・新堤(4/9)「現在の五貫堀 粕沢水門~新堤古堤」

前稿からの続き

本稿で記載する範囲は五貫堀の幹線部分の後半部分、粕沢水門から末端までの範囲です。

倉賀野堰流路図
↑長野堰の概略図(クリック拡大)

以下の画像を左クリックするとGoogleMapの水路ルート画面が別タグで開きます。


↑クリック水路図表示

GoogleMapのルート図には河川や水路のルート表示モードはないため、水路ルートは歩行ルートで代替しています。水路が道路沿いにない場合、ルート図は水路から外れていますが、付近にはあります。
以下画像は赤外フィルターを除去した改造カメラで撮影しています。一般撮影用のホワイトバランス調整を行っているが、調整しきれておらず、色調が正常ではありません。

五貫堀1

↑前半部記事で掲載した五貫堀は通水を止めていたが、この日は水路に水が流れています。

五貫堀3

↑下之城町のJR社宅跡と旧中山道の間を流れる五貫堀です。この部分は古い水路で非常に狭い。江戸時代の中山道は現在地よりも10mほど北にあったらしいので、五貫堀は杉並木の道沿いを流れていたものと思います。

五貫堀4

↑旧中山道の横を並行して流れる五貫堀。右側は道路です。下流方向を撮っています。水量が少ないため流れが見えません。この部分は比較的最近に改修されています。

五貫堀6

↑旧中山道から離れて、倉賀野町正六と下之城町の境を流れる流路です。水門は五貫堀正六水門と呼ばれている。水門ゲートは下之城町側に付いているが、閉じられていて通水されていない。この付近の水田は遠に消えています。

五貫堀7

五貫堀正六水門の下流100ⅿにある水門も正六水門です。この水門は重要で、水門の南東にある巨大な前方後円墳(倉賀野浅間山古墳)の周囲水田を灌漑している。画像左方向に分流しています。水が使われない季節は南部を流れる粕沢川に排水されます。

ウォーキングコースの史跡高崎市倉賀野町中山道16
倉賀野浅間山古墳の周囲に残る水田(クリック拡大)

五貫堀8

↑下之城町と倉賀野町の境界を流れる五貫堀。下流方向を撮っています。この付近は水路が広がり、幅は4ⅿほどあります。流路の先は倉賀野町です。

五貫堀9

↑倉賀野町にある無名水門です。正面の側溝に分水する施設ですが、冬場の時期は使われていません。夏になると水位が上がる事があるので通水は可能なようです。

五貫堀10

↑同じく倉賀野町の流路下流方向を撮っています。この付近は幅5m近くあります。相当な量の貯水が可能です。

五貫堀27

↑倉賀野町の幹線道路下を潜る直前の五貫堀上流方向を撮っている。倉賀野駅から1Kmほど西の位置です。左側の高い位置にある細い水路は分流水路ですが、先は完全な暗渠で追跡できませんでした。道路の側溝暗渠は複雑に接続するのと、流水があるか確認できないので追うのは難しい。

五貫堀の分岐
↑五貫堀分流図(2段クリック拡大)

五貫堀は倉賀野駅に近づくと水路は分流するので、地図を添付します。永泉寺裏水門(仮称)と上田堰水門で3つの流路に分けている。文字色は図面の線色と一致しています。
①新堤流路・・・・・・・倉賀野駅北東の新堤に給水するルート
②古堤流路・・・・・・・倉賀野駅南東の古堤に給水するルート
③五貫堀本線流路・・・  倉賀野町中心部を暗渠で烏川まで流れるルート

五貫堀11
↑水路分割する永泉寺裏水門

五貫堀12
↑水路分割する倉賀野駅横の上田堰水門


①新堤流路
倉賀野駅北東の新堤に給水するルートです。現在は通水されていないようです。新堤自体が灌漑には使われていないためでしょう。

五貫堀31

↑高崎線の線路下に潜る此の流路入口は、当初、下之城堰の排水を五貫堀に流す排水口と考えていた。しかし、それでは水門がある意味が無くなってしまいます。流路を追ったところ、新堤に向かう水路のようです。

五貫堀18

永泉寺裏水門の線路反対側にある水路です。場所は矢中踏切の北詰です。どうやら下之城堰水路ともつながっていますが、撮影位置背後にある新堤へ接続しているようです。水門ゲートは元キリンビール倉賀野工場の東側にあった水田に給水するための水門と思われます。現在は全て宅地に変わっています。

五貫堀15

新堤の導水口です。倉賀野駅北口の道路側溝として流れ、新堤南西隅に注ぐように造られている。

倉賀野堰16
↑新堤の画像手前左隅に導水口がある


②古堤流路
倉賀野駅南東の古堤に給水するルートです。このルートはやや距離があるので、前述の五貫堀分流図を参照してください。

五貫堀30

↑古堤への分流口探索には苦労しましたが、どうやら画像の上田堰水門東奥にある水路が入口のようです。水路面は高いので、水門でかなり水位を上げないと通水はできないようです。水路の様子から近年通水があったとは思えません。

五貫堀20

↑線路脇のすぐ下に古堤への水路はある。上流側の上田堰水門の方向を撮っています。水路は完全に乾燥状態です。

五貫堀21

↑暗渠に入った水路をたどると、倉賀野駅舎の南側に露出状態の水路があります。ここも近年通水した形跡はない。

五貫堀22

↑高崎線の南側に続く古堤への水路です。上流方向を撮っています。遠くに見えるのが倉賀野駅の駅舎です。

五貫堀24

↑高崎線の中里街道踏切の南詰めで水路は南に向くが、すぐに暗渠となって東進します。水路には泥が堆積して長く機能していない事を示している。

五貫堀25

古堤そばの道路側溝が水路です。ずっと暗渠の状態です。

五貫堀26

↑道路突き当りにある金網フェンスが古堤を囲う柵です。出口で確認したが、通水した形跡はない。おそらく通水を止めて以来、水路を流れるのは大雨で雨水が流れ込む時だけでしょう。

倉賀野堰20

古堤の導水口は溜池奥の右側隅にあります。堤からの出水ルートも追ってみましたが、すでに農地はない。宅地の中を流れる暗渠は分岐の連続で、通水のない状態では追跡は難しい。

③五貫堀本線流路
倉賀野町中心部を暗渠で烏川まで流れるルートです。

五貫堀14

上田堰水門の下流側です。上田という名称が何に由来するのか不明です。倉賀野町に上田地区は無いと思う。標識の背景にあるのは分かりにくいが古い設置記念石碑です。苔むした石が古さを物語る。

五貫堀19

上田堰水門の下流直下です。五貫堀本線はここから烏川に排水されるまで暗渠となり、露出する事はありません。暗渠の長さは2Km以上あるかも知れない。少なくとも灌漑には使われていないが、一切露出していないので、生活排水が流れ込むのか否かも確認できません。従って灌漑用水としての五貫堀は、ここが実質終点であり、排水口とも言えます。

五貫堀28

↑旧中山道の下を潜る五貫堀本線流路です。上の橋は太鼓橋として別稿で紹介しています。暗渠の上は生活道路になっているが歩いている人を見たことが無い。商店街のある道路ではないので当然です。

五貫堀29

太鼓橋下流域の水路です。烏川への排水口は近い。
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