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東国の古代史

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2019-03-10 (Sun)  02:26

島状遺構の系譜 - 保渡田古墳群 -

群馬県高崎市の保渡田古墳群には5世紀代の前方後円墳が3基あります。画像にあるように周濠内には円墳状構造物があります。考古学的には島状遺構と呼ぶそうです。祭祀のための空間と云われていますが、群馬でも考古学発掘で確認されたのは保渡田古墳群だけです

島状遺構の系譜1
↑保渡田古墳群の2基

保渡田八幡塚古墳3D
↑保渡田八幡塚古墳

島状遺構の系譜2
↑保渡田八幡塚古墳で復元された島状遺構

保渡田藥師塚古墳15
↑保渡田八幡塚古墳で復元された島状遺構

保渡田藥師塚古墳16
↑保渡田八幡塚古墳で復元された島状遺構

保渡田古墳群の島状遺構は何れも直径15~18mほどの円形で、まわりには葺石、頂部には埴輪列がめぐる。島ごとに違う種類の遺物が出土するため、それぞれが別の方法で、何らかの祀りを行ったという説が有力です。
 
保渡田藥師塚古墳13
↑島状遺構の出土状況

保渡田藥師塚古墳14
↑島状遺構の円筒埴輪列出土状況

個人的な仮説ですが、この古墳群の埋葬者は大王が派遣した畿内出身の移住者、または、その子孫だと考えている。過去の記事で根拠は上げてのいますが、何れも状況証拠で直接証拠は少ない。しかし、島状遺構が畿内、西日本を中心とした系譜であるなら、有力な証拠になる可能性があります。あくまでも調べた範囲ですが、近畿地方と北関東を隔てる地域に島状遺構検出されていません。時間を掛けて伝播した文化なら東国全体に存在してもおかしくはない。もし氏族依存であるなら移住による出現が説明しやすい状況です。ただ、その場合は西日本にある該当古墳の被葬者を推定して関係性を証明する必要があります。それは単に同族である場合だけではなく、古墳形態の類似性が従属や同盟関係を表す場合もあるので簡単ではないでしょう。

墳丘変遷 2 
↑造出から島状遺構への変遷推定

自分で調べた範囲では、以下の14例の古墳に島状遺構が確認されています。うち2ヶ所は推定のようです。なお、日本では上図または造出を持つ古墳が100基ほど検出されているようです。14例はまでをカウントしています。③の墳丘から地続きの出島状遺構を入れたのは、島状遺構に変化する直前段階だと考えるからです。

①井出二子山古墳     群馬県高崎市井出町
②保渡田八幡塚古墳    群馬県高崎市保渡田町
保渡田薬師塚古墳(推定)   群馬県高崎市保渡田町(⇒後日、島状遺構は無いと判明)
④正法寺古墳       愛知県西尾市吉良町
⑤佐紀陵山古墳      奈良県奈良市山陵町
⑥巣山古墳        奈良県北葛城郡広陵町
⑦誉田御廟山古墳(推定)      大阪府羽曳野市誉田
⑧津堂城山古墳      大阪府藤井寺市津堂
⑨宝塚1号墳        三重県松阪市宝塚町
⑩五色塚古墳       兵庫県神戸市垂水区
⑪金蔵山古墳       岡山県岡山市中区沢田
⑫湊茶臼山古墳      岡山県岡山市中区湊
⑬西都原46号墳       宮崎県宮崎市橘通東
園部垣内古墳      京都府園部町内林
(⑮鞍岡山3号墳      京都府精華町下狛)※補足5

日本地図白地図 
↑島状遺構を検出した古墳分布(14ヶ所)

【補足】
①畿内を起点に東西近距離に広がりを見せている。愛知県と岡山県までは文化伝播によ拡散と氏族依存両方が考えられるが、近畿圏で9基しかない状況は文化伝播では説明しにくい。群馬県の場合も移住による拡散の可能性が高いだろう。築造順序による拡散状況は後日確認する。

②保渡田古墳群は過去記事で布留物部氏と推定したが、島状遺構を持つ古墳の埋葬者出自については手掛かりを収集中。巣山古墳については葛城氏の墳墓説が根強くて自説には不利です。の他の古墳は今のところは物部と考えても矛盾はないが、本文で記述したように同盟関係もありうる。特に畿内の古墳が大王墓であれば可能性がある。

③岡山県の金蔵山古墳と三重県の宝塚1号墳からは非常に珍しい導水施設形埴輪が出土している。水を用いた儀式を行う建物を表現している。上図のプロットは水祭祀の痕跡を持つ遺跡の検出場所と重なっている。井出二子山古墳被葬者の居館といわれる三ツ寺遺跡でも導水構造を持つ水祭祀を行っていて共通性がある。岡山と三重の古墳埋葬者が、もし物部氏であれば有力証拠になりうる。

豪族居館水祭祀の発祥25
↑水祭祀の痕跡を持つ遺跡分布

④宮崎県の西都原古墳群は古墳時代前期より近畿地方古墳の影響を強く受けていることが考古発掘によって確認されている。46号墳が文化拡散なのか、移住なのかは不明。

京都府精華町下狛の鞍岡山3号墳は鞍岡山古墳群4基のうちの盟主級古墳であり、径40m、高さ8mの規模がある。墳丘北側の平坦部にひょうたん型の島状遺構が検出されている。高さ30cmくらいで低い墳丘と葺石がある。形状は巣山古墳と類似している。しかし、本体古墳は円墳としては大型ながら、島状遺構の規模は他の古墳と比べると非常に小さい。事例参考とするが検出例には含めていない。

⑥以下は島状遺構を持つ古墳と出土品の参考画像。

s-tudouャ 
↑津堂城山古墳と島状遺構(藤井寺市HPより)

津堂城山古墳内濠に造られた方墳状の祭壇施設 
↑津堂城山古墳の島状遺構(藤井寺市HPより)
※弥生時代の四隅突出形墳丘墓に類似

巣山古墳出島状遺構4 
↑巣山古墳墳丘図 (広陵町HP)
※弥生時代の四隅突出形墳丘墓に片面が類似


suyamakohuntop_gazou.jpg 
↑巣山古墳出島状遺構 (広陵町HPより)

五色塚古墳島状遺構 
↑五色塚古墳の島状遺構(Googleより)

宝塚1号墳出島状遺構 
↑宝塚1号墳の出島状遺構(wikiより)

宝塚1号墳水祭祀形象埴輪 
↑宝塚1号墳の導水施設埴輪(滋賀報知新聞記事より)

宝塚1号墳出土_囲形埴輪_(導水,_内部) 
↑宝塚1号墳出土の導水施設と井戸施設埴輪(wikiwandより)

金蔵山古墳島状遺構 
↑金蔵山古墳の島状遺構(手前岩盤部)
※岡山県観光案内サイト「たびおか」より

金蔵山古墳導水施設埴輪 
↑金蔵山古墳の水祭祀施設の埴輪(底にある溝が水路を表す)
※岡山市埋文の金蔵山古墳発掘調査説明会の展示品
※本画像はyahooブログ「だ~~~ィ好き」様からの承認引用です



造出を研究している学者の論文を読んでみると、以下のような推論がある。
■造出を持つ古墳は大王にを提供したことによる外戚氏族への敬意を表して設置が慣習的に認められていた
■大王に出仕して貢献した地方出身者への敬意を表して設置が認められていた杖刀人である行田稲荷山古墳や典曹人の江田船山古墳にも造出がある)

これら説は、私が推定した氏族が持つ葬送文化や同盟関係による現象とは観点が異なっている。細かい古墳造営仕様にまで政権の管理が及んでいたのか疑問もありますが、説得力はあると思います。研究者の推定も、古墳埋葬者と大王との信頼関係が深い事は共通している。自説の「大王の指示で地方統治のために派遣れた氏族」という見方も、信頼があるからこその派遣であり、少なくとも矛盾はしていない。これらの見解のどれが正しいのか現時点では分からない。しかし、島状遺構出島状遺構は造出の発展形と考えられますから、出現理由も同じように考えればよいのかも知れません。
なお、行田稲荷山古墳井出二子山古墳については、まったく別の観点から被葬者は大王が派遣した氏族移住者であると過去記事で論証している。本稿のテーマとした古墳形態も仮説を補強する材料になるかも知れません。前述の14例の古墳については引き続き調べていきます。



【参考・引用】
■早稲田大学論文リポジトリー日本古墳の構造研究「造出論」 沼澤豊
■発掘調査概要 巣山古墳の調査成果            井上義光
■画像     画像に付記した各サイト


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コメント(2)

偶然みつけてしまったのですが、鏡王女(不比等母)が気になって「群馬 銅 遺跡 古墳」で検索したらギョっとしました。武寧王陵の鏡と保渡田古墳群のものは同型。
武寧王はペクチャ(百済)の王です。
しかも武寧王陵にはワタヌキと関係があるようです。
綿貫観音山古墳 ここも関連。貫前も関連しているのかも?  
[ lmiezduaccoa ] 2019/3/21(木) 午後 8:19 返信する
 
> lmiezduaccoaさん、こんばんは。
保渡田古墳出土の鏡は武寧王陵の鏡と同笵鏡でしたか。どの古墳か分からないが、築造時期と武寧王死去とは時代が少しズレてませんか?
群馬の綿貫観音山と高崎観音塚古墳は半島の遺物出土品が多いですね。経緯について研究者がいろんな説を出していますが、埋葬者の人物像は必ずしも決着してはいないみたいです。 
形名 2019/3/21(木) 午後 9:26 

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* by 上州の人
早速見ました。他記事が来るのを楽しみにしてます。

Re: タイトルなし * by 形名
> 早速見ました。他記事が来るのを楽しみにしてます。

上州の人さん、こんばんは。
古い記事は、考え方が変わったり、誤ってるところもあるのでチェックを掛けながら再投稿しようと思ってます。
それと、移行した記事は拡大表示がうまくできないので、その点も修正を加えます。私の記事画像は拡大参照を
前提にしていましたから。また並行して新規の記事も書く予定です。
宜しくおねがいします。

※上州の人さんは、博識でいらっしゃいますが、ホームページとかブログ運営はしていないのですか?

* by 上州の人
ブログとかは…ないですね。
元々趣味でやりだしたので…

※この記事の、中島が確認された古墳一覧?に次の古墳も該当します。
・鳥崇神社古墳 太田市鳥山中町(中島有り)
・岩鼻二子山古墳 高崎市綿貫町(明治時代までの戸籍図に中島らしき区割りがあったが双方とも消滅)
・越後塚古墳 高崎市上中居町(前方部東側に1基、反対側は不明。現在双方とも消滅)

Re: タイトルなし * by 形名
情報ありがとうございます。
> ・鳥崇神社古墳 太田市鳥山中町(中島有り)
この古墳は知っています、墳丘調査の報告書または大田市史等を見ていないのですが、形が長円というか繭形というか、高さも大きさも少し怪しいです。祠があるようで形状は円墳ですが、位置的には周濠内ですね?造出説もありますがデカすぎますね?
> ・岩鼻二子山古墳 高崎市綿貫町(明治時代までの戸籍図に中島らしき区割りがあったが双方とも消滅)
> ・越後塚古墳 高崎市上中居町(前方部東側に1基、反対側は不明。現在双方とも消滅)
この2古墳の中島推定の話は初めて聞きます。高崎市史にも記載されていないですね。出展史料は何ですか?

* by 上州の人
<資料は何ですか。
群馬県史や古墳総覧などですね。

話が変わるのですが、保渡田古墳群の井出二子山古墳の前方部南西側の遺跡からも多くの古墳が発見されていますね。井出北畑遺跡だったような… 大型古墳のそばには必ずといっていいほど小型古墳がありますが…

* by 上州の人
中島のある古墳ですが、(一部は自分の推測です)群馬県内にはほかにも可能性があるものがいくつかあります。
・佐野長山古墳(高崎市上佐野町)
後円部東側に近接して円墳が所在
・七輿山古墳(藤岡市上落合)
堤上に円墳(美土里村51号墳)が存在
・飯玉神社古墳(前橋市広瀬町)
古墳周堀内に計4基の古墳
・成塚稲荷神社古墳(太田市成塚町)
周堀内に5基前後の古墳
・上武士天神山古墳(伊勢崎市境町上武士)
前方部北東に近接して円墳

Re: タイトルなし * by 形名
井出二子山古墳の発掘説明会には参加したころ、井野川と二子山の間を歩きましたが、もう殆ど残っていないようですね。二子山古墳に移築展示されてる石槨説明板に10基くらいの配置図があったような気がします。ホタテ貝も一基あったかな?何れも保渡田古墳群埋葬者の近親や配下の墓みたいですね。距離的には陪塚とよんでもいい場所ですね。

* by 上州の人
保渡田の周辺の火山灰の下にはまだいろいろ埋まっているみたいですね。この辺りはこの火山灰降下後は古墳が全く作られなくなりますね。

Re: タイトルなし * by 形名
円墳状遺構を含めるとずいぶん沢山ありんですね。昔、二子山の周濠発掘説明会で学芸員の人に聞いたのですが、保渡田の中島は地表面の痕跡は開墾のせいもあって殆ど無かったようです。掘ってみて存在が確認されたという感じです。昭和初期の航空写真で見ても、学芸員の説明は裏付けられます。二子も八幡塚も周濠部は開墾面に覆われています。私個人的には、周濠の中島は元々低いですから、自然摩滅や降灰で明確なマウンドとして表層にある事は無いんじゃないかと思いますね。畿内の大型古墳の場合も検出経緯を読むと全く同様です。鳥崇神社古墳の場合も余りにも明確に残り過ぎているので、この記事の中には取り上げませんでした。ただ、位置的には周濠内にあるのは確かなので、陪塚なのか、造出の延長線上にある祭祀スペースなのか判断に迷いますね。それから、中島の場合には後年祭祀の土器や、畿内の場合だと形象埴輪が必ず出ますが、鳥崇神社では検出されていないと思います?

Re: タイトルなし * by 形名
二子山の西にある円墳群は2回目の620年の噴火前後の古墳が混在していると説明版にありましたが、周濠底の火山灰層は相当厚かったので全ての水田が復旧できた訳では無いと思いますね。やはり東部、または南下して榛名山から離れた人が多かったような気がしますね。三ツ寺Ⅰ遺跡も北谷遺跡も途中廃棄されたのではないかな?

* by 上州の人
確かに中島は他より一段ほど高く、マウンド状になっているのがほとんどですからね。
もしかしたら太田天神山古墳にもあるかも!
と度々期待してしまいます。

Re: タイトルなし * by 形名
> もしかしたら太田天神山古墳にもあるかも!
大田天神山は周濠部の調査を実施したのか知らないのですが、確かに調べてみないと分かりませんね。私は東毛氏族は保渡田古墳群氏族とは、出自も文化的にも異なる勢力のような気がするので、推定としては無いのではと想像してますがどうかな・・・?そういう意味では、出土遺物が特異な鶴山古墳の中島有無は気になります。この古墳は、東毛と西毛を分ける分岐的な位置にあり、東毛の巨大古墳が衰退した後に造られた可能性がありますね。また上並榎稲荷山や越後塚が、噴火被害を避けて南下した保渡田古墳群勢力なのか、否かも気になるところ。先日の岩鼻二子山も東毛勢力なのか西毛勢力なのか分からないので、中島の有無は非常に気になるんです。
本稿テーマである、中島を持つ古墳の出現理由を探る上でも、確実に祭祀空間としての中島が存在する古墳の日本列島配置を探る必要があると考えています。単に古墳装飾・祭祀文化なのか、大王の臣下を表すのか、軍事同盟なのか等。論文検索を掛けてますが、造出の研究はあるのですが、中島遺構に特化した研究は僅かしかないようです。

* by 上州の人
群馬県は旧石器時代は浅間山、古墳時代は榛名山と、多くの火山が活発でしたからね。
戻ってきた人も少なかったでしょう。
九州では縄文時代にも大きな噴火があったし…
[火山大国]日本のスゴさがよくわかります。

Re: タイトルなし * by 形名
> 群馬県は旧石器時代は浅間山、古墳時代は榛名山と、多くの火山が活発でしたからね。
浅間山は25000年前から継続して噴火していますが、榛名山は1~2万年前の水沢山のあと、殆ど噴火がなかったもようです。ところが、西暦595、620年に突然に噴火していますから、古代人はさぞ慌てたことでしょうね。伊香保あたりでは4m、渋川でも2m,赤城山の麓でも80㎝くらいの噴石が僅かの期間に堆積しているそうです。高崎台地周辺には噴石は届いていませんが、その後の雨による泥流が大きな被害を及ぼしたようですね。

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早速見ました。他記事が来るのを楽しみにしてます。
2019-03-29-16:32 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

> 早速見ました。他記事が来るのを楽しみにしてます。

上州の人さん、こんばんは。
古い記事は、考え方が変わったり、誤ってるところもあるのでチェックを掛けながら再投稿しようと思ってます。
それと、移行した記事は拡大表示がうまくできないので、その点も修正を加えます。私の記事画像は拡大参照を
前提にしていましたから。また並行して新規の記事も書く予定です。
宜しくおねがいします。

※上州の人さんは、博識でいらっしゃいますが、ホームページとかブログ運営はしていないのですか?
2019-03-29-19:14 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

ブログとかは…ないですね。
元々趣味でやりだしたので…

※この記事の、中島が確認された古墳一覧?に次の古墳も該当します。
・鳥崇神社古墳 太田市鳥山中町(中島有り)
・岩鼻二子山古墳 高崎市綿貫町(明治時代までの戸籍図に中島らしき区割りがあったが双方とも消滅)
・越後塚古墳 高崎市上中居町(前方部東側に1基、反対側は不明。現在双方とも消滅)
2019-03-29-22:03 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

情報ありがとうございます。
> ・鳥崇神社古墳 太田市鳥山中町(中島有り)
この古墳は知っています、墳丘調査の報告書または大田市史等を見ていないのですが、形が長円というか繭形というか、高さも大きさも少し怪しいです。祠があるようで形状は円墳ですが、位置的には周濠内ですね?造出説もありますがデカすぎますね?
> ・岩鼻二子山古墳 高崎市綿貫町(明治時代までの戸籍図に中島らしき区割りがあったが双方とも消滅)
> ・越後塚古墳 高崎市上中居町(前方部東側に1基、反対側は不明。現在双方とも消滅)
この2古墳の中島推定の話は初めて聞きます。高崎市史にも記載されていないですね。出展史料は何ですか?
2019-03-30-05:13 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

<資料は何ですか。
群馬県史や古墳総覧などですね。

話が変わるのですが、保渡田古墳群の井出二子山古墳の前方部南西側の遺跡からも多くの古墳が発見されていますね。井出北畑遺跡だったような… 大型古墳のそばには必ずといっていいほど小型古墳がありますが…
2019-03-30-07:17 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

中島のある古墳ですが、(一部は自分の推測です)群馬県内にはほかにも可能性があるものがいくつかあります。
・佐野長山古墳(高崎市上佐野町)
後円部東側に近接して円墳が所在
・七輿山古墳(藤岡市上落合)
堤上に円墳(美土里村51号墳)が存在
・飯玉神社古墳(前橋市広瀬町)
古墳周堀内に計4基の古墳
・成塚稲荷神社古墳(太田市成塚町)
周堀内に5基前後の古墳
・上武士天神山古墳(伊勢崎市境町上武士)
前方部北東に近接して円墳
2019-03-30-11:06 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

井出二子山古墳の発掘説明会には参加したころ、井野川と二子山の間を歩きましたが、もう殆ど残っていないようですね。二子山古墳に移築展示されてる石槨説明板に10基くらいの配置図があったような気がします。ホタテ貝も一基あったかな?何れも保渡田古墳群埋葬者の近親や配下の墓みたいですね。距離的には陪塚とよんでもいい場所ですね。
2019-03-30-13:16 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

保渡田の周辺の火山灰の下にはまだいろいろ埋まっているみたいですね。この辺りはこの火山灰降下後は古墳が全く作られなくなりますね。
2019-03-30-13:28 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

円墳状遺構を含めるとずいぶん沢山ありんですね。昔、二子山の周濠発掘説明会で学芸員の人に聞いたのですが、保渡田の中島は地表面の痕跡は開墾のせいもあって殆ど無かったようです。掘ってみて存在が確認されたという感じです。昭和初期の航空写真で見ても、学芸員の説明は裏付けられます。二子も八幡塚も周濠部は開墾面に覆われています。私個人的には、周濠の中島は元々低いですから、自然摩滅や降灰で明確なマウンドとして表層にある事は無いんじゃないかと思いますね。畿内の大型古墳の場合も検出経緯を読むと全く同様です。鳥崇神社古墳の場合も余りにも明確に残り過ぎているので、この記事の中には取り上げませんでした。ただ、位置的には周濠内にあるのは確かなので、陪塚なのか、造出の延長線上にある祭祀スペースなのか判断に迷いますね。それから、中島の場合には後年祭祀の土器や、畿内の場合だと形象埴輪が必ず出ますが、鳥崇神社では検出されていないと思います?
2019-03-30-13:45 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

二子山の西にある円墳群は2回目の620年の噴火前後の古墳が混在していると説明版にありましたが、周濠底の火山灰層は相当厚かったので全ての水田が復旧できた訳では無いと思いますね。やはり東部、または南下して榛名山から離れた人が多かったような気がしますね。三ツ寺Ⅰ遺跡も北谷遺跡も途中廃棄されたのではないかな?
2019-03-30-13:57 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

確かに中島は他より一段ほど高く、マウンド状になっているのがほとんどですからね。
もしかしたら太田天神山古墳にもあるかも!
と度々期待してしまいます。
2019-03-31-00:35 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

> もしかしたら太田天神山古墳にもあるかも!
大田天神山は周濠部の調査を実施したのか知らないのですが、確かに調べてみないと分かりませんね。私は東毛氏族は保渡田古墳群氏族とは、出自も文化的にも異なる勢力のような気がするので、推定としては無いのではと想像してますがどうかな・・・?そういう意味では、出土遺物が特異な鶴山古墳の中島有無は気になります。この古墳は、東毛と西毛を分ける分岐的な位置にあり、東毛の巨大古墳が衰退した後に造られた可能性がありますね。また上並榎稲荷山や越後塚が、噴火被害を避けて南下した保渡田古墳群勢力なのか、否かも気になるところ。先日の岩鼻二子山も東毛勢力なのか西毛勢力なのか分からないので、中島の有無は非常に気になるんです。
本稿テーマである、中島を持つ古墳の出現理由を探る上でも、確実に祭祀空間としての中島が存在する古墳の日本列島配置を探る必要があると考えています。単に古墳装飾・祭祀文化なのか、大王の臣下を表すのか、軍事同盟なのか等。論文検索を掛けてますが、造出の研究はあるのですが、中島遺構に特化した研究は僅かしかないようです。
2019-03-31-05:35 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

群馬県は旧石器時代は浅間山、古墳時代は榛名山と、多くの火山が活発でしたからね。
戻ってきた人も少なかったでしょう。
九州では縄文時代にも大きな噴火があったし…
[火山大国]日本のスゴさがよくわかります。
2019-03-31-08:18 * 上州の人 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

> 群馬県は旧石器時代は浅間山、古墳時代は榛名山と、多くの火山が活発でしたからね。
浅間山は25000年前から継続して噴火していますが、榛名山は1~2万年前の水沢山のあと、殆ど噴火がなかったもようです。ところが、西暦595、620年に突然に噴火していますから、古代人はさぞ慌てたことでしょうね。伊香保あたりでは4m、渋川でも2m,赤城山の麓でも80㎝くらいの噴石が僅かの期間に堆積しているそうです。高崎台地周辺には噴石は届いていませんが、その後の雨による泥流が大きな被害を及ぼしたようですね。
2019-03-31-15:09 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]