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東国の古代史

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2019-07-29 (Mon)  19:18

陳寿にはめられた日本人(2/4) -魏志倭人伝の誇張-

魏志倭人伝の中には邪馬台国へ至る国々の道のり、方位、各国の人口、国の風俗などが記載されているのはご存知の通りです。でもその中には実際とはそぐわない相違点、または誇張と思われる記述があります。特徴的なのは以下の3点です。


①帯方郡(韓国ソウル)から南の距離が過大である
朝鮮半島自体が巨大な半島として描かれている。更に定説のとうり、記載される距離と邪馬台国までの所要日数を加算すると倭国は非常に大きな国として描かれている。邪馬台国の位置は九州島に上陸するまでに要した里程と残りの里程の値から、九州以外にはあり得ないとされています。しかし、倭人伝の里程は標準里(約434m)では成り立たず、短里(70~90m)の採用が前提となっている。短里の存在評価に関しては別稿で纏めて述べます。一方、標準を採用して倭人伝の記述を素直に追従すれば、邪馬台国は九州島の遥か南の海上にあることになります。原因は、当時の中国思想や国内の権力闘争による影響から、里程の大幅な誇張が含まれている可能性が多分にあります。魏志倭人伝の里程記述を元に邪馬台国の位置を割り出すのは現実的には不可能と思います。

古代中国の距離測定方法と短里の実在性評価については、以下の別稿に記載しています。


②日本列島の方位が正しくない
日本列島は西南から北東方向に長く伸びた列島であるが、記述では九州を北にして南北に伸びた列島として描かれている。列島の配置も熱帯地域に近いところに置かれていると考えられる。風俗描写もやや南国風のイメージが感じられる。


③倭国を構成する諸国の人口が誇張されている
 記載されている倭国連合の合計人口は15万戸(約75万人)で、邪馬台国だけで7万戸(約35万人)とある。計算は一戸=5人としています。当時の倭国に戸籍などあるとは思えないので、一戸の人数は当時の中国平均値を使っています。
因みに有名な佐賀県吉野ケ里遺跡の人口は、最盛期で1000~1200名です。倭人伝の記述で単純計算すれば、邪馬台国には40ヘクタールの吉野ケ里遺跡が300個もあるような巨大都市群になってしまう。吉野ケ里遺跡が邪馬台国と決まった訳ではないが、現在までの発掘調査ではクニ全体でも5400人程度と試算されています。また、邪馬台国の7万戸という人口は、当時の魏の首都洛陽の人口とほぼ同じ規模であり、到底信じられない数値です。この記述だけでも文献批判の対象になる記述と云える。



このような記載の不審さが現代の日本の歴史学者達を悩ませ、混乱におとしめた原因でした。これ等は陳寿の仕入れた情報の不正確さに原因があったか、陳寿自身が各情報を誤って理解したためにとんでもない記述になってしまったというのが一般的な見解のようです。
しかし、彼の伝記や当時の時代背景を知るうちに、これは少し違うのではないかと思えるようになりました。いや、魏志倭人伝が不正確な文書であるという結論が変わる訳ではないのです。しかし、当時の倭国を取り巻く中国の政治情勢を知る事が大切で、結局、倭国を理解する早道と思われます。魏志倭人伝は貴重な資料ですが、2000字の中だけで謎を解こうと思っても無理だと思います。

参考として面白い地図を紹介します。見覚えのある人もいるかも知れません。私が中学生の頃には確か教科書に写真が載っていたような気がします。


陳寿にはめられた日本人6
混一疆理歴代国都之図(クリック拡大


この地図は現存する最古のアジア世界地図だそうです。14世紀の明の時代に朝鮮使として派遣された韓国人が中国にあった二つの地図を朝鮮に持ち帰り、朝鮮半島の詳細図と日本を書き加えて作成したそうです。なお、この地図は混一疆理図と省略されることが多いが、中国人作成者による「混一疆理図」が別にあるので、正式名「混一疆理歴代国都之図で記載しています。

まず目を引くのは異様に大きい朝鮮半島と、日本列島の方位配置です。日本は九州を北にして90度傾いた南北に長い国として描かれています。四国と北海道が無いのはご愛嬌。それにやけに南の方にあるではないですか。これでは台湾と同じ緯度になります。
魏志倭人伝では、邪馬台国は北九州沿岸の国から南の方向にあると記述されています。全く時代が違うものなのに妙に魏志倭人伝の記述に合致しているとは思えませんか。この地図では九州から南に進むと畿内に至るので、この図の認識が過去の朝鮮や中国人にもあったとすれば、魏志倭人伝の記載は正しいと考えることもできます。

しかし、残念ながら混一疆理歴代国都之図に関する定説では、朝鮮が大きいのは詳細に記述するために大きくしてある。また、日本列島が90度傾いているのは、日本人から入手した図面を書き加える時に方位を間違えて書き込んだためと云われています。
私には他にもっと根源的な理由があるような気がします。しかし、三国志の時代から千年も経っているのに、まだこのような地図が描かれているのは不思議です。


次稿に続く


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No title * by bigbossman
記事を興味深く拝見しました
倭人伝の行程距離については百論がありますが
自分は現代の地図をもとにして1里の距離を算定するなどの方法は
中国本土ならともかく、倭国内においては無理があるんじゃないかと思ってます
また短里もないと思います

書かれている距離は、千餘里、五百里、百里とおおざっぱで
地誌としてある程度のことがわかればくらいの感覚のような気がしますね





Re: No title * by 形名
bigbossmanさん、いつもコメントありがとうございます。

私も短里については同感です。
私は九州島の中に邪馬台国があった可能性は否定はしないのですが、
短里説は純粋な学術的に生まれてきたものではなく、邪馬台国を
九州に収めるために作られ操作されてきたように思います。
都合よく1里の距離を決める手法は循環論法的とも思えますね。
また、別な機会に書こうと思ってるのですが、距離の単位というのは
単独では存在しても意味がないものだと思います。
長さ、距離で言えば、寸、尺、丈、里が各々特定の倍率で存在して初めて
利用価値があります。仮に短里があるなら、それに対応する、
短丈、短尺が存在するかというと、どこにも存在しない。
短里説を述べる人たちはこの事実を疑問に感じないのか、
目を背けているだけなのか、堂々と解釈する人がいないですね!

そういえば中国には端数を四捨五入する表記はないですね。
全て「余」という便利な表現で処理してます。
これも文化でしょうかね。

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No title

記事を興味深く拝見しました
倭人伝の行程距離については百論がありますが
自分は現代の地図をもとにして1里の距離を算定するなどの方法は
中国本土ならともかく、倭国内においては無理があるんじゃないかと思ってます
また短里もないと思います

書かれている距離は、千餘里、五百里、百里とおおざっぱで
地誌としてある程度のことがわかればくらいの感覚のような気がしますね




2019-07-31-08:36 * bigbossman [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: No title

bigbossmanさん、いつもコメントありがとうございます。

私も短里については同感です。
私は九州島の中に邪馬台国があった可能性は否定はしないのですが、
短里説は純粋な学術的に生まれてきたものではなく、邪馬台国を
九州に収めるために作られ操作されてきたように思います。
都合よく1里の距離を決める手法は循環論法的とも思えますね。
また、別な機会に書こうと思ってるのですが、距離の単位というのは
単独では存在しても意味がないものだと思います。
長さ、距離で言えば、寸、尺、丈、里が各々特定の倍率で存在して初めて
利用価値があります。仮に短里があるなら、それに対応する、
短丈、短尺が存在するかというと、どこにも存在しない。
短里説を述べる人たちはこの事実を疑問に感じないのか、
目を背けているだけなのか、堂々と解釈する人がいないですね!

そういえば中国には端数を四捨五入する表記はないですね。
全て「余」という便利な表現で処理してます。
これも文化でしょうかね。
2019-07-31-13:44 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]