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東国の古代史

Top Page › 古代日本史 › 卑弥呼は“女王国の女王” 『魏志倭人伝』
2010-04-10 (Sat)  19:03

卑弥呼は“女王国の女王” 『魏志倭人伝』

魏志倭人伝に関する補足メモ。

以下引用文は、日本書紀の紀年論で有名な“ゆうちゃま”こと倉西裕子さんの投稿記事からの抜粋です。

弥生時代、三世紀の我が国についての記録である『魏志』倭人伝に登場する女王・卑弥呼については、枕詞のように「邪馬台国の女王」という表現が、よく用いられています。

「邪馬台国の女王」と表現してしまいますと、卑弥呼は邪馬台国という一ヶ国の女王であったといったイメージを帯びてしまうことになり、多くの人々が、卑弥呼は邪馬台国の女王であると信じているかもしれません。しかしながら、『魏志』倭人伝をよく検証してみますと、以下の点から、卑弥呼は、「邪馬台国の女王」ではなく「女王国の女王」であると表現したほうが、より史実を反映したものとなる可能性が見えてきます。

 第一に、『魏志』倭人伝では、卑弥呼を女王として擁立して纏まっていた倭諸国三十ヶ国を総称する場合は、「女王国」、もしくは「女王」という表現が用いられています。

 第二に、「邪馬台国」という用語は、「至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戸」という文章のなかの一箇所のみしか用いられていません。

 第三に、「至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戸」という一文をよく検証してみますと、邪馬台国は、女王・卑弥呼が、居住していた倭諸国三十ヶ国の一国と解釈するほうが、より蓋然性がありです。倭諸国三十ヶ国を今日の都道府県に擬えるならば、邪馬台国は、首都の東京であるということになるでしょう。

 第四に、『後漢書』でも「邪馬壹國」が出てまいりますが、「大倭王居邪馬壹國」と表現されており、ここでも、「邪馬壹國」は盟主が居していた場所とされているのです。

このような点から、邪馬台国は倭諸国三十ヶ国の統合を象徴する都であったと考えられるのです。


ここで記載されてる事は重要な事だと思います。

卑弥呼が、邪馬台国の女王でも、倭国三十ヶ国の女王でも、どっちでもいいじゃないかという人もいますが、倭国三十ヶ国の首都である邪馬台国の起源とその後の顛末を議論する上でも重要な要素になると考えます。

倭国三十ヶ国が表現されているように本当に一枚岩の国家として纏まっていたのか?それ以前に倭国グループは1個なのか、更に他の倭国グループも存在したのか?また、倭国を構成する小国の各々の分布地域はどこであったのか?これらの問題を解決していく過程においては、女王の立ち位置を明確にしておかねば議論しても混乱するばかりです。









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No title * by 眞(Shin)
はじめまして。
自転車趣味のblogを読んでいるうちに辿り着きました。

形名さんは古代史研究家でしょうか。
私は30年ほど昔、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」を読み感銘を覚えたど素人です。これを読んで邪馬台国論争は決着するだろうと素人なりに思っていましたが、未だ決着を見ていないようです。
形名さんのこのblogでもほとんど無視されているように思えます。近年『東日流外三郡誌』騒動でミソを付けたようですが、私には今なおこの「邪馬台国はなかった」は論理的な本だと思っていますが、どう思われますか。

No title * by 形名
真さん、はじめまして。
素晴らしい自転車をお持ちで羨ましい限りです。私も将来、真さんのような自転車が欲しいと思ってます。
続く。

No title * by 形名
さて邪馬台国の話ですが、私は研究家などではありません。全くのど素人ですよ!でも、古田さんの事は知っています。「邪馬台国はなかった」も昔読みました。論としては面白いし、間違った推論だとは思いません。ただ、私の感想を云いますと、私自身は「邪馬台国」と「邪馬一国」の国名そのものの論争には余り興味はありません。元々、邪馬台国と云う名前だったから、その場所は音が似ている大和にあったという推論は危険だと思うからです。一方、確実なのは邪馬台国の時代に続く大和朝廷が現在の奈良盆地東部を発祥の地としたのは確実です。続く。

No title * by 形名
そこで明確にしなければならないのは、①邪馬台国と大和朝廷の関係(同一勢力系列なのか別勢力なのか)、②邪馬台国=大和朝廷で、かつ、九州説に立つなら、いつの時点に、どんなふうにして畿内へ移動したのか考古学的証拠を持って証明すること、邪馬台国=大和朝廷で、かつ、畿内説に立つなら、どんなふうにして国内勢力を統合して云ったのかを明確に証明すること。③邪馬台国≠大和朝廷なら、何処の勢力がどんな風にして邪馬台国を滅ぼす、または、併合吸収していったのかを証明すること。これらが必要と考えます。それが出来た学派が最終的に決着を付けることになる。現時点ではどちらも達成してはいないですね。そういった観点から邪馬台国の国名論から九州にあったと証明するのは現在では不可能です。私は日本と中国の古代文献に依存しすぎた邪馬台国探しは危険なアプローチという考えなのです。正しいか否かは別にして、昔の記事を読んで頂けると、私の立ち位置が少し分かって頂けると思います。

No title * by 眞(Shin)
形名さん、返信ありがとうございます。
>元々、邪馬台国と云う名前だったから、その場所は音が似ている大和にあったという推論は危険だと思うからです。一方、確実なのは邪馬台国の時代に続く大和朝廷が現在の奈良盆地東部を発祥の地としたのは確実です。

この論は古田さんも主張していることと同じですよね。
彼は大和王朝とは別の九州王朝が成立していて、白村江の戦いで大和王朝に取って変わられた--というような主張をしていた記憶ですが--これ以上は私も形名さんほど研究していないので何ともいえませんが。。。
確かに文献だけに依存しすぎた論は危険ではありますね。

No title * by 形名
地域王国説というのは、古田さんに限らず、もっと研究すべき分野のような気がしますね。古田説が正しいかどうか別にして、現在のような畿内一辺倒、畿内中心的な研究の仕方は少し行き過ぎているように思う。古田さんは最新の研究を踏まえた九州王朝説をもう一回執筆すべきではないですかね!
私は邪馬台国九州説ではないのですが、北九州が先進文化の地であり、弥生の初期にはおいては恐らく倭国のリーダーシップをとっていたのは事実と思っています。

No title * by 眞(Shin)
私は魏志倭人伝に関する書物は前記「邪馬台国はなかった」しか読んでいないので、古田さんの論は(中央公論社の「日本の歴史」で魏志倭人伝の記述解釈は不明という説明を読んだあとだっただけに)非の打ち所がないと思いましたが、もっと研究を深くしていけば違ってくるのでしょうかね。
ところでタイトルは「のこほり異聞」とお読みするのでしょうか、それとも「こほり異聞」とお読みするのでしょうか。上州の方言なのでしょうか。blogを始められた当初の記事を読んでみましたが、書かれていないようだったので、意味を教えていただければ幸いです。

No title * by 形名
真さん、おはようございます。
ご存知のとうり、古田さんの文章力は素晴らしいです。説得力もあります。しかし、中国文献に関しては100%信じるという傾向がありますね。その辺りが私にとっては不満のあるところです。日本の歴史学会から疎外されていたり、中国の歴史学者から全く評価されていないのも聞かれていると思います。基本的な漢文の読解法に問題があると云われています。というより、自説に関しては絶対の自身を持っていて曲げることがありませんから、そんなところが疎外の原因かも知れないですね。でも、古田さんのような研究者がいても私は面白いと思っています。学者は多かれ少なかれ頑固な人が多いですからね(笑)。
ブログタイトル“くるまのこほり”は“車郡”の読みから取ってます。発音は“くるまのこおり”ですが。群馬県の“ぐんま”は、今は馬が群れると書きますが、語源は“くるま”が変化して“ぐんま”となっています。古代の群馬県高崎市辺りは“車郡”と呼ばれていました。今でも古代寺院の跡からは“車”と記載された瓦が沢山出土するんですよ。

No title * by 眞(Shin)
ははは、「くるまのこほり」と通して読まないと駄目でしたか。「くるま」というのは車輪からきているとばっかり思っていました。
今回はためになることばかりで、ありがとうございました。

* by いろは
いろいろあちこちに飛んですみません。いやもちろん暦の件についてもまだ考え続けてます。気になることなので少し知恵を拝借したく申し訳ありません。邪馬台国は母系または母権制だったのではと思ってるんです。少数民族的な?母系社会って人口再生産システムとして効率が悪いのでもしかしたら単純に消滅かなと。もちろんなんらかの影響により大和朝廷との関わりに発展した可能性はなくはないと思いますがどう思われますか?中国も2世紀頃以前は母系社会ですから繋がりがあってもおかしくはないだろうと。いつも単なる思いつきのような話ばかりで申し訳ありません。

Re: タイトルなし * by 形名
いろはさん、こんばんは。

私の個人的な考えですが、卑弥呼が単なるシャーマンであったとは思っていません。弥生末期から古墳時代においては、俗にヒメヒコ制と呼ばれる、大まかに言えば女性は祭祀を司り、男子は軍事・政治を司るという祭政分担社会であったと考えています。魏志倭人伝に卑弥呼がシャーマンであるかのような、または、母権制であるような記述があるのは確かです。しかし、それは中国人の辺境国家に対する蔑視感による思い込があるのだと思います。魏志倭人伝にも卑弥呼の男弟が登場していますし、おそらく軍・政を担当した血縁者であると考えます。母系制に関しては何とも云えません。母系制と母権制は意味が全く違います。母系制は有りえたと思いますが、母権制は否定的に思います。

邪馬台国とヤマト王権との関係は論じるのが難しいです。私もこのブログを始めた頃は、邪馬台国畿内説でしたが、今では、倭国は少なくとも九州島が中心ではないかと考えています。邪馬台国も九州島の中にあったのではないかと。必然、ヤマト王権は別系統の勢力ということになります。私は、記事「邪馬台国東遷説批判」でも記載してるように九州倭国の東遷(ヤマト侵略・併合説)を取りません。かと言って、邪馬台国と対立した句奴国=ヤマト王権かというと、それも断定出来ないと思います。正直言って、ヤマト王権の出自に関しては良くわからないというのが本音です。従って帰納的に云えば、邪馬台国を含む倭国は、ヤマト王権に服したか、滅びたかの何れかと思います。ただし、倭国とヤマト王権の人類学的な違いはないと考えています。弥生時代中期には九州から東方への人の移住が断続的に続いており、言い換えると海人族と云われ氏族が本州にも広がっていき、いわゆるクニを形成してゆき、その中の一派がヤマト王権だと考えています。

Re: タイトルなし * by 形名
一つ補足しておきますが、海人族の東方移住は無住の地に展開したと考えてる訳ではありません。日本列島には縄文系、アイヌ系と言われるような氏族も先住していたと考えています。ただ先住氏族は発達した階級社会による国家形態を取るのが遅れたか、取れなかった氏族ではないかと考えています。列島の国家形成は海人族の展開で急速に進んだように思います。

* by いろは
ありがとうございます。実は海人族の信仰が天照大御神だったとしたら?と考えていたんです。天皇の出自がわからないので神仏習合で天照大御神が太陽神になったとか考えられないかなーと考えてでした。本来結婚によるは吸収、融和と考えているのですがまだ考えがこれ一本みたくならず、詳しい解説ありがとうございました。ヒメヒコ制はやっぱり言われるかなと思ってました(笑)

https://shuchi.php.co.jp/article/5756?

https://kankou-kimotsuki.net/archives/10605

私は上記2点の説がスムーズに思えることと、地形(河内湾があった頃)を考えても、制海権争いかなと思うんですよ。出雲平定で宮崎に降りるわけですから北陸から琵琶湖を抜けての陸路というか水路は握ったと思えます。なので邪馬台国は広く瀬戸内海から九州の中のどこかと思っており、まだどこかは自分の中で決められていないというのが本音です。

いつもありがとうございます。

* by いろは
度々すみません。東北は東北で文化を持ってますから私も同じ考えですよ。関東から関西に最近引っ越したのですが、いろいろと違うなと思うことがたくさんあります。

前述した制海権は継体天皇の磐井の乱を考えてたときに思ったことです。陸路および湖の水路を確保。あとは制海権が必要ではと。となると海人とか海女とか海とか真珠とか…なんか。紀伊水道って真珠有名ですしね。だからヤマト王権の母方が海人族だったのではないかと考えました。母系制については正直わかりません。また母権制も日本のように役割分担が根付いている国だと違和感はあります。いつも斜め上の話ばかりですみません。

* by いろは
ちなみに私がすごく真珠にこだわるのは真珠(のためだけとは言いませんが)の争奪戦に巻きこまれないよう鎖国?貿易規制?今はなんて呼ぶのが分かりませんが、いわゆる鎖国までしてますし日本にとって真珠って特別な何かがあるのかなと。魏志倭人伝にも真珠の話ありますよね。卑弥呼?壱与?が真珠を中国に送ったと。

Re: タイトルなし * by 形名
いろはさん、こんにちは。

私自身は邪馬台国は九州にあった可能性が高いと考えていますが、それは魏志倭人伝の距離、方位記述からの推定ではありません。この点に関しては魏志倭人伝の記述は意味を成さないと考える立場です。コメント欄で記述すると長くなって記載不能です。私の考えに関して既に記事投稿していますので、もし興味がありましたら目を通して頂けると幸いです。


①日本史フォルダ「陳寿にはめられた日本人(1~4) 」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
②日本史フォルダ「邪馬台国東遷論批判」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1135.html
③日本史フォルダ「人口で見た『魏志倭人伝』の欺瞞」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1086.html
④日本史フォルダ「陳寿の見た倭国図は裴秀の誤った地図か? 1~2」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1136.html
⑤日本史フォルダ「古代中国の距離計測法と短里の存在性評価(短里説批判)」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1478.html
⑥日本史フォルダ「神話の形成と目的1~3」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1138.html


Re: タイトルなし * by 形名
「真珠」については論文を幾つか呼んでみました。
魏志倭人伝に宝物が登場するのは何箇所かありますが、一つは倭国の産出物で
「「出真珠青玉其山有丹 」とあります。贈答宝物ではトヨの贈った「白珠5千孔」ですね。
魏志倭人伝には、「真珠」「白珠」が出てくるのですが、これが何に相当するのかは
説が色々あって確定していないみたいです。
一つは現代で言うパールの真珠ですが、その他に有力なのは水銀朱(硫化水銀)という
説もあるようです。まず魏志倭人伝の時代にパールを「真珠」と呼んだとい説は説得力
が薄いかも知れません。現中国語でもパールは「珍珠」と呼ばれている。
むしろ白珠のほうが貝玉である可能性は高いかも。白珠は単位が「孔」ですから丸い粒だと
思います。しかし、これも、鉱物説、パール説、ヒスイ説があって確定してはいない
ようですね。

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はじめまして。
自転車趣味のblogを読んでいるうちに辿り着きました。

形名さんは古代史研究家でしょうか。
私は30年ほど昔、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」を読み感銘を覚えたど素人です。これを読んで邪馬台国論争は決着するだろうと素人なりに思っていましたが、未だ決着を見ていないようです。
形名さんのこのblogでもほとんど無視されているように思えます。近年『東日流外三郡誌』騒動でミソを付けたようですが、私には今なおこの「邪馬台国はなかった」は論理的な本だと思っていますが、どう思われますか。
2011-01-24-16:15 * 眞(Shin) [ 編集 * 投稿 ]

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真さん、はじめまして。
素晴らしい自転車をお持ちで羨ましい限りです。私も将来、真さんのような自転車が欲しいと思ってます。
続く。
2011-01-24-18:13 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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さて邪馬台国の話ですが、私は研究家などではありません。全くのど素人ですよ!でも、古田さんの事は知っています。「邪馬台国はなかった」も昔読みました。論としては面白いし、間違った推論だとは思いません。ただ、私の感想を云いますと、私自身は「邪馬台国」と「邪馬一国」の国名そのものの論争には余り興味はありません。元々、邪馬台国と云う名前だったから、その場所は音が似ている大和にあったという推論は危険だと思うからです。一方、確実なのは邪馬台国の時代に続く大和朝廷が現在の奈良盆地東部を発祥の地としたのは確実です。続く。
2011-01-24-18:27 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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そこで明確にしなければならないのは、①邪馬台国と大和朝廷の関係(同一勢力系列なのか別勢力なのか)、②邪馬台国=大和朝廷で、かつ、九州説に立つなら、いつの時点に、どんなふうにして畿内へ移動したのか考古学的証拠を持って証明すること、邪馬台国=大和朝廷で、かつ、畿内説に立つなら、どんなふうにして国内勢力を統合して云ったのかを明確に証明すること。③邪馬台国≠大和朝廷なら、何処の勢力がどんな風にして邪馬台国を滅ぼす、または、併合吸収していったのかを証明すること。これらが必要と考えます。それが出来た学派が最終的に決着を付けることになる。現時点ではどちらも達成してはいないですね。そういった観点から邪馬台国の国名論から九州にあったと証明するのは現在では不可能です。私は日本と中国の古代文献に依存しすぎた邪馬台国探しは危険なアプローチという考えなのです。正しいか否かは別にして、昔の記事を読んで頂けると、私の立ち位置が少し分かって頂けると思います。
2011-01-24-18:36 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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形名さん、返信ありがとうございます。
>元々、邪馬台国と云う名前だったから、その場所は音が似ている大和にあったという推論は危険だと思うからです。一方、確実なのは邪馬台国の時代に続く大和朝廷が現在の奈良盆地東部を発祥の地としたのは確実です。

この論は古田さんも主張していることと同じですよね。
彼は大和王朝とは別の九州王朝が成立していて、白村江の戦いで大和王朝に取って変わられた--というような主張をしていた記憶ですが--これ以上は私も形名さんほど研究していないので何ともいえませんが。。。
確かに文献だけに依存しすぎた論は危険ではありますね。
2011-01-24-19:01 * 眞(Shin) [ 編集 * 投稿 ]

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地域王国説というのは、古田さんに限らず、もっと研究すべき分野のような気がしますね。古田説が正しいかどうか別にして、現在のような畿内一辺倒、畿内中心的な研究の仕方は少し行き過ぎているように思う。古田さんは最新の研究を踏まえた九州王朝説をもう一回執筆すべきではないですかね!
私は邪馬台国九州説ではないのですが、北九州が先進文化の地であり、弥生の初期にはおいては恐らく倭国のリーダーシップをとっていたのは事実と思っています。
2011-01-24-23:16 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

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私は魏志倭人伝に関する書物は前記「邪馬台国はなかった」しか読んでいないので、古田さんの論は(中央公論社の「日本の歴史」で魏志倭人伝の記述解釈は不明という説明を読んだあとだっただけに)非の打ち所がないと思いましたが、もっと研究を深くしていけば違ってくるのでしょうかね。
ところでタイトルは「のこほり異聞」とお読みするのでしょうか、それとも「こほり異聞」とお読みするのでしょうか。上州の方言なのでしょうか。blogを始められた当初の記事を読んでみましたが、書かれていないようだったので、意味を教えていただければ幸いです。
2011-01-25-07:21 * 眞(Shin) [ 編集 * 投稿 ]

No title

真さん、おはようございます。
ご存知のとうり、古田さんの文章力は素晴らしいです。説得力もあります。しかし、中国文献に関しては100%信じるという傾向がありますね。その辺りが私にとっては不満のあるところです。日本の歴史学会から疎外されていたり、中国の歴史学者から全く評価されていないのも聞かれていると思います。基本的な漢文の読解法に問題があると云われています。というより、自説に関しては絶対の自身を持っていて曲げることがありませんから、そんなところが疎外の原因かも知れないですね。でも、古田さんのような研究者がいても私は面白いと思っています。学者は多かれ少なかれ頑固な人が多いですからね(笑)。
ブログタイトル“くるまのこほり”は“車郡”の読みから取ってます。発音は“くるまのこおり”ですが。群馬県の“ぐんま”は、今は馬が群れると書きますが、語源は“くるま”が変化して“ぐんま”となっています。古代の群馬県高崎市辺りは“車郡”と呼ばれていました。今でも古代寺院の跡からは“車”と記載された瓦が沢山出土するんですよ。
2011-01-25-09:26 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

No title

ははは、「くるまのこほり」と通して読まないと駄目でしたか。「くるま」というのは車輪からきているとばっかり思っていました。
今回はためになることばかりで、ありがとうございました。
2011-01-25-11:53 * 眞(Shin) [ 編集 * 投稿 ]

いろいろあちこちに飛んですみません。いやもちろん暦の件についてもまだ考え続けてます。気になることなので少し知恵を拝借したく申し訳ありません。邪馬台国は母系または母権制だったのではと思ってるんです。少数民族的な?母系社会って人口再生産システムとして効率が悪いのでもしかしたら単純に消滅かなと。もちろんなんらかの影響により大和朝廷との関わりに発展した可能性はなくはないと思いますがどう思われますか?中国も2世紀頃以前は母系社会ですから繋がりがあってもおかしくはないだろうと。いつも単なる思いつきのような話ばかりで申し訳ありません。
2021-02-10-17:09 * いろは [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

いろはさん、こんばんは。

私の個人的な考えですが、卑弥呼が単なるシャーマンであったとは思っていません。弥生末期から古墳時代においては、俗にヒメヒコ制と呼ばれる、大まかに言えば女性は祭祀を司り、男子は軍事・政治を司るという祭政分担社会であったと考えています。魏志倭人伝に卑弥呼がシャーマンであるかのような、または、母権制であるような記述があるのは確かです。しかし、それは中国人の辺境国家に対する蔑視感による思い込があるのだと思います。魏志倭人伝にも卑弥呼の男弟が登場していますし、おそらく軍・政を担当した血縁者であると考えます。母系制に関しては何とも云えません。母系制と母権制は意味が全く違います。母系制は有りえたと思いますが、母権制は否定的に思います。

邪馬台国とヤマト王権との関係は論じるのが難しいです。私もこのブログを始めた頃は、邪馬台国畿内説でしたが、今では、倭国は少なくとも九州島が中心ではないかと考えています。邪馬台国も九州島の中にあったのではないかと。必然、ヤマト王権は別系統の勢力ということになります。私は、記事「邪馬台国東遷説批判」でも記載してるように九州倭国の東遷(ヤマト侵略・併合説)を取りません。かと言って、邪馬台国と対立した句奴国=ヤマト王権かというと、それも断定出来ないと思います。正直言って、ヤマト王権の出自に関しては良くわからないというのが本音です。従って帰納的に云えば、邪馬台国を含む倭国は、ヤマト王権に服したか、滅びたかの何れかと思います。ただし、倭国とヤマト王権の人類学的な違いはないと考えています。弥生時代中期には九州から東方への人の移住が断続的に続いており、言い換えると海人族と云われ氏族が本州にも広がっていき、いわゆるクニを形成してゆき、その中の一派がヤマト王権だと考えています。
2021-02-10-18:55 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

一つ補足しておきますが、海人族の東方移住は無住の地に展開したと考えてる訳ではありません。日本列島には縄文系、アイヌ系と言われるような氏族も先住していたと考えています。ただ先住氏族は発達した階級社会による国家形態を取るのが遅れたか、取れなかった氏族ではないかと考えています。列島の国家形成は海人族の展開で急速に進んだように思います。
2021-02-10-19:23 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

ありがとうございます。実は海人族の信仰が天照大御神だったとしたら?と考えていたんです。天皇の出自がわからないので神仏習合で天照大御神が太陽神になったとか考えられないかなーと考えてでした。本来結婚によるは吸収、融和と考えているのですがまだ考えがこれ一本みたくならず、詳しい解説ありがとうございました。ヒメヒコ制はやっぱり言われるかなと思ってました(笑)

https://shuchi.php.co.jp/article/5756?

https://kankou-kimotsuki.net/archives/10605

私は上記2点の説がスムーズに思えることと、地形(河内湾があった頃)を考えても、制海権争いかなと思うんですよ。出雲平定で宮崎に降りるわけですから北陸から琵琶湖を抜けての陸路というか水路は握ったと思えます。なので邪馬台国は広く瀬戸内海から九州の中のどこかと思っており、まだどこかは自分の中で決められていないというのが本音です。

いつもありがとうございます。
2021-02-11-03:57 * いろは [ 編集 * 投稿 ]

度々すみません。東北は東北で文化を持ってますから私も同じ考えですよ。関東から関西に最近引っ越したのですが、いろいろと違うなと思うことがたくさんあります。

前述した制海権は継体天皇の磐井の乱を考えてたときに思ったことです。陸路および湖の水路を確保。あとは制海権が必要ではと。となると海人とか海女とか海とか真珠とか…なんか。紀伊水道って真珠有名ですしね。だからヤマト王権の母方が海人族だったのではないかと考えました。母系制については正直わかりません。また母権制も日本のように役割分担が根付いている国だと違和感はあります。いつも斜め上の話ばかりですみません。
2021-02-11-04:23 * いろは [ 編集 * 投稿 ]

ちなみに私がすごく真珠にこだわるのは真珠(のためだけとは言いませんが)の争奪戦に巻きこまれないよう鎖国?貿易規制?今はなんて呼ぶのが分かりませんが、いわゆる鎖国までしてますし日本にとって真珠って特別な何かがあるのかなと。魏志倭人伝にも真珠の話ありますよね。卑弥呼?壱与?が真珠を中国に送ったと。
2021-02-11-04:37 * いろは [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

いろはさん、こんにちは。

私自身は邪馬台国は九州にあった可能性が高いと考えていますが、それは魏志倭人伝の距離、方位記述からの推定ではありません。この点に関しては魏志倭人伝の記述は意味を成さないと考える立場です。コメント欄で記述すると長くなって記載不能です。私の考えに関して既に記事投稿していますので、もし興味がありましたら目を通して頂けると幸いです。


①日本史フォルダ「陳寿にはめられた日本人(1~4) 」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
②日本史フォルダ「邪馬台国東遷論批判」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1135.html
③日本史フォルダ「人口で見た『魏志倭人伝』の欺瞞」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1086.html
④日本史フォルダ「陳寿の見た倭国図は裴秀の誤った地図か? 1~2」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1136.html
⑤日本史フォルダ「古代中国の距離計測法と短里の存在性評価(短里説批判)」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1478.html
⑥日本史フォルダ「神話の形成と目的1~3」
 https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1138.html

2021-02-11-10:26 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]

形名 Re: タイトルなし

「真珠」については論文を幾つか呼んでみました。
魏志倭人伝に宝物が登場するのは何箇所かありますが、一つは倭国の産出物で
「「出真珠青玉其山有丹 」とあります。贈答宝物ではトヨの贈った「白珠5千孔」ですね。
魏志倭人伝には、「真珠」「白珠」が出てくるのですが、これが何に相当するのかは
説が色々あって確定していないみたいです。
一つは現代で言うパールの真珠ですが、その他に有力なのは水銀朱(硫化水銀)という
説もあるようです。まず魏志倭人伝の時代にパールを「真珠」と呼んだとい説は説得力
が薄いかも知れません。現中国語でもパールは「珍珠」と呼ばれている。
むしろ白珠のほうが貝玉である可能性は高いかも。白珠は単位が「孔」ですから丸い粒だと
思います。しかし、これも、鉱物説、パール説、ヒスイ説があって確定してはいない
ようですね。
2021-02-14-11:47 * 形名 [ 編集 * 投稿 ]