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東国の古代史

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2010-12-30 (Thu)  01:17

かかあ天下と博打好き父ちゃん

上州名物と言えば、「かかあ天下とからっ風」が有名です。からっ風とは群馬県で冬場に吹く季節風のこと。降雪で水分を失った強い北西風が吹きつけるのは近県でも知られている。
一方、「かかあ天下」はもっと広範囲に知られているようです。関西地方でも、「群馬の女は強いんだってね」と話題にされたことが結構ある。
 
古代の群馬県に実在したとされる蝦夷征討将軍「上毛野君形名」の話は日本書紀にも
残っているので有名。彼は将軍として都から派遣されて蝦夷と戦ったとされるが、おぼっちゃまで、勇猛とは云えなかったのかも知れない。彼の妻は、蝦夷に追い詰められておじけついた形名に酒を飲ませ、先祖の武勇について語って叱咤激励する。そして、下女達に指示して、弓を持ち弦を鳴らすことで敵に大軍が来たと思わせて夫の窮地を救ったという。かかあ天下の例え話として、よく引きあいに出される逸話です。
でも、本当の「かかあ天下」の意味を知っている人は案外少ない。「かかあ天下」=「女房の尻に敷かれる県民性」と思っている人はけっこ多い。特に若い人には。
 
確かに、平均的な群馬の女は、見かけ上は上品ではない。ただでさえヤクザっぽい群馬弁をしゃべるのだから、そんなイメージを持たれるのも仕方ないか・・・・・しかし、実態としては群馬でも他県とそう変わるものではない。ある程度年配の群馬県人であれば暗黙の周知事項だが、「かかあ天下」と呼ばれたのには理由がある。
 
群馬県は明治時代から、養蚕が盛んな地方でした。明治時代、群馬県の総世帯数の6~7割が養蚕農家だったといいます。このような状況は、大正時代まで続きます。製糸や織物を含めた蚕糸業全体だと、県内世帯のほとんどが何らかの形で、蚕糸業に関係していたと言えます。昭和33年の統計でも、県内農家の66%が養蚕農家だった。当然ですが、これは日本一の比率です。
 

昭和22年に発行された「上毛かるた」の物産
               ま : 繭と生糸は 日本一
               け : 県都前橋 生糸の市
               き : 桐生は日本の 機どころ
               に : 日本で最初の 富岡製糸
 
 
では、何故これが「かかあ天下」につながるかというと、養蚕にしろ織物にしろ、それらの仕事は女性中心の仕事だったのです。一家の主婦の主導で子供や老人が手伝うというのが習わしでした。
生糸というのは、当時でも高値で取引されました。日本の生糸の品質は世界一だったので、ヨーロッパに高級品として輸出されていた。労働単価に換算しても、通常の米などの生産とは段違いの高さでした。従って、どの家でも一番の稼ぎ頭は主婦でした。男の仕事は、米や麦の生産がメインだったけれど、とても主婦の稼ぎには敵わなかった。つまり「かかあ天下」とは、働く主婦が稼ぎ頭であることを意味しているのです。「うちのかかあは天下一の働き者」と云う称賛が「かかあ天下」と呼ばれる由縁です。
 
群馬の女は意味もなく男を尻に敷いているわけでもないのですが、こういった経緯は相対的に男性の労働意欲を削ぐ結果につながったとも考えられます。群馬男は働かないで博打好き?群馬に公営ギャンブルが他県に比べて多いのは、そのせいだと云う人もいます。本当かどうかは・・・分かりません。 






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